カテゴリ:森のジュエル昆虫( 10 )
「思いの力学」~家に住まうクモさんの存在意義~3
特に、日本では、お彼岸の頃から、

人間の世界には、精神的に、意識的に、

不調和なことが起こりやすい、

そのような、期間というものが存在します。


また、同じ日本であっても、

日本は、南から北へ、東から西へと、

S字の曲線を描いて、長く、広く伸びているので、

季節が、生命エネルギーを運んでくる時期、というものは、

桜の開花前線というものが存在するように、

微妙に、各所に、ずれが生じるのです。


また、それと同じように、

世界中のどこの地区であっても、

この時期、何らかの不調和が、起こりやすかったり、

それゆえに、お祭りをしたり、

何らかの行事をする地区というのは、

世界各地で、古くからあることなのだと思います。


各地、緯度も、経度も違いますし、

また、気候や、地形も違うのですから、

そのように、生命のエネルギーが、

その土地に住まう人間に、働きかける時期というものも、

各地すべてに、違いがあって、当然であると思います。


地球という生命体というのは、

杓子定規のように、南だから暑いですとか、

北だから寒いなどと、ロジカルに表現できるものではなく、


球体である上に、最差運動もあり、

さらに、固体だけでなく、水分という、海水や、

気体、という大気を身にまとっていますので、


人間が単純に思い考えつくような、

人間であれば、こうなる、であるとか、

この温度であれば、こうである、などという、

理論の、枠の中にあてはめられた、法則ではなく、

ましてや、すべてがいつも同じように、

同じ時を刻んでいる、人間世界の時計とは、

まったく違う、標(しめし・しめ木)の中にあります。



たとえるなら、それは、まるで、

鮮やかな極彩色の、グラデーションのように、

フランス刺繍の、多彩で繊細な色彩の、

グラデーションのように、ふくよかな、

豊な、標示であり、


時計とは、まさに花が咲く植物さんや、

実りを迎える実が、しめ木となり、時を告げるように、

繊細で優美な時を刻んでいるのが、

この、地球の生命体という、

命の、揺らぎの中にある、

優しい古代の時間計(じかんけい)なのです。


とても、不思議なことがあります。

たとえば、春なのに、もうすでに実を結ぶ、

イチゴ、木苺、小さな蛇イチゴまで、


時には、遠く離れた場所に訪れる、

生命エネルギー流が、今地球の、どの地域にあるのか、

実りによって、正確に伝えてくれることがあります。


あるいは、冬に実るレモンや、

色づく、温州みかんなどの柑橘、

さらには、一度色づいて、もう一度緑色になり、

再び、黄金色に変わる、橙の実

(西洋ではマーマレード用の柑橘)などもあります。


自然界の生き物の種の、全員のまなざしで、

自然界を優しく見つめるとき、

彼ら生き物は、自分の住まう土地だけでなく、

仲間たちの住む、すべての土地が、

清らかで、幸せで、豊かであってほしいと、

心から、温かく見守ってくださっていることを知るのです。


タペストリーを織るように、

命は、地球という、美しい世界に、

植物さんの花や実で、

素敵な衣を、まとわせてあげたいと、

心から願っているのです。


人が、自然と一体となって生きるとき、

この地球という存在、そして、

地上の、すべての自然界の命が、

優しく、優美な存在であることを知り、

これからは、もっと、今以上に人々が、

彼らに対して、失礼の無いように振舞うことが大切です。


この聖なる星、清らかな宇宙の中の、

純粋な命の、守り手として、

そして、彼ら神々の子供たちとして、

守られ、存在できることの誇りを、

神とともに、今、生きていることを、

心から深く、感じずにはいられなくなるものです。


そのような、生命から流れてくる、

命の躍動のエネルギーは、彼らと同じように、

立派な自然界の一員となれたときに、

初めて、真に、同調できるのです。

その同調ゆえに、偉大な恩恵が注がれるのです。


人間の世界の多くが、今、

崇高な、精神性をなくしてしまったので、

この、素晴らしい、

季節という神がもたらしてくださる恩恵に、

多くの人が、預かれなくなっているのです。


では、この、繊細な生命がもたらしている

エネルギーというものに、

どのように、崇高な存在となるべく、

心を同調させていったらよいのか、という課題を、

これから、お伝えしてゆこうと思います。


つづく


みつ花






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by kotorihua | 2018-10-10 16:25 | 森のジュエル昆虫
「思いの力学」~家に住まうクモさんの存在意義~2
意識は、本来良いものを(特に、神々自然界のものを)、

