カテゴリ:幸せのみつけ方( 23 )
初夏のきざしのなかで
ゴールデンウィークの、入り口の日、

森には、自然界には、一足早く夏が来た。


早朝の森で、夏の神様を宿したアオゲラさんが、

奥深い森から、婚姻や子育てのために、

森と街との界に出てくる。その日が夏の始まりの日。


近頃、毎日のように訪ねる、近所の桑の木さん。

若葉が勢いよく茂り、とげとげの、

青くてまだ固い実をつけているのだけれど、

この日に限って、“今日(今朝)は、ここに来てはだめだよ。”と、

スズメさんが伝えてくださった。


私は、少しだけ残念な気持ちを持ちつつも、

自然界のおっしゃる通りに、素直に従った。



昼には、初夏の日差しの下で、パンや、ドリンクなどの、

軽いランチをいただいた。出来合いの、

素朴なものばかりなのに、本当に本当においしい。

一口一口に、幸せな気持ちが広がって、

オーラまで、喜びを奏でている。


昼下がりに、自宅へ戻ると、スズメさんが、私に外へ出るようにと、

呼んでくださった。一度目は、気のせいかなと、思ったのだけれど、

二度目に呼んでくださったとき、いつもの桑の木さんを訪ねた。


伸びやかに育って、傘のように生い茂る桑の木の下で、

枝葉の中に隠れるかのように佇むと、

なんだか本当にすがすがしく、ほのかに甘酸っぱい、

爽やかな香りがすることに気がついた。

実り始めの苺の香りに、柑橘の香りを乗せたような・・・

見上げると、桑の実のいくつかが、ほんのりと色づいていた。

今日になって気がついた。


そしてなんと、いくつかの葉の裏や、実に近い柔らかな茎に、

まるで、小鳥さんの白い羽毛や、白いカビのように見えるものが、

そよ風に羽毛が揺れているかのように、ゆらゆらとたなびいている。


それは、昆虫、アオバハゴロモさんの卵だった。


早朝に、ここで、昆虫さんたちの結婚が行われていたに違いない。

だから、今朝は私に、ここへ来てはダメだと、

自然界は、伝えてくださったのだったと知った。


アオバハゴロモさんは、人に、天を舞う力を授けてくださる。

それは、オーラが奏でる喜びや、心地よさ。


今日の昼食で、与えられた、口に広がる、天を舞うような喜びは、

アオバハゴロモさんが、そして、小鳥さんたち自然界が下さった、

大切なものだと知った。



みつ花




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by kotorihua | 2018-04-28 16:59 | 幸せのみつけ方
季節の森
先日、一人で森を訪れてみました。
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その日は、ずっと曇り空だったのですが、森の近くまで来たときに、

ちょうど厚い雲が晴れて、陽がさしてきまして、

それがあまりにも素敵なので、来てよかったと思いました。
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光が、差し込み始めたばかりの花園です。
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紅葉が素晴らしいです。
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樹木さんたちも、紅葉がはじまりました♪
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森のこずえのキジバトさん。
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みつ花
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by kotorihua | 2012-11-15 17:18 | 幸せのみつけ方
小さな旅
早朝の散歩道。

シジュウカラの元気なさえずりで、心身ともに目覚めてゆく。
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適度な陽射しと、適度な雨が交互に降りそそぐので、

樹木はとても元気に伸びている
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並木道も、こんなに青葉が生い茂るようになった。

桜が咲いていたときと、同じ場所だとは思えないくらいに変化した。
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並木道にそって歩いてゆくと、

ひんやりとした、すがすがしい空気を感じて、

樹木が、空気を清めてくださっていることが、本当によくわかる。


朝の散歩はいつも、避暑地の高原を歩いているみたいに、

心地よく感じる。相当、リッチな気分になる。

人よりも多く得をしている気がしてくるから本当に不思議なのである。


外のベンチで朝食をとることもある。

陽射しがとても気持ちがいい。



桐の若葉が奇麗だった。
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春に淡いピンク色の花をつけていた梅の枝が、

大きな青い実をつけているのに気が付いた。
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午後、買い物へ向かう道、

森まで立ち寄ってみることにした。

花を咲かせたミズキが、素晴らしくきれいだった。
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いつもの森で、空を見上げると、また、違った森の姿が瞳に映る。
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人生は、日々が、小さな旅の積み重ねなのかもしれない。
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雲の質感も、天気によって随分と変わる。

