人気ブログランキング |
<   2012年 02月 ( 54 )   > この月の画像一覧
「みけ」、「みつけ」という食べ物
日本人の食卓で、ご飯とみそ汁は、欠かすことのできない、

定番の食である。


古代は、みそ汁のことを、神饌(ミツケ)と呼んでいた。


ミツケというのは、正式には、神の御毛(ミツケ)の意味である。

人間が食べる食物は自然界の神様からいただくものであり、

神様の御髪(おぐし)である、髪の毛によって作物や植物は生まれ、

人間が、この三次元の生命として、体と魂を養い、

生きてゆくための食べ物になるという、古代の考え方がベースにある。


豊穣の神々の髪の毛のことを、御毛(みけ)ともいうが、

現代は御食や御饌と書いて「みけ」と読むが、

古代は、神様の御髪は神聖な御髪、毛であり、豊穣の神器である。

「毛」という表現をはばかるという考えは、古代の日本人にはなかった。


みそ汁の呼び名である御毛(ミツケ)をはじめ、一毛作(いちもうさく)という、

麦や米を田畑で何度作るかという時の呼び名や、

毛野国(けのくに)という、古代から続く地名などは、

神様の髪の毛によって、作物はもたらされるという古代の思想に、

由来している表現なのである。


たとえば、日本神話の中でも、神であるスサノオの尊の体毛によって、

この日本列島の樹木は生まれ、樹木豊かで山深く、

緑豊かな、美しい国が生まれたという話が伝わっている。


そして、その思想は、決してたとえ話などではなく、

まぎれもなく、真実の世界のそのままを表現しているのである。


ミツケ、というのは、人間が畑や田を耕すことなく、

神様が自然の中で作ってくださった作物のことを言う。


神がお作りになってくださったものは、魂や神(シン)を養うものである。


イモや、豆、クリなどの堅果をはじめ、果物や山菜、草の根っこなどが、

すべてミツケによって自然に生まれたものとなる。


これら自然のものを、人間が作った米や麦などを食べるときに、

バランスよくいただくことが、神様の世界である、真実の世界を豊かにし、

また、人間の魂や心にも、良い影響を与えてくれる食べ物となる。


現代は、完全に自然に育ったものを山で採取するということは、

難しいけれど、それでも、遠い時代、私たちの祖先は、

そのようなものを食べて生きていたことを知り、

買い物をするときなど、ちょっと思いをはせてみると、

自然と体にいいものを食べる習慣ができてくるのではないかと思う。


私たちの遺伝子は、確実に古代の祖先の食べてきたものによって、

作られたのだから、深層では、それを知っているように思う。


米は玄米ではなく、白米を食べるようにしたほうがよい。

なぜなら、米の力を、真実の場である神の世界に届かせるには、

糠(ぬか)を取り除かなくてはならないからである。


一物全体の解釈を間違えてしまうと、

体の腎機能や消化機能を損ねてしまうので、注意されたほうがよい。


灰汁(あく)を取り除いたり、野菜の下ごしらえというのは、

長く伝わっている基本的な方法をお勧めする。

基本の下ごしらえの方法は、何よりも神様が直接人間に

教えてくださったことが、そのまま伝わっているからである。


アイヌの人が、鮭を食べるとき、イクラは大抵、犬にあげてしまうとか、

カニ漁をする漁師は、カニみそは食べないで捨てる、というように、

毎日でも食べる物の、本来の食べ方というのは、神様は人間に、

始まりのときからきちんと教えてくれていたことなのである。

米の場合もそうである。



本来米は、一日一度は、きちんと炊いて食べることをよしとする。


そして、古代日本人は、その炊いた白米を、どうしたら

神の場に届かせることができるか、ということも、ちゃんと知っていた。


これは、米をよく噛んで食べることである。

一口を、三十回ぐらいは噛み続けると、

米から金色の光が分離される。この光が神の場に届く。


全部とは言わないが、毎回の食事で、米をよく噛み続けるという、

この神を醸(かも)す作業を一度でも、取り入れるよう心掛けると、

魂も輝きを増し、神を養う力に変えることができる。



雲雀(うんじゃく)
by kotorihua | 2012-02-29 17:35 |
森の主(ぬし)のカラス
森の神様を探した日。
f0216489_18233822.jpg