悪いと思ってしまったり、あるいは逆に、

良くないものを、良いと思ってしまったりすると、


天に預けてある、光の玉が、

下に落ちてしまうことがあります。


また、人の噂話をしたり、悪く言ったりすると、

それが、例え本当のことであっても、

人体の左側に落ちてしまったり、


あるいは、他者への苛立ち、不満、不安感、

生活習慣に対する、些細な嫌悪感など、

そのようなものは、人体の、

右に落ちてしまったりするのです。


左右、これはあくまでも方便ですが、そのように、

人間の持ち合わせている、意識というものは、

何らかの要因によって、簡単に磁力を帯びて、

巨大な想念帯、集合無意識、それを重力と呼ぶならば、

そのようなものに、簡単に着地、そして、

吸着され、そこに、埋没してしまいやすいのです。


本来、水平のバランスを保っていなくては、

飛行機というものは、空を飛ぶことができないように、

人の些細な思い、そのようなものが、

引力となって、ブレーキとなり、

人生に多大な影響を及ぼしています。


自分自身の怒りや、不満、不安などは、

ちょっとしたものは、

体にその反応が出ることがあります。


にきび、吹き出物、ものもらい、ほくろ、

しみ、そばかす、などなど、


つまり逆に、これらの要因を避けると、

いつまでも若々しい状態を保つことができます。


また、かなり思いの状態の、激しいもの、

重いものは、災難として、子に出たり、夫に出たり、

友人やご近所の、身近な人に、

まるで、それらの状態を映す鏡であるかのように、

問題点や、いざこざ、些細な心のすれ違いなどの、

現象として、結果が生じてしまうものなのです。



天秤や、シーソー、古くは、やじろべいなどのように、

古くから、なんらかに作られた玩具、道具、

それらは、時には、人の想念の神秘を、意識の世界を、

見えるものとして、表しているものが多いのです。


人間は、頑張って、この三次元世界で生きてゆくなかで、

心や魂を磨き、そして、生活が律されて、

シンプルになってゆく中で、


さらにそれらが、家事や仕事、勉強という、

避けては通れない、しなくてはならない、

日々の働きから、多くのことを学び、

やがて、すべてが、楽しい遊びとなるまで、

無心に頑張ることで、


天秤や、やじろべいのように、

水平のバランスをとるということが、

どのような境地をいうのか、ということを、

悟ってゆくのです。


天秤や、シーソー、やじろべいが、

傾く瞬間をつかんで、その行動や、思念から、

即逃げることは、とても大切です。


考え事、判断、疑心暗鬼、不安感、

ふっとした意識の隙間に、視覚が捕らえたもの、

あるいは、自分とはあまり関係の無いことで、

判断するということから、つまり、

人間のいうところの、通常の意識の働きから、

一目散に逃げるのです。


完全に、バランスを取ることを会得してゆくと、

神様は、すっと、その人の魂を、

天に、召し上げてくださるのです。


そうすると、日常の、さまざまなことが、

うまく運ぶようになってくるのです。



また、ひとつの考察として。


古代の人間には、虫歯というものは、

一本も存在していなかったのに、

現代の人の多くが、虫歯を患っています。


なぜ、古代には存在しなかった病が、

現代では、まるでそれが当たり前であるかのように、

存在してしまうのでしょうか。


そのひとつの要因として、考えられるものに、

特に、現代の人間には、

「危険な季節」というものが存在します。


それは、意外にも、自然界にとっては、

恋の季節や、子育ての季節、という、

すばらしい季節の恵みであるのに、

人間にだけは、その生命の偉大な力が、

うまく喜びのラインを通らずに、

生命に、負の作用をすることがあるのです。


もちろん、生き物である人間にとっても、

気候的に、すばらしい季節ではあるのですが。


生命を生み出す、偉大な、崇高な、

自然のエネルギーの一部が、人間を通るとき、

ねじれてしまっていて、良くない作用を、

及ぼすようになってしまっているのです。


春と、秋、春秋。

その二つには、お彼岸という、

ある、重要な問題を、どう処すべきかという、

季節の標しの期間があるのです。


人間というのは、自然界から、

切り離されて存在するようになってしまって以来、

意識の中に、悪い働きをする、

蟲(磁力エネルギー体のようなもの)という存在を、

あてがわれてしまう、仕組みというものの中にあります。



現実の世界の、昆虫さんたちや、

爬虫類さんを含む、虫さんたち、

そして自然界の動植物さんや、生き物さんは、

人間の意識にあてがわれてしまう、

蟲を、駆除してくださったり、他の方向へ、

追いやってくださったりしているのです。


そして、どんなときでも、自然界を愛し、

師として、ともに生きる崇高な人々が、

間違った選択をしないように、導いてくださってる、

天の世界からの、使者なのです。



次回は、具体的に、日々、

どのようにバランスをとっていったらよいのか、

お伝えしようと思います。


つづく


みつ花






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by kotorihua | 2018-10-08 15:12 | 森のジュエル昆虫
「思いの力学」~家に暮らすクモさんの存在意義~1
人間の、暮らしの中で、何かの出来事について、

考えごとをしていたり、

何か、心配をしてしまったりすると、


ドーンと、何か重いものが、肩に、

のしかかることは、誰にでもあると思います。


それは、そのままにしておくと、

肩こりや、頭痛につながったりすると思うのですが。


私の場合は、小鳥さんや昆虫さん、樹木さんとの、

出会い以降は、すぐにその心配を手放す、という練習を、

してきたので、「心」はすぐに、軽さ、を取り戻しますが、

肉体や、オーラのようなエネルギー体が、

そのような、重みを一度受けると、


心は光速で軽さを取り戻せても、

肉体や、エネルギー体は(オーラや5次元など)は、

なかなか、その重みを取り戻すことが、

光のように、瞬時にとは行かないものです。


つまり、このような経験から、

心というのは、高次元に属しているのだということが、

わかります。


では、その、体や、オーラに受けた重みは、

どのように取り除けばよいのでしょうか。


ただ頑張って、今していることを、

一生懸命していると、たとえば、自転車をこいでいれば、

一生懸命に、自転車をこいでいると、

坂を上って、そして、頑張っていると、


通りの向こうから、小鳥さんが、さえずって、

声を掛けてくださるのですが、そうすると、

なんだか嬉しくなって、体や、自転車のペダルが、

軽くなってくるのです。


そうして、角を曲がると、

小鳥さんたちが、お姿を見せてくださり、

瞬時に、体や、オーラに受けた重みが、

吹っ飛んでしまうのです。


自然界からの、天からのギフトとして、

喜びを与えられるから、軽やかさを、

肉体の次元まで、及ばしていただけるのだと、

わかるのです。


心がけの良き者、くよくよせず、悩まず、

うらまず、他者を悪く言うこともない者、そして、

自然界を愛し、与えられている日々を、

深く感謝している者には、小鳥さんたち天使も、

そして、身の回りに住まう、

神々である、小さな生き物さんたちも、

ギフトを与えたいと、

思ってくださっていることを感じるのです。


心の軽身によって、飛翔の力は与えられます。

飛行機が飛び立つように、頑張る力は、

自分自身で駆動させながら、


離陸する浮力や、翼は、天が最高の時を、

選んで、与えてくださっているのです。


つづく


みつ花




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by kotorihua | 2018-10-05 07:56 | 森のジュエル昆虫
天界からの使者、クモさん
我が家の、古めかしく、広い仕事場には、

