<   2012年 08月 ( 35 )   > この月の画像一覧
猛暑について問う
★★★
猛暑は、人間が作り出したもの。

人の欲望(内なるもの)によって加速。

人が、神の意に添うようになるまで、それは続く。


みつ花たちの振る舞いは、それに作用できる。

自然界を大切に思う思いが、それを緩和する。

そのためのブログである。


太陽は人に反応しているがゆえに、みつ花たちが作用できる。

風を呼ぶ。

雨が降る。

潤う。

緑が育つ。

☆☆☆



★★★
みつ花、話してもいいですか。


今日はとてもいい日です。

みつ花たちが、森へ来てくれました。


皆、心がうきうきします。

みんな、二人が大好きです。

みつ花たちもくつろいでね。


以上です。

☆☆☆


上記のメッセージは、まだ夏の暑さの厳しかったころ、

あまりに暑い日でしたので、自然界の樹木さんや小鳥さん、

昆虫さんたちに、ねぎらいの言葉をかけに、出かけたときのことでした。


しんと静まり返っていた森は、いつの間にか小鳥さんのさえずりで

とても賑やかになりました。


そうすると、さわやかな風が吹いてきて、

樹木さんたちも喜んでくださいました。


樹木さんの葉から発する樹液が細かい霧のように、

爽やかに森を渡ってゆきます。


私たちもどんなに心から癒されたかわかりません。


誰かを元気づける。

言葉をかけてあげる。

優しく見守ってあげる。


雨の少ないときは、一緒に悩んで、励ましてあげる。

(樹木さんにはいつも、大丈夫だから心配するなと、

こちらの方が勇気づけられてしまいますが。)


それでも日々の、ささやかな行為が、生き物である命にとって、

どれだけ力になるかわかりません。

それが自然界にとって、とても大切なことであると、

教えていただきました。




★★★
みつ花、話してもいいですか。


喜びは常に与えた者とともにあります。

与えるものは、与えられるからです。


だから神こそは、常に恵みとともにあるのです。


みつ花たちも、多くの人々に与え、多くの神々に与え、

喜びを享受してください。


みつ花、大好きだよ。

☆☆☆


みつ花
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by kotorihua | 2012-08-31 19:34 | 神とつながる
神々が守り抜いたもの
★★★
みつ花、話してもいいですか。