大きなハシブトカラスがやって来て、枝に止まった。
f0216489_1820262.jpg

森のカラスにも、この2年半、本当にお世話になってきた。

節句の日などのハレの日には、彼らは神様の乗り物となって、

街の上空を高く飛ぶ。

そうすると、家に神様がいらっしゃる状態となる。
f0216489_18205879.jpg

林の中を歩くカラスの羽が青いのも、

お前は人間の道を行け、と厳しく修行させてくれたのも、

森のカラスさんの指示であった。
f0216489_18213738.jpg

だから、神様が目の前にいらっしゃると思うと、手が震えてしまい、

なかなかピントが合わせられない。

やっとファインダーの中で、ぴたりと目が合った瞬間、

本当にきれいで立派な表情を拝見したのだけれど、

その瞬間には、飛び立って、このようなぶれた映像になってしまった。

それからは、しばらく待ってもチャンスは巡ってこない。

もう一度森に神様の居場所を聞いてみると、
f0216489_18254550.jpg

森は、「灯台下暗し」とだけ言った。


用事を済ませて、自宅へ戻ってくると、自宅付近が、非常に騒がしい。

カラスがいっぱい集まっている。4~5羽はいただろうか。

友達のヒヨドリもいて、皆で大騒ぎしている。
f0216489_18565567.jpg

ヒヨドリは、我が家付近に住んでいるカラスたちに、

ことの次第を、説明してくださっているようである。


そして一羽の巨大なハシブトカラスが、ご近所の家のアンテナに止まった。

なんと、森の神様である!!!
f0216489_18582268.jpg

この街では森がカラスたちにとって一等地である。

森の神様が選んで止まるアンテナも、よく見ると立派なアンテナである。
f0216489_18584786.jpg

灯台下暗しとは、家に来るということだったのか。。。
f0216489_1903112.jpg

ここなら小枝がない、と嬉しそうなお顔をされていらっしゃる気がする。
f0216489_191238.jpg

するとこのように大事な時に限って、高校生たちに質問された。

「これって普通のカラスですか?」と。

(はたして、普通のカラスなのか。。。

いや、私が写しているのは、決して普通のカラスではない。神である。

しかし、普通の人間から見たら、普通のカラスだ。)