その一つ一つを見極めて行けば、ニュースを見なくても、

上空の空気の温度さえも、感じられるようになるだろう。



帰り道で、子育てに奮闘している、

かわいらしい小鳥たちに会った。
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お忙しい中で、こうして写真に写ってくださった。
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彼らは、雛たちにとって、頼れる親鳥であるが、

こうしてかわいい♪といわれる時間があることは、

何かしら、人生で励みになったりはしないだろうか、と、

私という者の存在価値を、自分で付加してみる♪
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どの写真も、本当に一瞬の出来事で、

彼らと過ごしたのは、本当にわずかではあるが、

今日は、心が通じ合って、一瞬の姿を写真にとどめさせてくれた。


私には、この一瞬で、どんな日々の疲れも癒されてしまう。

本当に嬉しくてたまらないのである。


雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-05-12 18:31 | 幸せのみつけ方
南天の葉に灯る光
柔らかい日差しとなった、夏の夕日に照らされて、

庭の植え込みの、その一角だけがとても明るい。
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そういう光の瞬間が、とても好きである。


植物たちが、光の香りを求めて、

思いの向かう矛先を伸ばし、

命の気配が、一斉にそこに集まっているように感じる。
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この庭の南天は、昨年精霊が宿って、

助けてくださった、心通う南天の木である。
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窓からは隔てなく見えるのだが、私の区画の植物ではないので、

持ち主が枝をおろすときには、何も言ってあげることができなくて、

私自身苦悩したのだった。


それでも自然界は、その木に精霊が宿っていると、

私が直接人に言うことを許してはくれない。


一人一人が、いつの日か自ら気がつくその日まで、

私は、その苦悩を越えて、受け入れて、

分からない人々の存在を、わからないままで受け入れるという、

もっと摂理に近いところまで、鍛錬させられているのだとわかる。


とてもうれしいのは、自然界は強く、協力し合う結束があり、

お日様も味方であり、雨も味方である。

南天の木の精霊の力は、夏の光とともに、

知性と意識を増してゆくように思えるので、

私は安堵しているのである。
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思いは伝わっているのか、

翌朝の夢の中に、南天の精霊が現れて、

とても大切な言葉を伝えてくださった。


その言葉は、改めて、「古今伝授」のカテゴリーで

紹介させていただこうと思う。


雲雀(うんじゃく)


参考
「陽(ひ)の光」(古今伝授)
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by kotorihua | 2012-05-12 14:12 | 幸せのみつけ方
余花(よか) ~春から夏へ~
「余花(よか)」の意味は、初夏になってなお、

残って咲いている桜の花だそうである。
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それを寂しいと感じるか、嬉しかった名残と取るか、

人それぞれであろうと思う。


私の写した写真に残る桜の花も、余花というのであろうか。。。

後に残されたこの花の輝きは、自然界からの贈り物であると、

心からの感謝の気持ちがあふれてくるので、

私は余花という言葉が、なんだか好きだな、と思う。
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こちらはカラス。
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カラスたちは、桜の花の盛りが終わるころ、

一週間にも及ぶ、根くらべ(コンクラーベ)をする。


その年の力の序列を決めたり、テリトリーを決めたり、

年によっては、長を決めたり、近隣の広い地区から、

他のカラスも集まって、様々な取り決めが行われる。


また、年頃を迎えたカラスは、一生添い遂げる伴侶を探して、

ときには、男同士の力比べのために、命がけで戦う。

未明の朝方から、夕方遅い時間まで、

カラスたちの激しい声が、周囲に絶えることがなかったが、

この季節独特のもであるので、人も温かく見守っていてほしいと思う。
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カラスの鳴き声には、邪を払う力がある。

人々は、邪が現れるとカラスが鳴くので、真実を知らない人々は、

カラスを恐れるようになってしまった。

しかし、カラスは邪を追い払うために鳴くので、

誤解はしないでほしいと思う。
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いつも本当におとなしいし、かわいい顔をしている。