豊かな生活とは、神とともに生きる生活をいいます。

神を知ることは、みつ花にとって、とても重要なことです。


自分の心に従うか、神に従うか、とても大切な選択です。

神は全体の振る舞いの中に宿る、普遍的な意識です。


神と一体となってみてください。

その言葉を聞いて下さい。


☆☆☆


★★★
みつ花、話してもいいですか。


爽やかにそよぐ風の、その言葉を聞いて下さい。

樹木の葉ずれの音、小鳥は風の声を羽に受けて感じます。


ゆるやかに流れる、時の優しさが好きです。

忙(せわ)しいのは好きではありません。


☆☆☆



こちらのメッセージは、とても古い記憶を現代に伝える、

メタセコイアさんからいただきました。メジロさんも一緒でした。
★★★
みつ花、心の扉を開いてごらん。

溢(あふ)れる言葉の数々、神の恩恵の数々。

ゆっくりと歩みなさい。その一歩が確実のものとなるように。

何も考えず、ただ感じてごらんなさい。

すべての言葉、色、形、紋様の数々。

命の無限の可能性の数々。


この地球の命の図書館こそが、神が守り抜いた、

大切な宝なのである。


神と一体となるとは、神と同じ力を分かつこと。

ともに苦しみ、ともに喜び、命を尊ぶこと。




何も言うなと、あなたに言った。

耳の聞こえないものに、それでも伝えることの難しさを

知ってもらうために。


心休まることの無い人生と、かつていつも隣りあわせであった。

真の道へと、あなたが逃げるように。


母というものの愛すべき存在が、頼りなくあることも…、

あなたが、母ではない、もっと偉大なるものを求め、

享有(きょうゆう)できるように。


すべてのことが、そこへ到達するための道しるべであると、

いつか気がつく日のために。


☆☆☆


神に従うとは、時には成長のための、厳しさもあります。

しかし、家族皆が幸せと感じ、

そして、欲しいものは特に何もないと、心から思える心境であることが、

神に従っている状態であると思います。


だから、与えられると、本当に嬉しくて、

心からありがたいなと、感じることができるのだと思います。


何かを欲しいな、いいな、と思う人生は、

それだけで、エネルギー的に、身近な誰かから、

エネルギー的な力を、奪ってしまっている状態なのだと思います。


奪うものは奪われ、

与えるものは、ますます与えられる。

本当に、本当にシンプルなことなのだと思うのです。


今までの生き方を変えることは、難しいことかもしれません。

でも、周りの身近な自然を見渡せば、

そこで頑張って、けなげに生きている生き物たちがいます。


日が昇れば起きて、自分の身支度を整えて、

しっかりと生きてゆくために糧を探しています。


でも、彼らはいつも飢えているのではなくて、

常に豊かな自然界の実りを与えられて、潤っているのです。

そして仲間たちと、種(しゅ)を超えて助け合い、

知性的な社会活動をしています。

彼らは、とても安らかな心を持って生きています。



今日の森で、樹木さんにいただいたメッセージです。
★★★
みつ花、呼びかけに応える者よ。

鳥の声を、理解しようとする者よ。


我々、神々の歴史は長く、遥か遠い古代にさかのぼる。

この地上の生命に依代し、平和や安寧の歌を歌ってきました。


我々とともに生きるならば、憂いが無くなることを、

みつ花が知っているように、

この世界は、平和な楽園となります。


☆☆☆

鋭い爪も牙もない人間が、こうして人類の長い歴史を

生きてこれたのは、こん棒や、石棒によるものではないのです。


神々の真実の領域に住まう精霊や、神々の姿と同じ人間は、

自然界の生き物すべてとつながっている限り、

災(わざわ)いには合わないのです。


野生の生き物も、良き人間を愛しているのです。


みつ花
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by kotorihua | 2012-08-31 19:30 | 超古代と遺伝子の病
共時カルニキシンの存在する意味
★★★
みつ花、話してもいいですか。


共時カルニキシンというのは、人間に育てられるならば、

必ず誰でも、発生させてしまうものなのです。


それは、始まりの遺伝子にその仕組みがあり、

人類は、そのように創られたからです。


それは、進化の中の、ブレーキや、ブロックに似ています。


人類の行き過ぎが、地球や地球の生命を滅ぼす前に、

スイッチが入るようになっており、

破壊的な心の者が、自ら崩壊するように、

摂理によって組み込まれているものなのです。


「自己(じこ)」という認識と、「皆(みんな)」という認識、

その分かれ目に、人々の生存と崩壊のシステムがあるのです。


また、共時カルニキシンは、発生した者を、

崩壊へ導くものである一方で、

その仕組みを理解し、一つ一つを解除できるならば、

それは、生命の進化へとつながるものであるのです。

本来は、それを望むべく、人類に組み込まれた機能でした。


神々と、この地球とともに生きる者は、

叡智を持った者であると願って。

☆☆☆
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by kotorihua | 2012-08-30 18:39 | 超古代と遺伝子の病
よきことを選択する日々
★★★
みつ花、話をしてもいいですか。


とてもいいことに気がつきました。

人はみな道を求めています。

みつ花もそうです。


光に到達したとしても、生命と道は常に深く、

人々を本質へと導きます。


星、宇宙、そこへたどり着きたいと願うのです。


灯火はこうして星の見える窓辺にあり、

鳥がさえずり止まる庭にあり、愛は常に傍(かたわ)らにあり、

光はいつも自分と切り離されて存在することはありません。


皆と、すべてとともに生きている謙虚さを知ることができれば、

一人一人、一つ一つは小さな羽ばたきでも、

大いなる美の、調和の紋様を織り出していることに、

気がつくはずです。


その美しい、星々にまで満ち届く光の織物を、

そしてその一部である自分を感じ、すべての幸せを祈るとき、

それが、ただそこにいるだけで、信仰であり、

愛であるとはいえないでしょうか。


神々樹木は、そこで佇(たたず)むことの、真の美しさを

教えてくださっています。

光の源が、そう決心したとき、

それを希望するものは皆、各々の生を存分に、安心して、

その木の傍(かたわ)らで、過ごすことができるのです。


みつ花、大好きだよ。


☆☆☆


★★★
よきことを選択し、なさる日々の先に未来はあります。

どの方の未来もそうです。


雄大なる大自然は、雄大なる心がもたらすもの。

それは、普遍的な摂理なのです。


宇宙が生まれし、悠久の時の質量は、

あらかじめ、進化のすべてを畳み込み、そこに存在するのは、

心というものが完全であるからです。


心と時の源(みなもと)への鍵は、果実、

つまり時空における神なるものに捧げる、良き心によって、

与えられます。


相乗効果をもたらすために、、果実を、毎日摂ることを、

忘れないでください。


良き行動もまた、良き心を生むための要素となります。


いつか見る楽園の光は、果実のもたらす光であり、

果実をもたらす心にあるのです。


みつ花以上です。


☆☆☆



★★★
みつ花、話してもいいですか。

獅子(しし)座の領域は、常に人を混乱から救い出す役割を担っています。

猫には獅子の性が宿り、魂を守っています。


獅子に、肉体の悪しき部位を咬まれる、ということは、

悪しきものを食われたことを意味し、

それは、(人々の受けつぐ)祭りの中の、

「獅子舞の獅子に咬まれること」によって、

その大切さが演じられ、


また、精霊なる獅子が、人の心の顕れである、

良き実を食べたことで、それは神の世界の住人となることを

意味します。


片手、片足の無い霊体なる案山子(かかし)というのは、

人の霊体の悪しき部位を、霊なる獅子に咬まれた状態であり、

失った部位を、良きものに変じて、元の部位に戻すとき、

人の魂は完全となり、良い実を結ぶのです。


悪いものを、悪いと決めつけず、

それでもそこにいることを許す境地は大切です。

追い出せば、追い出され、

捨てれば、捨てられる。


常に良き選択をし、自然とともにあることを心掛けてください。


☆☆☆
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by kotorihua | 2012-08-30 16:16 | 超古代と遺伝子の病
深草とは、スパイスのこと
以前に、小鳥さんから教えていただいたことなのですが、