とてもかわいい、小さな、

クモさんの夫婦がいらっしゃる。


体長、1センチほどで、仕事場内を、

縦横無尽に、歩いてくださる。


六畳一間しかない、自宅にも、

一匹のクモさんが住んでいらっしゃるのだが、

小さな部屋に、私と主人が居ると、

安全には、動きにくいようで、

この子は、特別なとき以外は、

普段は、あまりお姿をお見せにならない。


そして、春の暖かい日に、窓辺の、

欄間の木枠に、小さな卵の一つ入った、

小さなクモの綿が、できていることに気がついた。


その日は、自然界の指示も無かったので、

そのままにしておくと、やがて初夏に、

その、クモの巣の綿の中から、3ミリほどの、

クモさんが一匹、ちょうど出てきて、

私の見ている前で、巣立っていったのでした。


この小さな赤ちゃんのクモさんは、

自然界の指示で、私が窓を開けて差し上げると、

すぐに、窓の外へ出て、雨戸の中にもぐりこんだのです。


このように、クモさんが居てくださるおかげで、

我が家の窓は、いつも、清潔に保たれているのです。


どうやら、クモさんにも、テリトリーがあって、

たくさんの固体で、競合しないようにと、

定数が保たれているようで、

人間は、何も心配しなくても、

大丈夫なのだと知ったのです。




さて、仕事場のほうはというと、部屋の数だけ、

クモさんを養うだけの、許容があるようで、

家族同然である、クモのご夫婦さんたちは、

今年、初めて赤ちゃんを披露してくださり、

本当に、その時の家族のお姿に、感動してしまい、

ペンを執ることとなりました。



立派で頼もしいお父さんのクモと、

賢い、お母さんのクモさんなのです。


私が、いつまでも、ブログを書かないでいると、

書くように、と促してくださったり、


さまざまなに起こる出来事について、

よく主人と話すように、手話で教えてくださったり、


そして、ブログを打つように、ということも、

この賢いクモさんは、口もとにある、

小さな触手を使って、

私のブラインドタッチをまねて、

デスク上にある、電気スタンドの台座の上を、

連打してくださるのです。


そして、乗り越えがたきを、乗り越えたときに、

彼らは、彼らのかわいい赤ちゃんを、

私にも見せてくださいました。



振る舞いに、慎重さと、慎ましさと、賢さが、

にじみ出ている、ご両親のクモさんと違って、

お子さんは、とても無邪気で、

かわいい子供の忍者のように、

一生懸命なまでに、敏捷で、楽しそうな振る舞いを、

披露してくださいます。


私が、掃除機をかけることがわかると、

本棚のガラス戸の、扉の内側に隠れる賢さを、

わざわざ披露してくださったり。


掃除が終わって、彼の様子を見に行くと、

扉から出てきて、

私が、中のものを取り出す用事があることも、

ちゃんと知ってるようで、


私が、扉をゆっくりと開くと、

細くて白い糸で、忍者のように扉にたれ下がり、

私が、そっと、中のものに手を掛けると、

この小さな忍者くんは、ジャンプして、

棚の脇の機材の上に、飛び乗ったのでした。


この、体長6ミリほどの、まるで、陽の気の中から、

飛び出してきたばかりのように、元気で無邪気な彼は、

今一番、この家を探検して楽しく遊んだり、

私が、お掃除をしたり、窓の開け閉めをすることを、

楽しい行事として、さまざまに、

逃げたり、隠れたりする様子を、見せてくださるのです。




翌日、また、私は、乗り越えがたきものを、

以前より短い時間で成し遂げることができるようになると、


クモさんは、もう一匹の赤ちゃんのクモさんを、

お披露目してくださいました。


前日の子に比べると、一回りほど小さくて、

動きも小さく、おとなしいのです。

この子を拝見してすぐに、前日と同じ子であると、

私は思い込んでしまっていて、

つい、どうして動かなくなってしまったのか、

小さくなってしまったのか、と、

心配してしまったのですが、


この小さなクモさんは、実は女の子の、

お姫様のクモさんだったのです。


もうすでに、前日の忍者くんと、

将来の結婚が決まっていらっしゃる、

フィアンセ同士なのでした。


そのことに気がついてから、

お母さんグモさんが、とても喜んで、

私のデスクの上で、どのような記事を書いたらよいのか、

深い次元から、指南してくださるようになりました。


女の子のお姫様のクモさんは、

女の子だということを、わかってもらえたことに、

安心して、(私も、心配の光線を出していないので)


私のお化粧のポーチや、手鏡や、中身をすべて、

デスク上の、コップに入れた後の、空のペンケースなどが、

無造作に入れてある小さなかごの中を、

楽しそうに、探検しているようでした。


男の子の方はというと、

今、窓辺のカーテンのあたりを散策中で、

多くのことを学んだり、

神様の世界のお仕事をなさりながら、

楽しく過ごしていらっしゃるようです。


命はみな、男の子は男の子の振る舞いを、

女の子は、女の子の振る舞いを、

学んでいらっしゃるようです。


みつ花





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by kotorihua | 2018-10-02 13:30 | 森のジュエル昆虫
夜のクモと朝のクモ
遠いおとぎ話の時代、

