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6、「いいなずけ(フィアンセ) 」~昆虫さんたちの崇高な愛の形~(クオンタムリープ)
今日は、最先端の、自然界の進化の状況を、

お伝えするようにと、小鳥さんや、昆虫さんから、

指示をいただいています。


私たちは、いよいよ、

跳躍(クオンタムリープ)する時が来ました。



クオンタムリープとは、物理学用語ですが、

私たち生き物の意識も、

大宇宙から見たら、光の粒子。


それは、量子の世界において、

粒子が跳躍をして、別の次元へと、

移動する可能性を秘めていることや、


高い次元のものが、

こちらの次元に働きかけること、


さらに、同じ次元であっても、

離れた場所へ、遠隔作用することの可能性を、

示唆しています。



現実の、重力という、力(重力場)に、

閉じ込められている粒子が、

重力の重みから抜け出すことを、

クオンタムリープといいますが、


私たちの、意識の光もまた、

この重力という、人間だけの常識や、認識、

という閉じた場に、囚われている状態から、



意識の跳躍をすることで、次元の違う現実を、

同じ、時空間内であったとしても、

心のおき場所である、時空を平行移動して、

重力という、重みの力に、囚われることのない、

自由な心を、生きることが可能となります。



心が、自然界と一体となっているとき、

空(くう)の心になって、その空(くう)に、

自然への、温かい、愛のまなざしがあるとき、


いつも、ともに生きている仲間のことは、

蜂さんも、刺ささない、と、おっしゃってくださいます。


生き物が、今、進化しているということを、

人に、知ってほしい。と。


私に、そのことを是非、

伝えてほしい、とおっしゃるのです。



昆虫さんたちの世界に、縁の深い、

シジュウカラさんの、雛さんたちは、

この原稿をしたためていますとき、窓辺で、

このように、おっしゃってくださいました。


「愛の心を、知っている。」と。



優しい心を持った人の周りでは、

今、何かが変わりつつあります。


自然界が、心優しい人々に、

同じように、心を開いてくださっているのです。


自然界に、優しいまなざしを向けて、

よく観察してみてください。


たとえ、その場でわからなくとも、

後になって、心が伝わってくることもあります。


そして、長い人生の間には、

すべてが明らかに、「そうだったのか。」と、

わかるときがくるのです。


人間にも、そのような力が、備わっています。



知るということは、

恐れを生むことにつながるかもしれないけれど、


もっと深く知るならば、

そして、心を研ぎ澄ませて、

自然界と一体となっていれば、

恐れなど、持つ必要も無いこと。




そして、まず、助けることの前に、

本当に身近な環境から、

その昆虫さんを、駆除、排除してしまって、

良いのかどうかを、考えることは大切だと思います。


私たち人間が、戦後、さまざまな知識を、

より多く、知ることができたがゆえに、


人は、危険といわれている、

蛇さんや、蜂さんを、自宅の敷地内で見かけると、

駆除するようになってしまった今、という、

歴史があります。


しかしそれは、まったくの間違いであり、

もっと良く、私たち人間が、彼らの習性を知り、

彼らの心を、わかってさし上げられたら、


まったく駆除する必要のない、

ともに、その場所に住まう、

大切な、仲間であることがわかると思います。



人が、人為的に振り払って、落としてしまったり、

要らないといって、手でつかんで、

幼虫さんを、捨ててしまったりすると、


磁力のような、繊細な方向感覚を、

幼虫さんは、失ってしまって、

緑や樹木さんとは、反対の方へ向かってしまうことが、

あるのではないだろうか―、と、

いつからか、思うようになったのです。


蝉さんの、白い幼虫には、

土の中で暮らす間は、まだ目が無いのだそうです。


茶色い状態の幼虫さんとなったとき、

(私はそれを、動く状態であっても、

さなぎ、と呼んでしまっていますが。)