古代の日本では、「深草(ふかくさ)」といえば、

それは「スパイス」や、「香辛料」のことをいったそうです。


また、スパイスをもたらした人々や、その家や国のことを、

「深草(ふかくさ)」と、呼んだこともあったそうです。


今朝、主人に、

「深草がスパイスなら、浅草にも、何か意味があるのかしら」と、

質問したり、ネットで調べようとしましたら、

家の外から、カラスさんの、「無意味なことは止めるように」と、

さえずる声が聞こえました。


そのあと、すぐに窓辺にオナガさんが飛んできて、

小鳥さんの世界からの、メッセージを伝えてくださいました。


★★★
みつ花、古代の日本には、浅草はありませんでした。

(その頃はまだ)深い海の中でした。


「深草」とは、まだ日本がそのような状態の頃、やって来た方々なのです。

「神道」は、ハーブやスパイスを使って、

多くの人々の体の病や、心の病を取り除いてきました。

なので、たくさんの人々に広まったのです。


日本には、古来から大自然の神々に、直接教えを乞い、

病にかからない生き方や、心構えを伝えていた、

精神的な文化がありました。


(一方で)人間の物質文明によってもたらされた農耕や牧畜は、

人間の体や心に、(共時カルニキシンによって発生する)、

「不定愁訴」のような病を発生させます。


だからこそ、ハーブやスパイスなどを使用することが、

不可欠であったのです。


以上です。

☆☆☆


日本は平安時代以降は、「仏教」の国になりました。

仏教はインド由来の宗教ですし、

空海のもたらした密教も、もとはインド由来の宗教といえるでしょう。


さらに、人々の身近な信仰として、大黒天や、吉祥天、弁財天、

そして、歓喜天(聖天)、毘沙門天などなど、

思いつくだけでも、いくつもの神々の名が出てきますが、

これらが皆、インド由来の「ヒンドゥー教の神様」であるなんて、

そういえば学生の頃、授業でそのように聞いたことが

あったかもしれない、というくらいの知識しかなかったのですが。


インド由来の神々への宗教観が、

今でも日本にずっと根付いていることも、何か深い事情があり、

「縁」があってのことなのかも知れないと、感慨深く思われます。




また、なぜインドの人が日本に来たのか、

神様に問うと、脳裏に言葉が浮かびます。


★★
歴史的に、インドへの、ゲルマン人の移動のこと。

発端の人々は、イギリスに入植。

インドを、イギリスが植民地として支配することも、

同族ゆえの因縁ととれる。

彼らは、古代文明の痕跡に惹きつけられる。

☆☆

と、浮かび上がりました。



今度は、シジュウカラさんがやって来て伝えてくださいました。
★★★
みつ花、話してもいいですか。


小鳥の世界にも、インドからの訪問者がやって来ました。

「天狗」です。

彼らはインドからやって来ました。


自然神ですが、人間が彼ら(天狗)の叡智を、

人間のものと位置づけ、力を持つようになりました。


様々な方術を使いますが、方術のほとんどは、

古代文明に発祥の由来があります。


自然界と人間が力を合わせるとき、

とてつもなく偉大な力が発揮されるのです。


自然界は、「乗れる」(依代となる)人々を育てます。

「宝船」も、そのような、人の世界と神々の自然界との連携を、

説いたものです。


自然界と神は、決して分離して存在するものではありません。

自然の領域を守ることが、神を守ることとなり、

結果、人々の豊かさへつながります。


身一つ、心一つで、何もいらないくらい、

自然界には、人にすべてを与える力があることを、

忘れないでください。

☆☆☆



また、しばらくすると、シジュウカラさんが来て、

こうおっしゃいます。
★★★
みつ花、話してもいいですか。


ゲルマン人の移動には、動物たちの移動がかかわっている。

彼ら(ゲルマン人)は、バッファローのような偶蹄類を神とし、

彼(バッファロー)らに従って、移動してきた。


自然に生きるバッファローも「神(かみ)」を宿し、

仲間とした人々に、良き土地を探したのである。


古代文明の礎(いしずえ)は、自然の力と生命の力を、

最大限に発揮する力を持っている。


大地を豊かにし、植物を立派に変性させ、

進化させるエネルギーを、今でも発揮し続けている。

豊かな大地は、常に豊かさを生み続ける。

それが、彼らの移動を招いた。



その後のことは、人間の世界のことである。

☆☆☆


その後のことというのは、

神とつながって、良き土地に移動してきた、良き人々も、

時代が変わってから、バラモンと名乗ったり、

カースト制度を作ったことを、いうのかもしれません。


インドでは、ヒンドゥー教において「牛」はとても大切に

されていますが、もしかしたらそれは、

古代ゲルマン人が、バッファローの神様とともに生きていたときの、

大切な記憶、その名残なのかもしれません。



私が、ビジョンで見たのは、