世界が、まだ、朝だとか、夜だとか、

西だとか、東だとか、いう、分離の無い時代、


魔法というものは、この宇宙空間で、

もっと、生命に優しいものとして、存在していました。



アジアという言葉の由来は、

ペルシャ語で、日が昇るところ、という意味。


ヨーロッパという言葉の意味は、

スカンジナビアの言語で、夜(ヨール)、

日の沈む処、夜の国と起源は始まります。


なぜ、アジアとペルシャが縁が深いのか。

それは、今の北極地帯の海が、氷に閉ざされてから、

世界をつなぐ海路が、アジアの豊な緑の資源や、

木の実(神様・果実)を届ける船が、

ペルシャ、エジプトの辺りを通らなければ、

ヨールの国に、光をともす樹木さんの実を、

届けることができなかったから。


夜の世界へ、木の実を届けることは、

自然界の願いでした。


自然界には、分離の意識など、

無いのですから。


すべての船は、紅い海、紅海をとおり、

断崖の岸辺を抜けて、ヨーロッパへ渡ったのです。


ヨールの蜘蛛は、夜の魔法を癒し、

アーサの蜘蛛は、朝の魔法を癒す。


世界中に、古い貨幣の共通の名が、

日本でも、一厘(りん)、一銭(せん)、

海外では、セント、リラ、リンギット、シリング、

もっと、古い時代を調べれば、同じように、

何らかの貨幣の共通の、存在意義のようなものが、

見えてくるはずなのです。


栗(クリ)、どんぐり、シイ、ハマグリ、アサリ、

貝殻が貨幣だった時代、

日本では取れない南洋の貝がらなどを、

通貨にしていたけれど、もっと古い時代は、

食べ物そのものが、共通の貨幣として、

東西、南北の、物質を交換し合う、

確かに、価値あるものだったのです。


おせんべいも、1セントと交換可能な、

船旅の長い旅路を支える、即、糧となる、

優秀な通貨だったのかも、知れない。


アジアのさまざまな国の、せんべいが、

大量に詰まれた、戻りの船は、故郷の港へ着くと、

食料としての、用がなくなるので、

港へつくと、異国土産のチップとして、

旅後の、さまざまな荷を運んでくれたり、

久しぶりの故郷の食事を給仕してくれる人々に、

大盤振る舞いに、配られたのかもしれない。



凍りついた、北極海の沿岸は、

かつては、凍らない海で、

多くの人がそこで暮らしていて、

たくさんの船が行きかっていた。


そこでは、南の、目印の星をたどって、

最短で、アジアへたどり着くことができる。


行きたい国の、一番最短距離を、

とることのできる岸辺に着くと、

ただ南へと、まっすぐに歩いてゆくだけで、

とある国の、とある場所へたどり着く。


そのような、示しとなる地名が、古名が記されていたら・・・

人は、この世界には、もっともっと、今の人が思う以上に、

何度も、世界がひとつであることを、

示す時代が、眠っているのだと思います。


世界がひとつになるには、

自然という、分離感の存在していない、

彼ら自然の法則を、人間も、

生きるということの、すべてにおいて、

指針にしてゆくといいのだと思います。


夜の蜘蛛も、朝の蜘蛛も、

現実に存在している生き物は、

人間の考えるような、人種とか、

さまざまな習慣や風習、固定概念をこえて、


もっと奥深い、命の根本につながるものを、

生命の免疫を、守るようなものを、

癒しているのです。


我が家で、ともに暮らす、

蜘蛛さんの家族と、その、次元を超えた、

時空を超えた働き、神業を、

次回はお伝えしようと思います。


みつ花





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by kotorihua | 2018-09-30 13:51 | 森のジュエル昆虫
蜂さんから学ぶ因果律
人には、時には、こちらを見ている人の目線に、

ふっと、気がつくことがある、敏感さがあります。


視界は、360度、どこへでも、

瞳を向けることが可能であるのに、

こちらを見ている人の、目を、正確に捉えて、

その視線、という線を、感受し、

人体は、正確に目的の方向を定め、

何もしなくても、自動的に、動いているのです。


このことを、不思議だな、と思ったことはありますか?