彼らは力がありながら、慎ましく生きている立派な存在なのである。


こちらは、早咲きの桜が、実をつけ始めた姿。

まさしく余花残る中での、次の季節の到来を感じさせてくれる。
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この枝にも、春、不思議な光が、たくさん写ってくださったのだった。
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雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-05-01 18:46 | 幸せのみつけ方
難を、良きことに転換してしまう「ヤツデ」
大難を小難に、小難を無難にするヤツデですが、

実はどうやらそれだけではなく、

良くないことも、良いことに転じてしまう、

とてもすごい力があることを、最近知りました。


人様に、わかっていただけるかどうか、

ちゃんと、誤解無くお伝えできますかどうか、わかりかねますが、

植物が、人へ深い思いやりと、高い知性を持つこと、

をお伝えしたいと思うとともに、


人の「生きる」ということの深い意味と、

生きることの喜びにもつながることだと思うので、

私事ながら、あえて、お伝えさせていただきたいと思います。


***


「プレゼント」



私は、最近、とってもおいしいマカロンという食べ物に、

ものすごくはまっていました。

この上ない軽い衣のような、フランス生まれのお菓子です♪


割と、洋菓子などは、なるべく記念日のみにとどめ、

和菓子などの甘いものも、食べるときには、

一日に一個にとどめ、小鳥さんに教えていただいた通り、

日々、節度をもって食していたのです。


しかしマカロンに出会ってからは、一つずつではありますが、

毎日マカロンだけを食べるようになってしまって、、、

ある日の夢で、精霊さんに、「バニラ科にやられている」と、

診断されてしまいました。


バニラは、通常バニラビーンズは高級なので、

エッセンスに抽出されて使うことが多いようです。

お菓子作りに使う、バニラエッセンスです。


しかし、実は高級という理由からだけではなくて、

たばこやアルコールなどと同じように、

バニラビーンズには、常習性のようなものがあり、

古代から、それをなるべく避けるためにも、

種ではなく、抽出物をおもに利用する、

という方法がとられていたことを精霊さんによって、知りました。


そのことを精霊に伝えられてからは、

私は、一度もマカロンを食べていなかったのです。


大好きなものなのに、やめてしまうことを、

「ヤツデ」や、小鳥のオナガさんや、ヒヨドリさんが、

非常に残念に思ってくださって、

それを食べるようにと、夢の中で教えてくださいました。



人は、右に行き過ぎ、それが良くないとわかれば、

正反対の左に行ってしまいます。

そして、お互いがお互いの善悪をせめぎたてているのです。


でも、本当にバランスのとれた大人というのは、

その、ほどほどをわきまえて、常にどちらをも、

たしなむのみに、押さえることを会得します。


そのことが、自然界から求められている、

人間の心と生き方の成長なのだそうです。


知らず知らずのうちに過剰摂取、そして抑制、というのは、

ほどほどを学びとる中で、やはり誰もが体験するべく、

必要なことなのかもしれません。


自然界の生き物は、常にほどほどをわきまえて行動しています。

楽しみは、ちゃんと楽しむ。

でも、常に慎みを忘れない。


その振る舞いは、とても無邪気で、見ていてこちらも幸せになります。


植物を自宅に植えるということも、

本当はいけないことかもしれないけれど、、、

決してダメ一辺倒のみではなくて、

人と植物とが、心通じ合えば、良くないことであっても、

とっても良いことに変わってしまうのが、人生なのだと、

ヤツデや小鳥は今回、教えてくださいました。


植物は、人にも命にも、幸せに、そして楽しく生きてほしいと、

こんなにも深く願ってくださっているのです。


そのように、私が自分自身に禁止しようとしたマカロンのみならず、

いくつかの節制している食べ物のこと、行きたい温泉のことなどの、

暮らしに関するいくつかを、「必ずして下さいね」と、

逆に約束されてしまいました。



自分に禁じたこと、というのは、いつか取り去り、

もっと自由に、そしてもっと自然に、振舞う道を学び取るのでしょう。

植物さんや、小鳥さんに導かれて、楽しく自分らしく生きれたら、

この現実もまた、楽園なのだと。


常にここを楽園だと思って生きているけれど、神様というのは、

いつも、思う以上に、願う以上に、大きなプレゼントをくださるのです。


幸せを願うオナガの飛翔。
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植物と人との懸け橋ヒヨドリの飛翔。
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どなたかが、昔植えてくださった、立派に成長した「ヤツデ」。
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このヤツデが、今私をとても幸せにしてくださっている。