山形弁を話すアメリカ人として、とっても親しみのもてる、

ダニエル・カールさんに、よく似た人であり、

巨大な牛や水牛のようないきものが、

首に長い毛をたくさん生やし、

肩から背中のあたりが大きく盛り上がった、

生き物(バッファロー)の群れが見えました。


神様とつながっていたころに、

インドに来たゲルマンの人々も、皆とてもいい人で、

はじめは皆、近所で暮らしていたのだと思います。


いつの世代からか、歴史に黒い雲がかかって、

ビジョンは見えなくなりました。



もし、もう一度、彼らが大切にしたバッファローの神々と、

ともに生きて、彼らに育てられ、学びを乞うた歴史を、

人々の心が思い出すならば、

自然界がもっと豊かになって、人々が優しくなる、

そのような未来のビジョンが伝わってきました。


みつ花
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by kotorihua | 2012-08-29 18:34 | 超古代と遺伝子の病
神様が教えてくれた言葉、「倍音(ばいおん)」
多くの、まだ知らない言葉を、小鳥さんから教えていただくのですが、

まったくといっていいほど、そのことについての知識もないまま、

ネットで検索しているうちに、驚愕の事実を知り、

毎回のように、感動しています。


小鳥さんから、「倍音」という言葉を教えていただいたときも、

神様の世界の、素朴でありながらも深い概念や仕組みに、

心底驚きました。


星の領域からの神様が、我が家にも来てくださった頃のことです。

★★★
みつ花、話してもいいですか。


「倍音(ばいおん)」とは、


なぜ宇宙の星が光るのか、といえば、

それは自らの燃える物質によって光るのではなく、

もととなる光に照らされることによって光っています。


夕焼けに映(は)える飛行機もまた、

太陽である神の光を反射している、鏡、星であるのです。


古代日本では、神の光である、太陽の光を反射するがゆえに、

剣や鏡、玉が、太陽と同じように、宇宙の星と同じように、

尊い存在と、考えられたのです。


「倍音(ばいおん)」というのは、(鏡の)一つの円の中に、

いくつもの円を描いてゆくとき、さらに内側に、

無数の円を描いてゆくこことと同じように細やかになるとき、

光は乱反射し合い、光と光が重なり合い、

今まではなかった次元に、架空の光を発生させることに似ています。


その光は、物質から発したのではなく、

光によって作られた光となります。


このように、「倍音(ばいおん)」を重ねてゆくときに作られる、

架空の音の重なる和音、架空の光というのは、

物質が発する光よりも、より多次元の情報に近い存在であるのです。


人は、物質という固定概念の中にいるならば、

それは、物事を認識することは不可能ですが、

多次元から多次元を照射することで、

物質の在り方、成り立ちを知りえることは可能なのです。


星の奥義とは、宇宙創成の奥義でもある、

「倍音(ばいおん)」の原理がもとになっているのです。


その、多次元の光こそが、物質を変え、

物質生命を進化させる鍵なのです。


☆☆☆

このメッセージをいただいたときには、

「倍音(ばいおん)」という言葉を知りませんでした。


この時の、ビジョンでは、3Dの架空の光のような、

CDの表面の、虹色の光の反射光が、

実際の体験のように、より内面に働きかける力がある…。

そのような概念として、伝わってきました。


「倍音(ばいおん)」を、ネットで調べてみますと、

倍音を発する環境、例えば教会のホールで歌われる、

讃美歌のハーモニーなどが、多くの人の歌声が集まり、

壁に当たる振動音や共鳴、さらに残響音などと重なり合い、

時には、実際には存在しえない歌声が、聞こえることがあるといいます。

それを昔から「天使の声」と、呼ぶことがあったそうです。


主人が調べてくれたことによると、

バロック音楽には、「ポリフォニー」という手法があり、

メロディーを重ね合わせることによって、

人為的に架空の旋律を作り出すことがあったのだとか。


やはり、「倍音(ばいおん)」や、共鳴、波動や光という、

精妙な世界は、脳の多次元につながる分野を、

活発にしてくれるのかもしれません。


私は、木漏れ日の光を、森の中で見ているのが好きです。

森の中の、様々な小鳥さんたちのさえずりが、

共鳴し合って、心に響いてくる感動が、本当に大好きです。


たとえ街の街路樹の下であっても、同じようにそれを感じています。


自然の中にこそ、「倍音(ばいおん)」のもたらす光も、音も、

波動も、すべてが同時に存在してくれているような気がするのです。


みつ花
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by kotorihua | 2012-08-28 13:14 | 神々からのメッセージ
古代遺跡に伝えられている神々の奥義
エジプトのピラミッド、