また、私は、逆の経験をしたことがあります。


私からの仕事の依頼を受けて、

目の前で作業をしてくれている人を、

ぼんやりと見守っていたときに、

その人の頭の上に、光の柱が昇って、

その人の、卵型のオーラに接続されると、

作業は波に乗って進み、はかどっています。


私は、その現象自体を、すごいな。と思い、

すごいことがあり、そして、すごい人がいるんだ。と、

感動したのです。


その瞬間に、

私のオーラから、何らかのエネルギーが発せられて、

相手の、ちょうど目を向けている、手元あたりに届くと、

その人は、手を止めて、ふっと、こちらに顔を向けたので、

ぴったりと、目線があったのです。


その時の私は、たぶん、

作業の邪魔をして、ごめんなさい、と言い、

また、仕事を続けていただいたのですが。


丁寧な、いい仕事をする。まじめに向き合う。

そういうものから受けた感動というのは、

ちゃんと、相手の会社の方に、

伝えたことがありました。


目線が合うというのは、

見えない世界というものが、

人間には気がつかないだけで、常に存在し、


体や、魂には、そして心には、

しっかりと、存在となって、見えている。


人間の目には、いつも見えているわけではないけれど、

自然界の目には、いつも見えているので、

自然界は、いつでも、そこに幸せの素を与えるという、

神なる働きかけが、可能なのです。


神様の世界である、蜂の巣、という、大変貴重なものを、

自分の敷地や、生活の場に、授かるとき、

それは、人生が、一段も二段も、アップして、

上に、引き上げられる準備が整っていることを意味します。


人は、蜂さんが巣を作った場所では、

蜂さんを驚かさないように、静かに移動しますし、

窓の開け閉めや、戸の閉め方など、

細心の注意を払い、丁寧に動作するようになります。


雨戸の開け閉めも、しないようになり、

部屋での歩き方も、おとなしく、

また、子供がいれば、そのように振舞うことを、

きちんとしつけてゆきます。


決して、巣を突っついたり、

のぞいたり、触れたりすることのないように、

教えてゆくのです。


そして、そのしつけは、子供たちが世間へ出たときの、

人への、良い振舞い方へと、つながってゆくのです。



そうすると、人というのは、案外、

部屋を無意識に、ばたばたと歩いて、

下の階に住む方に、不快な思いをさせてしまっていたり、

雨戸の開け閉めや、戸の閉め方などが、

近隣の人や、家族、職場の人などに、

たびたび、嫌な思いをさせていたかもしれないこと、

もしかしたら、何らかのトラブルに、

巻き込まれていたかもしれないことに、

気がつくようになります。



そして、蜂さんに振る舞いを直していただくことで、

そもそも、ご近所の方に、不快な騒音を振りまくということすら、

起こっていない世界が、広がってゆくのです。


そうして、振る舞いが、神々とすら、

ともに、幸せに暮らせるようになると、

オーラの光の世界や、電磁力の世界を見る、

感じる、ことができるようになります。


繊細な次元の感受できる感性が養われると、

さまざまな良い恵みを、

受け取ることができる、準備が整うのです。



また、本当に避けがたい、いざというときでさえも、

神々を安心させて暮らすようになると、

避けがたい邪気の、突然の憑依など、

されることのない、

強い光を、まとうことができるようになるのです。


突然の事故、突然の人の言いがかり、

泥棒がはいってしまったり、

因果律からいえば、受けたその人に、

何も問題は無くても、


避けがたい邪気は、いつでも依代となれるような、

荒い心を持った人間を、

弱みを持った人間の心の隙間を、探していますし、


憑依した人を、人々に送り込もうとする現象が、

物質の世界には、存在しているのです。


そのような、受けなくてよい災いは、

日々の振る舞いを、今一層、心を静寂に保って、

神々への、自然への愛に転換することで、

自分を素通りしていってくれるようになるのです。


蜂さんが居てくださらなかったら、

もっと痛い目にあってしまうかもしれない。


だから、そんなことに会うことが無いように、

蜂さんは、大切な人々を、

守るために存在しているということを、

知ってもらいたいと思うのです。


人の目線にすら気がつく、敏感である人間の機能は、

生き物への愛があれば、

そこに、生き物さんが居るということに、

簡単に気がつくようになってゆきます。


だから、ドアを開けるときも、

ごめんね、開けてもいいかな、という気持ちで、

そっと開けると、


玄関の外では、彼ら、自然界の生き物が、

暑い夏などは、蜂さんが、

愛の光を発して、そこに存在していらっしゃることに、

気がついてゆきます。


お互いの生命の発している、光の粒子が、

ぶつかり合って、明るく光り輝きあうのです。


そこに、彼らとの、愛の関係性が生まれます。

お互いが、お互いのために存在することができるような、

力強い愛の場が、健やかな光の環境が、

保たれるようになってくるのです。



蜂さんは、夏の暑い中でも、元気であり、

他の自然界の生き物、たとえば、ネコさんや、

小鳥さんが、強い日差しや、紫外線を避けて、

木陰などに非難していらっしゃるとき、

彼らの変わりに、私を守ってくださるために、

常に、そばに居てくださるのです。


夏でも、外へ出ざるを得ない私のために、

好機を知らせてくださったり、浴びる紫外線を、

最小限にとどめるように、導いてくださいます。


また、あまりにも強い紫外線が、

肌のみならず、瞳や髪に及ぶようなときには、

胸元の辺りに立ちふさがってくださり、

私を、外へ出さないように、お世話してくださるのです。


私も、そのような彼らのために、自然の理にかなう方法で、

感謝の気持ちをお返ししたいと、いつも思っています。


涼しくなった、夕涼みの時間、

そばで、守ってあげたくなってしまうのです。


玄関先の、つげの木の樹木さんを飛び回り、

アシナガ蜂さんは、たくさん掛けられている、

小さなクモの巣を、丁寧にひとつひとつ、

見回っていらっしゃいます。

食べ物となる、昆虫さんを探していたり。


そんな時、彼らは、守られているものが持っている、

ピュアな安心感、信頼感を発していてくださり、

心地よく、過ごしていらっしゃるのです。


そのお姿を、すぐそばで、羽音を感じながら、

見守ることのできる幸せは、

享受したものにしか、わかりえぬことですが、

この上なく、幸せなことなのです。


みつ花



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by kotorihua | 2018-09-29 09:29 | 森のジュエル昆虫
~蜂さんが巣を掛けることの深い意味~
もし、家の敷地に、蜂さんが巣をかけたら、