「ハシブトカラスといいまして、カラスの中でも大きいカラスなんです。」

と答えた。普通の意味が違う。

大きいとか普通とか小さいとかではない。

でも、今でもきっと誰に聞かれても、私にとっては、

これが精いっぱいの答えなのであろう。
f0216489_19131475.jpg

森の神様は、ほほえましそうに見ている。

高校生といろいろ話しながらも、ずっとカメラを向けたままである。

「なんで写さないんですか?」と高校生がまた質問する。

「そうですね~、あの、飛び立つシーンなんかを待っています。」と、

私が答えると、森の神様はふんわりと飛んだ。

f0216489_1918530.jpg

森の主(ぬし)、カラスの飛翔である。



雲雀(うんじゃく)
by kotorihua | 2012-02-28 20:33 | 身近な小鳥たち
南天の名の由来
南天の実には、深い癒しの作用がある。

魂を癒し、修復してくれる偉大なる樹木である。


南天の名の由来である、中国名の「南天燭」の意味は、

神様の世界では、「サザンクロス」のことであり、

その意味は、「暗闇を照らす光」。


人がなぜ人生において、意に反して暗闇を作ってしまうのか。

そこにその理由や原因を、照らしだす光があれば、

人はもう二度と迷うことはない。


南天の木には、まさに難を転じて、

物事をよき方向へ変えてしまう魔法の力が宿っているのである。


今朝、いつも和歌を詠んでくださる山桜さんのことを考えると、

不思議と和歌が伝わってきた。



「水滴を透して淡し虹のいろ

            この世のこころに影を残さじ」 



昨日、夜遅くにブログの記事にしたためた、

通せんぼするヒヨドリのことのようである。
 


人は、たった一言、好きと言ってほしいがために、

たった一言好きと伝えたいがために、

何千年にも渡って、生まれ変わり続ける。


胸の内に秘めた心は、とても苦しいものである。

どんなに小さな生き物であっても、

どんなにまだ幼い子供であっても、

そしてどんなに大人になったとしても、

心から愛する人に、たった一言、好きだといってほしい。

一番好きだといってほしい。それですべてが報われることがある。

心とは、そういうものではないだろうか。


山桜さんに背中を押されて、本当にそのことに、

私自身も、今気づかされたところである。


日本人は、何も言わないことが多い。

言わなくても分かってくれていると思い込んでしまっていることもある。

子供に、自分のことが好きかと問い詰められたら、

お父さんが好きと答えよと、本当に変な指南本まである。


大切なことは、ちゃんと言わないといけないのですね。。。



雲雀(うんじゃく)




<追記>

サザンクロスというのは、現代英語であるけれど、

同時に古代日本語でもあり、そのままの意味である。


さんざん苦労す。さざんが九。


きっと苦労の末に、輝く光というのもあるのだろう。


お日様は素晴らしい。昼も夜も照らしてくれている。

昼には昼の、夜には夜の船に乗って…。
by kotorihua | 2012-02-28 11:58 | 古今伝授
通せんぼするヒヨドリ
いつも山桜を訪ねることが日課になっているせいか、

ヒヨドリだけでなく、キジバトやツグミなども、

お目当ての山桜の木のそばで、待っていてくださったりする。


昨日今日と、忙しくて山桜には行けなかったが、

みんなどうしているのだろうか。


先日山桜を訪ねたときに、私の目の前を、

ヒヨドリが道路と歩道を一直線に横切って、

歩道脇のフェンスを支えるブロック塀に止まり、

そこから再び歩道の真ん中に降り立った。


自転車でゆっくりと歩道に入ってきた私にとっては、

ヒヨドリに道を通せんぼされた状態となる。

ヒヨドリのすぐ後ろに、山桜はある。

はて。どうしたのでしょうか。。。


小鳥が前を横切るときは、何らかのメッセージである。

この先にはいかない方がいいよ、であるとか、

この辺りをよく見てご覧、など、必ず大切な意味がある。

f0216489_22253468.jpg

ヒヨドリは、慎重に辺りをうかがいながら、こちらを見つめる。

とてもかわいい♪。けれど、どうしたのだろう。
f0216489_2229747.jpg

なんだろう。何が言いたいのだろう。
f0216489_22294938.jpg

彼は、ただ歩道に降り立つだけで、何も言わず飛び去った。

山桜に手を置くと、彼を解放してあげなさい、という。

解放ってなんだろう。。。


家へ帰ると、小鳥か樹木の誰かが、

僕のことも好きでいて。ということだと、教えてくれた。


ヒヨドリも私も最近は忙しくてなかなか時間を持てない。

他の小鳥さんたちのことも、重点的に紹介が続いて、

一緒に遊んだりする時間がなくて、申し訳なかった。


次の日彼に心の中で謝ると、そばに飛んできて、

近くの枝に止まる。彼の名を呼んでみると、

それからは民家の庭先で、楽しくご飯(木の実)を食べ始めた。
f0216489_22415461.jpg
f0216489_22432464.jpg

f0216489_2245526.jpg

元気そうで本当に良かった。


彼もいつも本当にそばにいて撮影の時に協力してくれている。

梅の花ではいつも。どんな時もいつも。
f0216489_9444648.jpg

今日も、森の主(ぬし)のカラスが我が家に来てくださったのだけれど、

テリトリーを越えているので、ヒヨドリが地元のカラスとの、

仲立ちをしてくれていた。


本当に感謝の気持ちでいっぱいである。

彼がいるから、今の幸せな私がある。

出会いからずっと離れることなく一緒にいてくれる、

本当に特別な、一番大切で大好きな小鳥である。



「神奈備の磐瀬の杜の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋増さる」 (万葉集)