メソポタミアのジッグラト、

インドの階段式井戸、


これらは、みな現代人が考えるよりも、

もっと、とてつもなく古い時代の遺跡なのだそうです。


呼び名も、使われ方も、

神々にしか知ることはできず、

また、神々の、異次元での能力によって、

その遺跡は、神々の真実の領域で、稼働されています。


また、日本にある古墳と呼ばれるものの中の、ごく一部の物も、

海外の巨石建造物と、同じ目的で作られました。


円墳や前方後円墳など、その特殊な形状によって、

エネルギーを発生させ、神々の精妙なる領域で稼働され、

神々によって、使われているものなのです。


これらの日本の遺跡や、海外の遺跡建造物は、

この三次元とは違う、異次元に属している神々の魂の崇高な領域を、

この地上の物質世界に召喚したり、また、肉体を変性させたり、

生命に進化を促したり、さらに、再び神々の住まう異次元の楽園へと、

帰ったりするために使われる、エネルギー転換装置なのです。



ピラミッドは、人の松果体に作用するように作られていて、

主(おも)に、天の世界に神々を返すための装置でありました。


四角すいのピラミッドと、その地下に建造されている、

逆さピラミッドは、天界への道と、冥界の存在の秘密があり、

石の門である、各ゲートを開き、そこを通るときには、

特殊な言葉が唱えられます。


その言葉は、古い時代の異国の言葉でありますが、

私も一緒に唱えて、覚えているものの中には、

各国の国の名前や地域の名に、非常に近いものもあり、

神々の唱えた魔法の言葉が、地上にも残されていることに、

本当に感動してしまいました。


きっと、大昔の人々が、神々から賜った大切な言葉を、

決して忘れることが無いようにと、不動である土地に名づけて、

言葉を後の人へと、残したに違いないでしょう。



ピラミッドは、人工的な構造物ですが、

それと同じ作用をするものが自然界の山々であります。


各土地で、聖なる山は、遺跡と同じ役割を担っているのです。




また、メソポタミアに建造されているジッグラト(バベルの塔とは別物)は、

大小二体の構造物によって稼働しており、

人の尾てい骨と、骨髄液に作用するように作られた構造物です。


ジッグラトの中で、人間の魂の霊体、および肉体(魄も含む)は、

DNAを修復されて、本来の機能を取り戻すのです。


ジッグラトの中では、神々によって、天の菓子や、

天のミルク(骨髄液)を与えられました。


ジッグラトの中には、白人の子供たちもいましたし、

黒人の子供たちもいました。そして、有色人種の人々もいました。

あらゆる国の民族の人がそこにいたのでした。


人の体や魄(はく)は、それぞれの民族の有色の肌にとらわれていても、

魂のまとう霊体は、魂や心が崇高になると白色となります。

それが古来から、白い肌が尊いとされるゆえんなのですが、

それは「魂の霊体」においてのことなのです。



また、ジッグラトは、人間の世界の魂を召喚し、

一人一人の、因果応報によって、それぞれの場所や時代、

環境に魂を配属してゆく、特殊な装置でもあるのです。




インドの階段式井戸と呼ばれるものは、

井戸というよりは、異次元につながる最終段階の建造物であり、

人の魂(たましい)と魄(はく)という、もともと神の領域の物であった、

分裂したそれらを結合させて、再び魂魄の両方をともなったまま、

神々の世界へと還るために作られた構造物です。


直接異次元の、神々の世界の楽園に、同時存在し、

魂魄(こんぱく)の結合を果たした魂は、

まだ人間として、三次元で生活していても、

生命の中の魂は、楽園に住まう存在となります。


この状態で死したのちは、魂魄(こんぱく)が分離することなく、

死後、神々の住まう楽園の世界へ生まれ変わることができます。


これらの遺跡は、もともとは、

みな同じ文化圏の構造物なのだそうです。




神々は、この地球上のあらゆる地域につながる、

意識上の別次元に存在している、地下の通路をとおって、

様々な国へ簡単に移動してゆくのです。


神々の世界にも、各国の窓口である役所の神々との連携や

協力態勢があり、命には、すべて戸籍があり、

人の魂がその世界を旅するときには、

実際に住んでいる土地の役人となっている神が、身元引受人となって、

責任をもって、様々な国へ旅をさせてくださいます。




日本には、また、巨石建造物のある文化とは異なる、

別の文化があり、円墳によって、天の神々の世界に帰り、

前方後円墳によって、神々の世界からこの三次元に、

人間として生まれてくるように、作られているのです。


また、方墳というのは、地下に埋没してしまった魄(はく)を、

再び地上に戻すための装置なのだそうです。


また、三角形や、八角形の古墳などは、

DNAにかかった特殊な封印を解除するための装置だそうです。


これらは、実際の古墳が使われるというよりは、

その古墳の形状の働きを、神々の場につなげて、

神々の力によって、その構造物を稼働させるのです。