どうしたらよいのだろうか。


実は、蜂さんというのは、

その家が心地よいから、

その家の家族が、大好きだから、巣を掛けている。


家に住まう人々や、そこが商家であれば、

その家業によって、自然の摂理である神々が招いた、

たくさんのお客さんたちを、

守ってさし上げたり、幸せにしてさし上げたいから、

その場所に、わざわざ巣を掛けて、

日々、見守ってくださるのである。


なので、一昔前は、

蜂の巣をむやみに壊す人々や、駆除する人は、

日本にはいなかったし、スズメバチさんなどの、

一メートル以上にもなる、大きな巣などは、

蜂さんも住み替えをなさって、引越しをすると、

その残された巣を、家の果報として、

店先に飾ったりする風習がある。


今でも、東北地方などを旅すると、古い飲食店などでは、

昔、その家に巣を掛けたという、巨大な蜂の巣を、

ガラスケースなどに入れて、店の中央に、

あるいは神棚のあたりに、ど~んと、飾っていたりする。



それは、一昔前の、平和で、心優しい日本の人々の、

温かい心と、賢い魂を、思い出させるのだ。


昔の日本では、そのように蜂さんの残した巣を、

果報として、大切にし、

お客さんとして訪れる人々が、大きさに驚いたり、

その構造と、質感をつぶさに観察したりして、愛でた、

自然の理に、限りなく近い、生活の名残がうかがえるのである。


蜂さんの巣は、縁起がよくて、

お客さんも集まり、繁盛する、

家に掛ければ、子孫繁栄するという、

風水効果があると、いわれていたのだ。



スズメバチさんの形作る巣は、惑星そのもの。


地球や火星、その外枠の、小惑星ではなく、

強いG(重力)がかからない、木星のように、

心や魂、遺伝子が、重力に逆らって、

幸せの軽やかさを、常に保てるようにと、

宇宙の愛の力が、そこに集められてる。


巣の、幾何学的な構造によって、星をも清めているし、

蜂さんの体の構造や、振る舞い、働きによって、

その家の人々の魂を守ると同時に、

宇宙の形態をも守っている、壮大な、

存在そのものなのである。


これが、まず、蜂さんが巣を掛けることの、

ひとつの大きな意味であり、さらに、その意味は、

宇宙の因果律とつながり、あらゆる結果を、

前もって教えてくれたり、未然に防いでいるものがあったり、

さまざまな、幾重にも重なる、よい働きの連鎖を持っている。


その因果律や結果については、この先、

ゆっくりと述べてゆくとして、

では、実際に、もし、家の敷地に、

蜂さんが巣を掛けてしまったら、

どう対処したらよいのだろうか。



まず、恐れや、嫌悪から、すぐに駆除したりするのではなく、

しばらく、巣の様子を、見守ってあげるとことが、

とても大切なのだということを、知ってもらいたい。


巣を観察すると、必ずしも、そこに、

巨大な巣が作られるわけではない、ということが、

わかることもあって驚く。


実は、それは、時には、そこに住まう、

別の生き物のために、卵や幼虫が、

産み付けられていることもあるのだ。



蜂さんは、たびたび、

小さな、こぶし大の蜂の巣を、

そのまま放置して、何処かへ行ってしまう事もある。


いつまで待っても、帰ってこない。


そのような巣の存在を、子供の頃、

田舎で、目にしたことがあった。


いつも同じ場所であったり、

同じような筒状の形態に、掛けられていて、

必ず放置される、なぜだろう、と、

たびたび思ったことがあった。


今年、その答えを、小鳥さんである、

シジュウカラさん親子が、私に教えてくださった。


あるとき、シジュウカラさんが、私を、

部屋の外に呼び出してくださると、

ひとつ置いた、隣家の玄関の先の天井に、

にごりこぶしほどの、大きさをした、

アシナガバチさんの、小さな巣が掛けられていて、

見上げると、その巣の中には、真っ白い蜂の子が、

とても静かにしていらっしゃった。


老齢の女性である、大家さんや、その娘さんである、

管理人さんが、もしそれを見つけたら、

すぐに殺虫剤をまいてしまうに違いない。


シジュウカラさんは、そのことを、

もうとっくにわかっているようで、

巣を見上げている私の頭の上で、ホバリングをしながら、

巣の中の蜂の子を、一匹ずつ、巧みについばんでは、

すぐそばの木の、葉の茂みの中に隠している、

かわいい雛さんたちを、一羽ずつ呼び出しては、

おいしいご馳走であろう蜂の子を、給仕なさる、

感動的なお姿を、私の目の前で、見せてくださったのである。


そうして、自然界は、いつも、過剰な捕食とならないように、

一通り、雛さんたちへの給仕が、行き渡ると、

巣の根元を、突っついて、その蜂の巣を、蜂の子ごと、

駆除してしまったのであった。


その突然の様子に、私は非常に驚いたが、

自然界は、常にその時、その時期、必要な分しか、

いただかない。たとえ、まだ、

たくさんあったとしても、である。


私の足元に落ちた、その巣の蜂の子は、

自然の理によって、安楽にみまかっていらっしゃり、

落ちた場所で待っていらっしゃる、蟻(アリ)さんたちに、

すぐに発見されて、蟻さんたちが、

この夏の、厳しい酷暑を乗り切るための、

豊穣の糧として、分け与えられたのであった。


蟻さんの、食べ物が豊であれば、

蟻さんは、むやみに人家にあがってくることは無い。


アシナガバチさんの巣が、自然の理によって駆除されれば、

蜂さんにとっても、人間にとっても、

都合が悪いことは無くなる。


命は、安楽に、糧となって神々に召し上げられる。

人間のほうも、彼らを駆除することによって生じる災いを、

こうむることも、無くなるのだ。


そして、小鳥さんたちシジュウカラさんから見たら、

子育て中の、雛さんたちへの、最高に栄養価の高い、

ご馳走となるのだ。


それは、昆虫ささんたちも、人間の排卵と同じように、

生まれてくる、たくさんの卵と、

育てることのできる、一定の子孫というものの、

バースコントロールが、摂理のなかで行なわれていて、


常にその場の自然界が、豊に幸せに、

そこで生活できるように、定数が保たれていて、

それは、お互いに、恩恵というシステムの中にある。



なので、本当に、蜂さんの巣を見つけたからといって、

人間が勝手に、人為的に、駆除してはならないものなのだ。


また、それは、肉体の次元において、であり、

その場所に、私が呼ばれたということには、

魂の次元での、深い意味があったのであった。