そして、人に与えた幸せは、からず巡り巡って、その方にも返り、、、


雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-04-25 10:27 | 幸せのみつけ方
大難を小難にするヤツデの働き
昔から、日本の庭に植えられている植物には、

今の人が忘れてしまっている、深い縁起がある。


今の人は、植物の形とか、かもしだす雰囲気とか、

建築物のデザインによって、植える植物を、

自分自身の好悪の判断意思によって、決めることが多い。


しかし、自分自身で物事を選ぶ、というのは、

本来摂理の中には存在しないことである。


私たちは、生まれる両親を選ぶことができないし、

生を終える時期も選ぶことはできない。

そして、選ぶことができないからこそ、

本当に理にかなった場所に、理にかなった時期に、

摂理は物事を運んでゆく。


本来植物は、命である。

だから、人間の意志決定で、彼らを植えたり、

移動させたりすることは、実は、幸せからはもっとも遠く離れてゆく。

そのことは、心のどこかに覚えておいてほしいと思う。


それでも、日本人は、庭園を造り、

縁起の良い木を植えた理由というのは、

自分たちの暮らしに、生活に、神とともにあることや、

天使である小鳥たちを、呼び込み、

彼らの住まう環境を整えてきたことに、由来するのである。


その時、人は、自分の幸せを考えるよりも、天使たち小鳥の、

住まう場所、生きる場所を確保することを優先したのであろうと思う。


何かをするとき、それが自分のためか、誰かや、何かのためか、

そして、摂理に運ばれて物事をしたのか、

同じことであっても、呼び込む結果には、大きな差が出る。


本来は、摂理の声を聞き、神々の求める声に従って生きていれば、

何も心配する必要はない。


しかし人間であれば、知らず知らずのうちに、

摂理に反した行動を起してしまうものである。


そのような時、「ヤツデ」という植物は、

人間が間違えたことによって返ってくる結果の、

大難を小難に、小難を無難にと、

わざわいを、小さく小分けにすることで、わざわいでは無いものに、

変換してくださる力を持った植物である。


間違った母性によって、天へ帰ることができなかった、

自分自身の魂の一部を、帰れるようにするということは、

内側に抱えていた「同じもの」を、外側に追い出し、

一度、それを現実の世界で見ることとなる。


その時に、間違いが大きければ、大きいほど、

難やわざわいとなって返ってくることも、あるようである。

私にとっては、心配することや、間違った母性が、「難」として、

自分自身に返ってくるものとなったようであった。



ヒヨドリが、嬉しそうに「ヤツデ」を食べてくださる。
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「難」も小さく八つに分けてしまえば、難なく越えられる、

心配はいらないよ。

そういって、天使の本領を発揮してくださるのである♪
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それからというもの、右手に、毎日一つずつ、小さな怪我をする。

小さなとげが刺さる。とか、小さな点のようなやけど、

一ミリほどの擦り傷など。

八つ、手に受けて、難を逃れるから、ヤツデ。

そのおかげで、借金となっている「難」が消えてくださるから、

本当にありがたいことなのである。
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この地球をはじめとする、宇宙の摂理は、確かに厳しいものがあり、

自分でしたことの結果は、追わなくてはならないものである。

しかし、同時にこの地球や大自然は、私たちの親であり、

守ってくださる愛そのものである。


雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-04-24 08:47 | 幸せのみつけ方
黄金に染まる森
黄金色の森、蜜(みつ)色の森。
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真実の世界で、白梅の実らせる実が、白玉や真珠であるとしたら、

桜の花の咲く時に、自然界の神々は、真実の世界に、

「蜜(みつ)」という、黄金色に輝く光の花を咲かせる。
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蜜(みつ)色に輝く花は、すべてを金色に染めてゆく。

あふれる幸せ。
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蜜(みつ)は、ある次元では光の華でありながら、

また違う次元では、柑橘類の果実となる。
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蜜色にすべてが染まるとき、生き物たちは、

満ち足りた幸せで心満たされる。
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魂たちの住まう黄金の都、黄金の都市エルドラド、黄金の島ジパング、

世界中に伝わる、黄金の都市伝説は、

すべて自然界の神々の働きによって生み出されるものである。



***


こちらは森の神カラス。
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特別な日は、森の入り口で迎えてくださる。