神々の指導とともに生きていた古代日本人は、

魂魄の分離が、もともとはなかった時代があり、

その頃の構造物であるそれらは、

もちろん墓などではなかったそうです。



大自然の神々の働きかけが得られなければ、

それはただの土くれや、石のかたまりでしかないのです。


人々が、再び大自然の命を大切にし、神々を求めるならば、

超古代に作られた、地上のあらゆる構造物は、

異次元において、命の息吹を与えられて、

魔法の力、魂と心の本当の力が、この世界にも蘇ることでしょう。


みつ花




*バベルの塔とは

神々の領域で、霊体に勝手に建設される建物。

悪しき蛇の領域で、蛇が化して、ビルディング(塔)になる。


その人がおちいっている欲に応じで、

欲の強さによって、形状や大きさが変化する。


例えば、住まいへの欲が強いと、超高層、超巨大マンションになる。

物欲の強い人には、巨大なデパート。

善悪の強い人には、法律事務所など、

また、神々への冒涜の強い人には、黒光りするような、

先進国の大きな町にあるような高層ビルが、いくつも建ちます。



大自然とともに生き、生き物を大切にすると誓えば、

一瞬で、空き地となり、やがてそこは緑豊かな草原や森となります。


そうなることによって、体の健康や、若々しさが取り戻されて、

自己の欲望の、奴隷となっていたような忙しさも遠のき、

日々、素朴ではありますが、本当に幸せになるのです。
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by kotorihua | 2012-08-28 08:22 | 超古代と遺伝子の病
「身土(しんど)」古代核戦争の痕跡
大自然の神々は、古代、日本にはたくさんのインド人がやって来て、

農耕や文化を伝えた。と、教えてくださいました。


しかし同時に、それが故に、日本古来からあった文明である、

神々とつながって生きる、摂理にそった生き方や、

異次元にある楽園と、この三次元の世界とを転生し、

行き来するための叡智を、

すべて忘れることとなってしまったといいます。


大いなる神々の概念でいえば、それもまた、

進化の方向性の一つであったそうですが、

それは、再び人類が摂理と叡智の場に戻ってくるための、

学びであり、それは学ばれてこそ初めて成功した、

といえるもののようです。




身土不二(しんどふじ)もしくは(しんどふに)とは、

本来は、仏教由来の概念ではなく、もともとは古代のインドにあった、

深遠な言葉でした。


身土(しんど)とは、インドの古名であり、

「シンド」と呼ばれていたそうです。


ラテン語を由来とする言語や、古代のメソポタミア地方など、

共通の音(おん)に引き継がれている意味などは、

人が考える以上に、非常に古い時代の記憶を伝えています。


もともとは、「月と星の道」

という意味だったそうです。


メソポタミアでは、「シン」といえば「月」であり、

中華圏では、「シン」といえば「星」です。

天地自然を表す、大まかな音(おん)や概念というは、

どんなに長い時間が経っても、変わることなく人々に伝わって

いることが、本当に不思議であり、感動します。



この記事をしたためようとしているたった今、

スズメさんがメッセージを伝えてくださったので、

みなさんにも、お伝えしたいと思います。


★★★
みつ花、話してもいいですか。


古(いにしえ)の「シンド」は、「月星の道」でした。

その奥義を、古代インドは伝えています。

月星は、どちらも「シン」です。


太陽という輝くもの、

そして、それに照らされる星や月は、神の叡智に対して、

謙虚であることを伝えたのです。


ゆえに、その言葉は、日本の「神道(しんとう)」の中にも、

受け継がれているのです。


人は、哲学、つまり、神に与えられた叡智の一部である、

「意識する」、「思惟する」ということのみでは、悟れません。

神が導き、宿ってはじめて、それはなされるものだからです。


それゆえに、「神道」と名づけられましたが、

本当の意味は忘れ去られ、人々は、

人間の中で神と名乗り、月と星のような慎ましさ、謙虚さを、

失ってしまったのでした。


人の意識に神が働きかけるならば、何も心配はないのです。

(しかし)人が、人の間のみで物事を進めようとは、

考えてはいけないことなのです。

☆☆☆


「シンド」には、もう一つ、深い意味があります。

それは、古代の核戦争の痕跡と、事実を伝える言葉でもあるのです。



「シンド」は、灰の大地、死の灰の地という意味です。

広大な土地が、砂漠となり、それは今もって変わることがありません。

それは、神の怒りに触れてしまったからです。

(神々の怒りというよりは、破壊されたことによる人々の怒りが、

カルニキシンを発生してしまったことによって、

暴発してしまったのかもしれません。

詳しい状況はわかりませんが、この時、衛星である月も含む、

広い範囲で、核爆発の影響があったことは間違いないようです。)