私の魂のために、その蜂の巣を、何らかの依代となさって、

何らかの邪気を、駆除してくださったのであった。


きっと、私に掛かってしまっていた、蜂さんの領域での、

何らかの不調和を、取り除いてくださったのだと思う。


小鳥さんには、そのような癒しの働きがある。


そして、その不調和の駆除は、私のためだけでなく、

実は、ちょうど、建物のその場所に、

以前から時々、黒い、邪気の柱のような影が、

立つことがあって、

それを、私も時々目にしたことがあった。


その位置だけ、水道管が割れたり、下水が詰まったり、

雨水が床に滴ったり、大家さんがいつもそのあたりで、

何度も手を煩わせなければならないことを知っていた。


そのような、人間の目では、見えないもの、

それが、見える形となって現れる、障害になるもの、


蜂さんは、そのようなものに、巣を掛けて、

巣を、自然界の神々たちに駆除していただくことによって、

この場を、清めてくださっているのである。


そのような場合もあるのだから、

決して、巣がある間は、駆除しようとせずに、

自然に任せる大切さを、教えてくださったのだった。


自然界は簡単に、それらすべてを、

幸せ、という恩恵に転換してしまう力を持っている。



子供の頃、見かけた、蜂さんが放置した巣は、

自然界がそれを清めて、そこが清らかな場所となって、

安全になったことを、風化した蜂の巣は、

知らせてくれています。


次回は、大きくなった蜂さんの巣への対処の仕方と、

その存在の意味を、お伝えできればと思います。


みつ花




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by kotorihua | 2018-09-28 11:06 | 森のジュエル昆虫
~蜂さんが獰猛になるとき~
夏の、最も暑いとき、盛夏の頃から、9月初旬のころ、

人々の間では、一般的に、蜂さんが獰猛になる、と、

いわれている。


このころの、ニュースや記事などでは、

人々が、蜂さんの攻撃にあった、という報道を、

たびたび、目にしたり、耳にしたりすることがある。



では、なぜ、この時期蜂さんが、獰猛になるのかー。

それは、彼らの子育てと、大いに関係がある。


この時期、蜂さんたちの多くが、幼虫から成虫へと、

育成と成長、そして、変化の時を迎える。


両親である大人の蜂さんたちは、

自然界の理から授かった、大切なわが子を、

一生懸命に、導き、多くのことを指導し、

彼らを安全に、立派に、

自然界の、崇高なる一員として、育てるために、

真の、命の教育を授けている、貴重なときなのである。



なので人間が、蜂、といって、存在を、

むやみに怖がったり、彼らの習性を知らずに、

人間の方が、自然の理に対して、

傍若無人に振舞ってしまったり、


ましてや、殺めようとしてしまうと、

本当に仲の良い、蜂さんの家族というものを、

引き裂いてしまいかねない。


地球に住まう生き物のファミリーは、

地球の、皆のファミリーなのである。


傍若無人な人間の振る舞いは、

宇宙と、自然の理によって、

自らに、自らの家族に、

跳ね返ってきてしまいかねない、鋭く、

正直なものがある。


なので、絶対に、

人間が、彼らを怖がらせてはいけないし、

ましてや、ただの嫌悪感から殺めてしまうなど、

決して、決して、考えてはいけないのである。



彼らは、子を守る愛ゆえに、

自然の理を、守るがゆえに、

人間側から見たら、獰猛(に見えるかのよう)な、

振る舞いをしているのであり、


決して、食べ物が少ないからといって、

獰猛に振る舞っている訳ではないのである。



そして、人間の方がむしろ、自然の理に対する、

正しい振舞い方を、自ら学び、自分の子供たちや、

子孫に伝えてゆくことが、今、

地上に生きている多くの人々の、

使命といえる、大切な時期を迎えているのである。



では、もし、家の敷地に、蜂さんが巣をかけ始めたら、

それには、どのような意味があり、

どう対処したらよいのか、

それは、また次回に、お話してみようと思う。



みつ花






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by kotorihua | 2018-09-26 13:11 | 森のジュエル昆虫
聖なるアンク
シジュウカラさんが、私を呼んでくださるので、

外へ出ると、トンボさんが、空を舞い、

「みつ花、早くおいで。」と、

撮影に誘ってくださる。

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トンボさんが、この、錆びた鉄の杭に止まると、

その写真を撮るようにと、シジュウカラさんが、

さえずって下さる。



昆虫さんの大好きな、原っぱへ行くと、

そこはとても素敵で、


私は、綺麗だなあ~、と感じた所を、

久しぶりのカメラで、捜し求めていました。


写真を写していると、彼ら昆虫さんは、被写体や、

被写体のすぐそばに、飛んできてくださいます。

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こちらのトンボさんは、かなり長い間、

魔法の杖のような、尖った先端に止まってくださり、
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私は、このトンボさんを、本当に美しいな、と感じながら、

何枚も、お写真を撮らせていただいたのでした。


お写真を撮りながら、深く、彼を見つめていますと、

トンボさんの瞳から伝わる波動に、


いつも私が、ヒヨドリさんや、カラスさん、

小鳥さんたちが私に向けてくださるのと同じ、

愛のまなざしを感じました。


昆虫さんもまた、

なんと優しい波動を持っているのでしょう・・・。


本当に感動しました。



今日、ブログに載せるために、

写真を整理していると、写真の中に、

オーブ(たまゆら)が写っていることに気がつきました。


トンボさんの羽に大切に守られて、

草の上で、玉となって、

トンボさんの羽の上で七色の玉となって、

天へと還元されている様子が、

写っていたのでした。
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彼らは、このように、この地球上で、