雲雀(うんじゃく)
by kotorihua | 2012-02-27 23:17 | 幸せのみつけ方
エナガ
森に来てくれたエナガ。
f0216489_1773273.jpg

エナガは、メジロよりも小さいであろうか。
f0216489_1781973.jpg

樹木のある6~7mくらい離れた場所で、

小枝の中を、せわしく飛び回っている。
f0216489_17265177.jpg

私の向けるカメラに写ってくれたり、ピントが合っただけなのに、

それでOKと、飛び立ったりする。

時には、私から2~3m程の距離の樹木まで飛んで来て、

かわいらしく首をかしげながらさえずり、何かお話をしてゆく。

ずいぶんと長い時間、一緒に遊んでくれた。
f0216489_17253860.jpg

普段からとても人懐っこい鳥で、私が近くにいるという噂を聞きつけると、

良くそばにやって来ては、かわいらしいさえずりで、ご挨拶をしてくれる。

通りがかった小学校の校庭の樹木にも、

住宅街の街路樹の中でも、旧家の屋敷林でも。


エナガの姿を見ると、こんなに小さな子も、

こんなに一生懸命に生きているのだと、感動してしまう。


雲雀(うんじゃく)



撮影 エナガ (撮影日 2月24日)
by kotorihua | 2012-02-27 18:14 | 身近な小鳥たち
梅の花に来る小鳥たち(二)
朝食と片づけを済ませて、洗濯を干し、身支度を整えてから、

カメラを片手に、外へ出る。

家の近くの梅の木の前に立つと、メジロとヒヨドリが、

待っていましたよ♪、と、梅の木に喜んで飛んできてくれた。

私が来るまで、待っていてくれたのだろうか、とても嬉しかった。

梅とメジロ。
f0216489_8522656.jpg

メジロのつがい。花にやってきてからは大忙しである。
f0216489_853177.jpg

こちらはヒヨドリ。花影から見つめてくれる瞳がかわいい。
f0216489_854546.jpg

いろいろな姿をしてくれる。
f0216489_8545256.jpg

梅の木や桜の木の花を吸う鳥であるメジロとヒヨドリは、

よく一緒に行動している。

メジロがすべての花に夢中で蜜を吸う作業をするので、

ヒヨドリは彼らの安全を見守っている。


サクランボの実る桜の花の場合は、実り具合をよくし、

木への負担を軽減させるために、メジロも剪定をすることがあるけれど、

あまりにも夢中になって、剪定をしすぎてしまうと、

ヒヨドリが注意したりすることもあるが、

決してケンカをしているわけではない。

花の蜜を吸うだけの鳥と、実も食べる鳥との相違から、

話し合いはいつも必要なのである。


花と向き合うメジロ。
f0216489_8561816.jpg

口もとが繊細に動いていて、蜜を吸う音が聞こえてきそうであった。
f0216489_8571056.jpg

f0216489_85893.jpg

カメラを購入してよかった。まるで梅の花に囲まれながら、

彼らのすぐそばにいるような気がして、とても幸せである。
f0216489_8585259.jpg

撮影をしていると、ツグミも来てくれた。

梅の木とツグミの姿も素敵である。
f0216489_904966.jpg



みんないつも本当にありがとう。

みんなが大好き♪
f0216489_92365.jpg



雲雀(うんじゃく)


撮影 メジロ、ヒヨドリ、ツグミ (撮影日 2月22日)
by kotorihua | 2012-02-27 09:45 | 身近な小鳥たち
梅の花に来る小鳥たち(一)
家の近くの梅の木にも、ちらほらと花が咲き始めた。
f0216489_179464.jpg