神々が森に降臨されることを、先駆けて告げてくださるカラスは、

古い時代に「御先(みさき)」と呼ばれていて、

古代の日本人は、カラスのその働きをよく理解し、

彼らを大切にし、尊んだ。


「ミサキ」には、いろいろな意味があるが、

カラスたちは、「美咲(みさき)」と表現されることを喜ぶ。


神々の世界に咲く花は、神の実をつけるので、

とても縁起がいい。



カラスのすぐそばには、ムクドリもいて、
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この日はムクドリも、とても大切な働きをしてくださっていたということが、

今はわかる。


森へ向かう道すがら、なぜか何を見ても本当に美しく見えて、

とても不思議だった。


久しぶりにコジュケイにも出会えたので、嬉しかった。
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コジュケイのそばには、ヒヨドリもオナガもいた。
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みな思い思いに飛んだり、森の奥へと移動をしたり、

ごく普通の日々のように思えた。
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何か特別なことが起きたかというと、決してそうではない。

写真に写すものも、みな普通の植物なのである。
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この日は、主人も少し時間ができて、

一緒にカメラ持参で森へ来てくれた。



しばらく思い思いに写真を撮っていると、

突然主人が、植物が奇麗だ奇麗だと、連呼している。


「みてごらん」、「すごいよ」、「こんなに奇麗だったんだ」。と、

顔を輝かせていた。

私は、その姿にうなずいていた。


この森で、以前コゲラの写真を撮ったときに、小学生の男の子に、

「すごいよ」と感動されたことが頭の中に浮かんでいた。


主人が、あの日の少年と同じように見えた。

とても嬉しかった。

私は今まで、主人に、この美しさのことを伝えたかったのだと、

思った。


すると、ムクドリが木の枝に飛んできてさえずる。
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小鳥たちは、人間に何かを伝えたいとき、

よくその枝に止まる。

私は、目を静かにつむると、またムクドリがさえずり、

頭の上に、黄金色の光の花が咲いて、花びらが揺れているのが見えた。

お日様の光彩が揺らめくときのように、そよ風に揺れているかのように。


ムクドリはそれを「蜜(みつ)」という花であると、教えてくださった。



また植物の写真を撮り始めると、私は無意識に、ふとつぶやいていた。

「あれ、なんでこんなに奇麗なんだろう」。

植物は、今までよりもっともっと、美しく輝いてみえた。


なんだろう、植物の方から写真に写ってくださっているのがわかる。

黄金の光を受けて、キラキラしている、そのような感じがした。


人が感じる美しさには、人の数だけあると思う。

またその時々で違うと思う。


先ほどの主人の感動は、普段から私が伝えたい感動を越えて、

もっと、蜜色に輝いていた特別なものだったのかもしれない。


私は、神様の存在することの、素晴らしさを深く感じるのである。


人に何かを伝えたいと思うこと、誰かに何かを与えたいと思うこと、

それは巡り巡って、自然界を通して、神々を通して、

さらに自分自身のもとへ、豊かになって返ってくるのだ。


神様は、この宇宙の、本当に素晴らしい真理を、

こうして伝えてくださったのだと思う。


こんなにも、こんなにも、植物も小鳥も、

今まで知っている以上に、本当に奇麗だった。
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雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-04-18 22:04 | 幸せのみつけ方
桜を追いかけて ~嵐に思うこと~
桜の花の写真が、たくさんたまっているなかで、

少しずつアップしていこうと思う。


このような日々にも、私にもいろいろなことがあった。

時系列ではわからなかったことも、

こうして時間をおいて振り返ってみると、良くわかることがある。

「桜を追いかけて」シリーズの続きでありながら、

つながっていないこともあるし、タイムリーな記事も毎日書いてはいたので、

読んでくださる方々には、わかりにくいかもしれないが、

雰囲気を感じていただければと思う。



***


開花を見守ってきた早咲きの桜が、開花した。

しかし、翌日(3月30日)は、嵐のような強風が吹いて、

私は花が心配で、朝早い時間に桜を見に行った。
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カメラを向けると、小鳥か樹木の誰かが写真を撮るなと、

心の中でつぶやく。

けれどその時は、なぜいけないのかということが、よくわからなかった。
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心配で来ては見たものの、桜は風の中で、しなやかに枝を揺らしていて、

