カテゴリ:餌付け禁止のわけ( 2 )
食のこと
ある日小鳥さんの名を呼んだとき、

小鳥さんはすぐそばに飛んできて、

私の手の届きそうなほど近い位置に止まった。


私は彼らに、餌を与えたことはない。

彼らはそれ故に、私を「餌をくれるだけの人間」ではなく、

「友」として、尊敬し、慈しんでくれている。

遠い昔も、人は小鳥や動物たちと「友」だった。


神である自然界そのものは、私たち人間のことも、

小鳥や動物たちのことも、同じように養う。


自然界は人間に、「麦と米」を与えてくれた。

自然界である神は、小鳥や動物たちにも、彼らにふさわしい食べ物を、

常に与えてくれている。


その、「神の生き物たちへの愛」を差し置いて、

人間が自然界の生き物に餌をあげ、自然界の摂理をみだすことは、

神は私に、「最も許さないこと」とし、もし、あげてしまったらどうなるか、

そのことを厳しく教えてくれた。


人間が神々の存在する天国へ、彼ら自然界の「友」と一緒に行けるのか、

あるいは、神々である、木々や植物のまったくない「荒野」へ行くのか、

雲泥の差が出るものである、と。


「それくらいのこといいじゃないか…」と、、

現代に生きている人は言うかもしれないけれど、


厳しく「情(じょう)」を律することが、何よりも大切なこと、


食べ物のことで、人間が神の世界から切り離された結果、

人間は、自然界すべての友を、今失ってしまっている、

という状況であることを、理解してほしいと思う。





「馬の耳に念仏」という言葉がある。

その使い方を、現代の人は忘れてしまっているという、

馬にありがたい話を聞かせても、

馬は理解しないから、効き目がない。と現代の人は解釈する。


しかし千年前の日本人なら皆、そのような意味にはとらなかったという。

「馬は神の使いだから…」と、小鳥さんが言った。



馬に念仏を唱えても、神様に取り次いではもらえない。


消えてゆくべき魄(はく)を鎮め、「仏(ほとけ)」という、

無き者になるべき者に語る言葉が念仏。


神や、神の使いたち、神の使いである馬に、

念仏を語ることは、愚の骨頂である。と、

昔は、その意味を知ったうえで、使われていました。


ことわざの使い方も、多くが乱れて、

現代では、真意を知ることが難しくなっています。



私たち人間の体は、十二支に表現されている生き物をはじめとする、

地上の植物や、生き物の、あらゆる優れた機能を持ち寄って作られました。


その複雑な体を、調和をもって運営させる、機能させることは、

食が最も大切です。


何を食べるか、ということについて、

どう食べるか、ということについて、


今の日本人は、まったくの無知であるということを、

もしかしたら、知らないのかもしれない、ということを、

まず、知ることは大事です。



雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-01-24 09:01 | 餌付け禁止のわけ
予兆を感じる小鳥たち
私の言う小鳥とは、飼われている鳥ではなく、

街であっても、森や山であっても、

人間に直接餌を与えられることの無い、野鳥のことです。



基本的に私の考えは(自然界の摂理もそうなのですが)、

動物たちは自然であることが望ましいと、

そのように思っています。

食べる時期に、食べなくてはいけないものを、自分の意思で食べる。



それが、山の木に実る自然のものであっても、

人間の食べ残しを食べる、野生の生き物であっても、

彼らには、食べるべき物に対する、

彼らなりの、深い叡智があります。



たとえば、狂牛病、狂犬病、鳥インフルエンザ、という

恐ろしい病気が発生してしまったのは、

みな、自然界から得ていた、食に関する叡智を奪われた、

家畜にしてしまってからの生きものたちから

発生してしまったと、私には思えるからです。



自然から切り離され、野生を失ってしまうと、

動物たちは、まず、兆しを感じる能力を失ってゆきます。


人間が与える食べ物を、

食べるしか手段のない動物たちは、

自分の健康を管理するために選ぶ食べ物の知恵を、

親から子へと伝えられなくなり、

その情報と叡智を失ってゆきます。


しかし野生の鳥たちは、例え季節性の,

軽いインフルエンザであったとしても、

それらがはやっている場所には、

その以前から、けっして近づこうとはしません。


その上空を飛ばざるをえないときも、

通常の倍以上の高さの、遥か上空を飛んでゆきます。



また、少し熱がある人、お酒を飲んで二日酔いの人、

そのような人がいたような場所では、けっして休んだりせず、

夜眠るための宿り木を、わざわざ変えて、

飛んで行ってしまいます。



人間も、かつて持っていたであろう、野性の本能、

自然の変化を感じ取る、鋭く研ぎ澄まされた感知能力、


そのようなものを持っているからこそ、

野生の鳥や動物たちは、数億年という長い命の系譜を脈脈と、

守ってきたのです。



人は、けっしてその彼らの優れた能力を、奪うべきではないと、

私はこれだけは強く主張したいのです。


私たち人間がこれからの時代、学ぶ多くのことは、

私たち人間が失ってしまったものの多くを、

未だに受け継いでいる、彼らの野生から、

教えていただくのですから。
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by kotorihua | 2010-02-26 17:42 | 餌付け禁止のわけ



古えの奥義・天の鳥船と伝説の小鳥たち
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