メジロが、梅の木を一生懸命お世話している。
f0216489_17104836.jpg

梅の花をはじめ、木の花が咲いて一番忙しくなるのは、メジロであろう。

メジロたちの姿をよく観察していると、

彼らは開いた花すべてで蜜を吸い、受粉させてゆく。

それが、樹木(神様)との約束であるかのように。
f0216489_17124081.jpg

昨年は、この地区の梅の花も、山桜にも、江戸彼岸桜にも、

すべての花一輪ずつに、メジロたちが何羽か交えながら、

交代で受粉して行った。すごいことである。

彼らがいてくれるから、確実に果樹は実るのであろう。


オナガも梅の木にやって来た。
f0216489_1716711.jpg

彼らは、私の写真に写ってくださるためにやって来てくれた。
f0216489_17171763.jpg


f0216489_1718734.jpg

オナガは、とても慈しみ深い鳥である。

慈悲の心を持ち、夫婦仲良くすることの本当の大切さを説く。

誰かのために、心を尽くすから、

巡り巡って、心救われることを説く。


以前、小鳥と樹木を真剣な面持ちで神とし、

まるで神職のように彼らに礼をつくして接しようとした日、

「愛嬌(あいぎょう・小鳥を敬い愛する心)があっても、笑顔を忘れずに♪」と、

優しい慈母のように教えさとしてくださったので、

それからは、神様と知りつつも、彼らと毎日楽しく暮らしている。

(愛嬌「あいぎょう」なんて難しい意味の言葉を、私は知らなかった。。。)



雲雀(うんじゃく)


撮影 メジロ オナガ (撮影日 2月22日)


<追記>

愛嬌(あいぎょう)という言葉は、一般には仏教用語と言われているが、

そうではなく、日本の古語であるという。

意味は、慈しみ敬う心、敬い愛する心などを表現する。


「女は愛嬌(あいきょう)」という言葉のように、

好かれようとするためにする振る舞いや、媚ではない。


愛嬌(あいぎょう)という心によって、夫に接し、家族や身近な人に接する、

その心がけを説いたものであるという。

その心がけが、巡り巡って、結果的には好かれるということだろう。


好かれようという利己的な行為ではなく、

「巡り巡って」すべてに良い結果となる心がけの、

大切さを説いたのだと思う。
by kotorihua | 2012-02-26 18:09 | 身近な小鳥たち
四季を表す古い言葉は「ながれ」
雨の降った翌日、山桜を訪ねた。

とてもよく晴れた一日だったせいか、日も暮れ時というのに、

幹にふれると、とても温かい。ぬくぬくする。


そのようなことを感じていると、桜の木がまた

和歌の上の句を詠んでくれた。


本来、和歌の上の句というのは、

「神」の詠むものだったのではないだろうか。つまり「神の句」。

神様は、いつも上の句だけしか詠まれない。


そして、下の句を「人」が呼応して詠むことによって、

自然界と、人々の心の中に、何か人知の及ばない、

不思議な循環が生まれるような気がする。


そうして、何かこう運命のような、あるいは季節のようなものが、

調和をもって運ばれてゆくことにつながるのではないだろうか。と、

そのようなことを、ちょうど家族と話していた所であった。


山桜が、

「春一番吹きて心は和みたり」と詠んでくださった。


桜さんたちは、春分から少しずつ暖かくなり、

そして雨水(うすい)の時期には、ちゃんと雨が降ることを、

心から喜んでくださっているように感じた。


季節が、暦通りに正確に巡ってくれる。

それが自然界の生き物にとって、どれほど愛に満ち、

喜びに満ちていることかということを、素直に感じて、

詠(うた)ってくださっているような気がする。


春の神様が、あの日(2月1日)、この街に舞い戻ってくださってから、

四季は、再び正確に、日本固有の時を刻むようになった。


人々が、旧暦の良さに気が付いたり、

日本の古典のことにも、関心を寄せる人が増えたことも、

四季の廻りを取り戻す大きな要因となり、

そのことを自然界の神様は、うれしく思ってくださっているのだろうと思う。



私は、下の句を、

「ながれ告げ鳥の今舞い戻る」と詠んだ。


「ながれ」というのは、神様の世界では四季を表す言葉の一つである。

古代の日本人が使っていた古語であるという。

「ながれに身を任せて生きる」

「ながれにそって生きてゆく」というのは、

巡る季節とともに素直に生きてゆくということを意味する。

いい言葉だなと思う。


「春一番吹きて心は和みたり ながれ告げ鳥の今舞い戻る」



雲雀(うんじゃく)
by kotorihua | 2012-02-26 13:12 | 古今伝授
一枚のコゲラの写真
たった一枚の写真が、人の心を大きく揺さぶる、