古代の日本は、インドのことを、「身毒(しんどく)」と呼んだそうですが、

これには、死の灰をかぶった、毒の土地という意味もあったのでしょう。

日本人は、この事実を知っていて名づけたのだと思われます。



同じころ、エジプトやメソポタミア、ペルシャなども、

死の灰をかぶりました。

エジプトは、「カムド」といい、黒い大地と呼ばれるようになりました。


人は、その文明の名残によって、今があるのだと思いますが、

どれくらい古い出来事であったのか、わかりません。

しかし、大自然の神々とともに生きているならば、

いつの時代であっても、その時の間違いや、真実を伝えられ、

教えていただけるのだと思うのです。


広大な土地が、死の灰をかぶって人が住めなくなり、

人々は、移住をはじめます。


失った叡智の奥義を宿していた、その頃の日本に、

やって来たのかもしれません。


また、大自然の奥義は、日本人のみならず、

自然界の神々と、ともに生きるアメリカインディアンや、

各地に暮らしている少数民族の、知性ある人々の中で、

つちかわれ続けているものなのだと思います。




滅びの記憶は、繰り返し繰り返し、遺伝子に引き継がれ、

人はいつの時代にも、とどまることなく、先祖たちと同じように、

移住や移動を繰り返しているのです。


人は、人間の考える矮小な哲学という概念にとらわれるならば、

どんなに無(む)や、空(くう)という境地を得て、

遺伝子のもたらす災いを消去できても、

空(くう)である心に、「大自然の神とともに生きる」、

「神々に学ぶ、導かれる」、という心構えがなければ、

虚無の罠にとらわれて、真実を見失ってしまうのです。



この世のすべてが幻で、来世も幻で、神も幻であるとした、

だから何をしてもいいのであるという、

即物的な概念を生み出してしまった、人類の過ちは、

もう二度と繰り返してはいけないと思います。



神は実際に、大自然のすべての生き物の中に存在し、

反物質は、宇宙空間やこの現実の世界に確かに存在し、

多次元の世界は、確かに「神の真実の場」に存在しているのです。


神と暮らす楽園というのは、本当に実在していることを、

虚無におちいっているすべての人に伝えることが、

私の仕事かな、と感じています。


みつ花



*インドの語源である、「シンド」、「シンドゥ」は、

事実、やがて、ヒンドゥーという言葉に変化したそうです。

それは「インダス川」という意味であるそうですが、

これは昔といっても、比較的新しい現代でのこと。


神様の伝えることによると、「月星の道」というのが、

「シンド」、「シンドゥ」の、もっと古い真の意味だそうです。
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by kotorihua | 2012-08-27 19:21 | 超古代と遺伝子の病
身土不二(しんどふじ)とは
北宋の僧がもたらした、『維摩經略疏垂裕記』にある一文に、