たくさんのものを清めて、自然界や愛を、

豊かにしてくださっているのです。


それは、人間も、深い恩恵となり、

遠い時代に、人間が本来持っていたであろう、

物質という、鋳型を越えた、

癒しの魔法を発揮するための、

愛の力、自然界が司る魔法の力となるのです。



あなたが、綺麗と思っている風景に、

昆虫さんがやってきたら、

それは彼らがたった今、宇宙の遥かかなたから、

あなたのそばに、愛を持ってやってきているということ。


あなたが、その昆虫さんたちを、

美しい仲間だと、深い愛を持って感じるとき、


あなたは、遥か遠い宇宙の清らかなる愛と、

高度な情報源に、つながっているのです。


そのときに、あなたの魂と、

肉体の、深い癒しは起こるのです。




聖なるアンクは、

私たち現代文明を生きている人間が、

すっかり忘れてしまっている、

魂が正常に、神の領域である、

自然そのものや、広大な宇宙につながるための、


その、存在を成り立たせているものに、

深く由来するもの。


馬蹄状の、錆びた鉄の上に、

トンボさんがおとまりになって、それを、

小鳥さんが、とても大切なこと、とおっしゃるのは、


これが、とても、幸運の兆しであるから。


酸化鉄の中に潜んだ、悪しき存在に、

地球人の魂がとらわれてしまっていることを、

象徴のアンクように、写させてくださったもの。



トンボさんは、

砂漠の魔術によってゆがめられてしまっている、

人間の人体の、もっとも大切な部分、

男女それぞれの、卵に相当する部位を癒してくださる。


恋の魔法にかけられると、

この片方が、機能しなくなり、

長血と呼ばれる状態になるそうである。


それは、現代では、重い病といわれる、

あらゆる症状を生み出す要因になる。

遺伝子の異常、性別の異常や、

血の病、臓器の病、がんや、奇病といわれるもの。


短命になったり、疫病がはやったり、

そのほかにもたくさんの恐ろしい病気を生み出す。


そして、砂漠の魔法を使用する側もまた、

それを上回る、倦怠感と、

遺伝の病に悩まされるようになる。


愛をゆがめるがゆえに、

本当の愛が、手に入らないという、

深い悲しみである。



同じ魔法が、その、作用と、反作用を生み、

それが地球上のすべての宗教を生み出して、

人間原理として、一つの「砂漠」という魔法体系に、

還元されていってしまっている。


人間原理である以上、

どんな宗教を選んでも、

あらゆる因果律を通して、最終的に、

同じ「砂漠」の力の元素に使われてしまうのだ。


その祈りも、

その、儀式も、

その力も。



トンボさんの神なる御力は、

ゆがんだ形ではなく、

壊れた形ではなく、

正常な丸い玉に還元する、神の御業。



これらの一連の、昆虫さんの奥義は、

それは、超古代、西洋の人々が、

海を渡ってまで、われわれの地にやってきて、

求めたものだったのです。


砂漠の魔法を解く鍵でした。



みつ花
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by kotorihua | 2016-10-25 11:31 | 森のジュエル昆虫
妖精の森
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(こちらは、蝶のヤマトシジミさん、男の子。)

先日、森で三年ぶりにカメラを持つ私を、

待っていてくださった蝶々さんです。


まるで、愛しい恋人を追いかける、

男の子のように、

私は、カメラを持って、シジミ蝶さんの、

予測不可能な、振る舞いに、

心を研ぎ澄ませていました。


小鳥さんたちの見守って下さる中での撮影なのに、

なぜか、このシジミ蝶さんは、

なかなか、静止してくださらなかった。



小鳥さんは、このシジミ蝶さんのことを、

「みつ花を虜にしようとしている」とおっしゃる。


私は、心の中で、

もうとっくに、私の心は蝶々さんの素晴らしさに、

敬服しているのにな・・・

と思うと、私の周りを、

ふわふわと舞ってくれた末に、舞い降りてくださった。


カメラを向けると、

小鳥さんは、私に、「そのままカメラの設定を、

動かさないで、みつ花はじっとしているように。」と、

指示をしてくださった。


この写真の元の画像は、

拡大しても、蝶の燐分までもはっきりと写っています。

蝶々さんのほうが、ピントを合わせてくださったから。


昆虫さんを生きたまま撮影することは、

とても難しいことである。


それは、昆虫さんへの愛や、

昆虫さんに存在を受け入れられなければ、

なされないことなのだと知った。


彼らの特殊な振る舞いや動き、行動は、

人にとっては、なかなか理解すること、

予測することが難しいと思われているが、


それはなぜかというと、

人間が太陽の光を基準にして振舞うとしたら、


昆虫さん、あるいは、

(虫とつく漢字を持った存在、蜘蛛さんも、

私は、虫さん、昆虫さんと呼んでしまうけれど)


昆虫さんや、空を舞う小鳥さん、

そして、野性の中で生きる生き物たちの振る舞いは、

太陽や、星のみに限定されず、

宇宙の果てしない空間や、粒子、

人間がまだ知らない素粒子などの存在を感知して、

それに応じて、振舞うからなのです。


特に、昆虫さんは、この果てしのない宇宙の淵の、

遥か遠い場所から、時のしじまに、この地上で振舞う、

それはまるで、固定されたペン先ではなく、

筆で書く文字のように、流動的な、


物質として存在することと、

非物質として存在することの、

狭間のような境地でいらっしゃるのです。



宇宙に、この空間に、

この地上に、無意味に存在して、

無意味に振舞う、自然界の生き物は存在しません。


人間には、まだ知られることのない、

宇宙の粒子、さまざまな光、音があり、

昆虫さんは、時空を超えたり、

物質化をしたり、


地球上にある、特殊なポータルのばで、

突然消えてしまったり、


あるいは、ポータルがなくても、

突然現れることや、消えることが可能な種として、

存在していらっしゃるのです。



古い、ヨーロッパの森では、

昆虫さんの振る舞いにも似た、

伝説の中の、妖精たちの振る舞いは、

人間には、理解できないことであるからこそ、

いたずらな、謎めいたもの、として、

扱われています。



昆虫さんも、妖精さんも、

いたずらな振る舞いをしているのではなく、

明確な理由と秩序を持って、振舞っているのです。


みつ花
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by kotorihua | 2016-10-24 08:14 | 森のジュエル昆虫



古えの奥義・天の鳥船と伝説の小鳥たち
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