写真には、そのような奇跡をも起こすことができる力がある。
f0216489_23543090.jpg

そしてまた私も、たった一枚のコゲラの写真を、森の中で写したときに、

心から感動してくれた人にであった。

初めて、私の写した写真に感動してくれて「すごいよ」といってくれた人、

それは小学生の男の子だった。
f0216489_23552356.jpg

森に遊びに来た少年たちに、何を撮っているのかと、

聞かれた瞬間に、シャッターを押した、コゲラの写真である。


すぐさま、カメラの液晶ファインダーで少年たちに見せると、

この森にそんなのがいるんですか!!!と驚いた。

なんていう鳥ですか!!!

すごいよ!!!と、

大人の私の方が驚いてしまうくらい感激してくれて、

私もほっぺたが熱くなってしまった。


本当に、カメラにコゲラが写ってくれていてよかった。


森の中は、小鳥の姿を写すことが難しい場所である、

たくさんの枝がピント合わせを難しくさせるし、

光の足りない場所もある。

しかも2000分の一秒の速さで、木を突っついているコゲラを、

連写機能も使わず、たった一枚写しただけのものが、

人様に初めて見ていただいたものとなったなんて、感慨深い。


きっと、他の人にとっては些細なことなのだと思われると思うけれど、

自分のカメラの技量を分かるだけに、

今回のことは、神様のなさった御業なのだなと感じざるをえない。



少年たちも森を、小さな生き物が、みんなで暮らしている場所だって、

知ってくれたらうれしいなと思う。


森の神様は、きっと次世代の守り人を、このような奇跡を

いろいろな場所で起こして、ちゃんと今から育てているから

心配する必要など無いのだと、私を安心させてくれたのではないかと思う。


私にとって、このコゲラの写真は、初めて人に喜んでいただけた、

心揺さぶる一枚である。



雲雀(うんじゃく)


撮影 コゲラ (撮影日 2月24日)
by kotorihua | 2012-02-25 23:12 | 不思議な話
ジョウビタキの男の子
ジョウビタキの雄。
f0216489_23182297.jpg

やっと姿を見せて、カメラに写ってくれた。
f0216489_2319773.jpg

ムクドリの撮影時にも、茂みの中に、いるにはいたのだが、

姿を現さなかったのは、やはり遠慮してのことであったのだろう。

小鳥たちには、そのような思いやりや礼儀、慎みの気持ちがある。

それが彼らを平和で幸せにしている秘訣なのであると思う。


ジョウビタキのすぐ近くではシジュウカラの夫婦が、

彼を応援してくれている。
f0216489_23193418.jpg

ジョウビタキも、いつもより頻繁に姿を見せてくれるのがうれしい。
f0216489_2320835.jpg

f0216489_23204387.jpg

空き地では、ハクセキレイも、ムクドリも、キジバトもいる。

みんなと一緒だから安心なのであろう。
f0216489_2321302.jpg

姿を見せてくれるけれど、私はまだカメラの初心者なので、

敏捷な小鳥を写す技量がない。これからの課題である。
f0216489_23221135.jpg

実は、ジョウビタキのことで、とてもうれしいことがあった。

先日公民館の近くで見かけた女の子のジョウビタキに、

我が家の近くには、男の子がいるよと告げてから、

我が家に遊びに来てくれたのだけれども、

なんと、毎日二羽で一緒に空き地で遊んでいる姿を見かけるようになった。

女の子の方も必ず、私もいるのよと、かわいらしい姿を見せてくれる。

本当にうれしいことである。
f0216489_23225253.jpg

彼らジョウビタキも冬を日本で過ごす渡り鳥である。



雲雀(うんじゃく)



撮影 ジョウビタキ、シジュウカラ、ハクセキレイ 

(撮影日 2月25日)
by kotorihua | 2012-02-25 23:11 | 身近な小鳥たち



古えの奥義・天の鳥船と伝説の小鳥たち