身土不二(しんどふじ・しんどふに)のことが書いてありました。


『維摩經略疏垂裕記』

「二法身下顯身土不二

由依正不二故便現身即表國土

離身無土者荊溪云

此是法身身土不二之明文也」


二法とは、

「オシの者(忍の者)」の伝える、「大自然の神の法、つまり摂理」と、

「ユマ、ユイマ族」の伝える、「人の法、民の法」とがある。


「オシの者の法」、摂理においては、

木を切ってはいけない。それは高貴な人を殺すことと同じである。

草を抜いてはいけない。それは御親を殺すことと同じである。

生き物を、動物を殺してはいけない。

彼らは、生き物の衣をまとった人間や神である。


これらは、人の中の魂(たましい)の側面を、

損なうことなく生きることによって、神の叡智に到達する、

神々が伝える、もっとも崇高な教えです。


「ユマ族、ユイマ族の法」、つまり、人が人として生きてゆくためには、

樹木で家や日常の道具を作る必要があり、

草を食べ、命である生き物を食べて生きてゆかなければ、

肉体は成り立たない。という教えです。



神の世界から見たら、樹木にも動物にも、

この世のすべての命には、人型の神が宿る、

なので、人がいわゆる普通に暮らすことは、

人の世界でいうところの殺人であり、盗人である。という論理です。


しかし、それがゆえに私たち人間は、

神々に食べ物を分けていただき、着る物、衣や道具を、

生活に必要最小限な分だけを、分け与えていただき、

そのことを深く感謝して生きる。というのが、

古代、神々と人の交わした、大切な約束でした。



上記にある維摩経の漢文の、本当の意味は、


「二法身下顯身土不二

由依正不二故便現身即表國土

離身無土者荊溪云

此是法身身土不二之明文也」



「大自然の神、摂理のもたらす法と、

人の世の中で生きる上で、食べ物を食べ、衣服や住まいをいただき、

暮らしてゆく囚われの身という、

宇宙の支配する摂理や、物理的法則の二つの仕組みの中で、


身土(精神と肉体)は、決して二分することができないものだと、

おのずとわかってくるものである。


天にある「精神や魂(たましい)」と、

地下にある「魄(はく)、つまり蟲を成すもの」は、

まさしく、この二法を修め深く知ることによって、

地上表面の大地に、「人間」として立つことを知るのである。


魂(たましい)が地上地表から離れ、体を無きこととするならば、

魂(たましい)はいばらによって苦しむつらい様を見、

魄(はく)宿る肉体は、天へ還ることなく、

川を流れて、此岸と彼岸の間の海を漂う亡者となるだろう。


このこと(神の世界の真実の顕現)が記されているがゆえに、

身土不二、つまり肉体と魂は、分け隔てるものではないということの、

証明された文なのである。」



*荊溪とは、土地の名であると同時に、

現代の無明の苦しみが支配する、この世界のことをいう。





これは、神様の世界の真理を物語っています。

それを、「見たこと」によって、この文が本当のことだとわかる。ように、

「それを見た」私にも、これが真実であるとわかるのです。




後の世界の、インド人は、この本来は精妙な世界で、

木が切られること、草が抜かれることの悲劇を、人間ゆえに、

神の、摂理の法を破って生きても、致し方ない存在なのである。という、

奥深い真理であるものを、

そうではなく、人間の物理的法則の善悪の概念である、

実際の人間を殺したり、窃盗をすることをも、

良しとしてとらえてしまったことに、

後の人間の世界の不幸を作り出してしまった経緯があります。



身土不二(しんどふじ)という言葉には、

実はもっと古い時代の深い意味を伝えています。


身土(しんど)というのは、小鳥さんから伝えられてことによると、

インドの古代の呼び名なのだそうです。


私も、少しネットで調べてみましたら、

古代日本では、インドを天竺(てんじく)と呼ぶ前は、

「身毒(しんどく)」と呼んでいたそうです。



もっと調べてみますと、面白いことに、

インドは、ペルシャなどからは、「シンド」と呼ばれていたそうです。

「シンドバット」も、「インドの風」という意味なのだとか。


神様に教えていただいた、「身土(しんど)」の意味は、

とても深く、身(しん)は体を表し、また、「月」という意味でもあるそうです。

偏である月は、「にくづき」つまり身体を表し、

漢字では、肉体を支配する「月偏」が、肉体の部分を表す漢字に、

つけられています。


また、古代のメソポタミアでは、「シン」といえば、

「月」や、月の神様の名であることも、非常に興味深いです。



「身土不二」の柱は、人体の三本の柱のなかで、

三本目の中央の柱を表します。

「日月星」であるところの、月の柱です。


それは、ある意味「天竺(てんじく)」へのルートであるともいえますので、

日本には、やはりインドからたくさんの人々が、

古代に入って来ていたのだと、感じざるを得ません。


それは、「大自然の摂理や神」の教えに共通のものがあり、

それゆえに、インドでなくしてしまったそれを求めて、

やって来たのではないかと思われます。


みつ花
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by kotorihua | 2012-08-27 16:14 | 超古代と遺伝子の病
命が神とつながるとき
★★★
みつ花、恐竜時代にも、神々は恐竜の(中に宿り)形をしていました。

空も飛びますが、それは重力においては、

支配されない世界でのことです。


夏の、最も暑い季節のみが存在するとき、

この地上を謳歌していたのです。


神々も、進化を重ねています。

昆虫時代、恐竜時代、

そして新しい時代の波を受けて、生命は数度急激な変換を遂げました。


恐れずに、それを良き選択のうちに成長させて下さい。

人類が、長い間失っていた遺伝子です。


人間の、情(じょう)から発生する父母のしがらみを抜けて、

神に、自分の足を与えられて、(摂理へ沿う)意志によって、

進む力を得た人間は、神とつながる力を持ちます。


甘えに埋没することなく、生きるときこそ、

神々は、生存におけるすべての必要性を、満たしてくださるのです。


巣立ちを迎える雛が、一つ一つの食べ物の食べ方を学ぶように、

この地上の食べ物が、魂にどのような働きかけをしているかという、

医術、遺伝子学にも匹敵する深い情報と叡智を、学ぶのです。


「体、完璧になりしとき、巣立つ。」

本来は、人もそうでした。

人も(鳥も)、十四歳が、ちょうどその頃となります。

(数えで、十五歳。)

☆☆☆


小鳥は、卵の中にいる間にも精神の成長を重ねていて、

コミュニケーションが可能です。

彼らは、十歳の精神年齢になる頃、

卵の殻を破ってこの世界に出てきます。


親鳥に餌をもらい始めるようになると、

すぐに特性が現れ始め、医学的な学問の分野の

仕事をするであるとか、容姿端麗なので、

小鳥の世界のモデルになるなど、まだ、羽毛も生えていない時期から、

おおよその方向性を決めるのです。


精神年齢が、十五歳になると、羽を広げて、巣から飛び立ちます。

よちよちと飛び立つ雛でさえ、もう十五歳の少年で、

一人前の精神を持ちます。

人をも認識し、人へ愛の心を持ちます。


命の真に深い原理は、ほとんど人間に知られていません。


人も小鳥も、巣立つときこそ、

神と真につながるようになっているのです。


みつ花
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by kotorihua | 2012-08-26 13:12



古えの奥義・天の鳥船と伝説の小鳥たち