花びら一枚も、そこねていない様子であった。


ムクドリも強い風の中、桜のそばの電線にじっとしている。

この時は、ムクドリも桜を心配しているのであろうと、

そのように思ったのだが、実際はまったく違っていたのである。
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心配をすることと、励ますことは、

実は天と地ほどの差がある、と言うことを、

私はこの日からずいぶんと長く、学ばされたのであった。


彼らには、「情」という低次元の感情はない。

彼らには、種族が持つ固有の「自然」という、調和だけがある。


午後には、山桜の方へ訪ねると、ヒヨドリが強風の中で、

バランスを取りながら、樹木に止まっていた。
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風をよけるために、大きな建物の壁側にある樹木の上にいて、

強風の中やって来た私に気が付いてからは、電線に止まっていた。
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じっと見ていてくれているけれど、この頃から、私に対して、

少しずつ小鳥たちの様子が変化していった。


山桜は、この日、「何が起きても心配はいらない。必ず助けはある。」と、

私に、とても不思議なことを言ったのであった。


こうして、翌日から、小鳥たちによる「子(人間)育て」の、また次の段階へと、

私は進まされていったのである。

つづく。


雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-04-13 21:43 | 幸せのみつけ方
集落のはずれでたたずむ道祖神
男女の和合というのは、とても難しいことである。

大自然の神々は、本当にその難しさをよく知っている。


夫と仲良くすることさえ、無理であり、嫌悪感すら感じる、

という人もたくさんいることを知っているし、


また、男女間のちょっとした感情の行き違いで、

「ふん」と、ふてくされてしまい、その感情をどうしても

抑えることができない、ということも知っている。


そして、頑張ろうと努力する人のことや、幸せそうに見える人を、

うらやましがったり、ねたむ気持ちが、抑えられないことも、

その苦しい怒りの気持ちが、自分のものだと信じたくない気持ちも、

本当に、自然界の神々は、よくわかっているのである。


男女和合の大切さは、日本人の民間信仰の中で、

古い時代から長きにわたって、受け継がれてきていた。


集落の出入り口にひっそりとただずむ「道祖神」、なども、

古い時代の大自然の神々の教えを、形に残したものが、

石像となって伝わっているのであるが、


本来は、尊い神々からの良きアドバイスとなる教訓も、

ともに伝えられていたのであるが、今は失われて久しい。



たとえ、人間の男女間で、和合が不可能であったとしても、

どうかあきらめたり、悲しまないでいてほしいと思う。


大自然である神々との和合だけは、

大切に心に持ち続けてほしいと思う。


自分自身の「信じるという気持ち」が、

自分自身の魂を、自ら清めるのであるという。

神々は、信じる純粋な魂に宿り、

そのものを導くことができる。


聖母のような女性たちの苦しみは、必ず癒される日が来る。


それまで、「必ず救いは来ると、信じることである」と、

神様は、教えてくださいました。


岩にしがみついてでも、救いを信じろ。と、

その「信じること」の大切さが、古代から道端の石像に、

「道祖神」として刻まれていたそうです。


集落から、飛び出して、命を投げ出そうとする人や、

家を飛び出して、家族と離れようとする人、

そのような人が、集落のはずれの、人のいないところで、

「道祖神」を、ふと見たときに、

神の救いは必ずやってくると、信じる気持ちを

もう一度、思い出させるために、

神様は、石を彫らせたのだそうです。


救いは必ず来るし、

それを願っている人がたくさんいる。


そして、必ず助かってほしいと、

心から願っている人々や存在が、周りにはたくさんいるということを、

忘れないでいてほしいと思う。


私たちは、死んでも死なない。

日本人はそういう民族なのである。


日本人は、古代に、神々と同じ、永遠の生命の実を、

先祖が食べたがゆえに、魂も肉体も永遠なのである。


肉体は変化しても、魂は決して変わることはない。


だからこそ、必ず、魂の伴侶である神は、

この世界のどこかに存在していて、

いつもともにありたいと、願っていてくださっているのである。


片割れがいるということは、片方が苦しいときは、

もう片方も苦しんでいるのである。


だから、必ず神様は救いに来てくださると、

信じて待っていてほしいと思う。
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雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-04-01 08:35 | 幸せのみつけ方



古えの奥義・天の鳥船と伝説の小鳥たち
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