その、茶色い殻をまとう状態で、初めて、

目が形成されるのだそうです。


完全に、蝉さんや、蝶々さんや、蜂さんなどの、

幼虫が、すべて同じ経緯をたどって成長する、

というわけでは、無いかもしれませんが、


もしかしたら、幼虫という状態の彼らは、

あまり良く、目が見えないのかもしれません。


でも、彼らは、心や愛というものを、

感じ取ることのできる、力を持っています。


なので、人為で、

何らかの不具合をこうむり、困っている昆虫さんや、

幼虫さんたちがいらっしゃったら、


それは、なんらかに、

人が、手を差し伸べて差し上げることは、

自然界から、許されているような気がするのです。




あるとき、蝶々の幼虫である、

青虫さんを、お助けしたときがありました。


夏草の茂る、緑の広い空き地から、

人為的に、投げ出された青虫さんは、

こぼれた雑草と一緒に、地面に、

投げ出されてしまっていました。


投げ出されてしまっても、なお、丈夫で、

草地とは反対方向の、交通量の多い道路へ、

元気よく向かってゆきます。


私が、「そちらの方向は違うよ。」と、

優しく声をかけ、

歩道に倒れこんでいる、背の高い草の、

茎を近づけると、青虫さんは、

元気よくそれを登って、


敷地との境の、二段ほどのブロック塀の高さを、

その茎を伝って登り、もとの草地に、

戻ることができたのでした。



数日後、その場所を再び通るとき、

小鳥さんのさえずりで、気がついたのですが、

先日お助けした、青虫さんが、

同じ場所で待っていてくださいました。


自分がどのように、その後、自らの力で、

草地の敷地の、まだ豊かに植物の生い茂る場所まで、

戻っていったのかということを、

私に、わざわざ見せてくださったのでした。


青虫さんは、敷地の境の、

陽の当たる、二段のブロック塀の上から、

所々、残っている枝を、上手に上体を伸ばしてつかみ、


さらに、横たわる茎や、離れて生えている植物の、

葉っぱをつかんで、ぶら下がり、上体を懸命に伸ばして、

次から次へと、茎を伝ってゆき、緑豊かな雑草の中へ、

戻ってゆくシーンを、見せてくださったのでした。



助けた子が、こうして、生きていることや、

どのようにがんばって、草むらへ帰ったのか、ということを、

私に伝えてくださるために、

その立派なお姿を、見せてくださったのです。



人が、優しく心をかけて、

励ましたら、彼らは、自然界へ戻る力を、

取り戻すのだと知りました。




ご利益があるから、

何かをするということは、

まったく違う方向性につながってしまいますが、


自然界に与えられて、

自然界の小さな生き物を、

何らかの形で、助けてあげる機会を、

神様から与えられたとき


自然界では、めぐりめぐって、

駆除されることなく、無事に育った蝶々さんが、

いいなずけ・フィアンセと、結婚するという、

ファースト・ラブを、叶えることが、

できたのだと知りました。


成虫になって、すぐの状態から、

魂にふさわしい、お相手にめぐり合えた彼らは、


人生の幸せなときを、

それだけ長く過ごすことができますし、

たくさんの、子孫を残すことができます。


その、よき巡り会わせは、

いつか私たちが、人間の衣を脱ぎ捨てて、

光の衣をまとうとき、


幸せの世界へ、つながってゆくのだと、

自然界から、優しく、

教えていただいているように、思えるのです。




みつ花







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by kotorihua | 2017-08-12 16:39 | 男女和合
5、「いいなずけ(フィアンセ) 」~昆虫さんたちの崇高な愛の形~(クオンタムリープ)
同じことをしていても、

愛のためなのか、

恐れなのかで、

エネルギーの回転の向きが違ってきます。


虫さんに、触る、触れる、という行為も、

あるいは、ささやかな日常の行為も、

そして、男女の心の機微さえも、


すべてには、エネルギーのスピンをともない、

現実の、時の流れの中を、人は生きています。



また、昆虫さんを助けるという行為も、

愛のためなのか、

ご利益のためなのか、ということで、

回転の向きが変わるがゆえに、


昨年、蝉さんの抜け殻に、手を触れるとき、

小鳥のシジュウカラさんは、あくまでも、

愛が伝わるから、触れるように、と、

うながしてくださり、


その時そこに、

蝉さんの抜け殻に、触れることができていたら、

たくさんの、私にとって有益なことがある、という真実は、

隠されていらっしゃいました。


愛から触れるという行為と、

何らかの有益だからそれをする、という行為は、

エネルギーの流れに大きな違いがあるのでしょう。



愛で触れるからこそ、それゆえに、

昆虫さんたちの、崇高な愛を、

少しずつ体験の中で知り、


有益であることの、真の価値を知ったり、

与えられたり、


さらに、それを人々にもお伝えするという、

小鳥さんが、最も望んでくださるこの役割を、

経験することができたのかもしれません。




人生では、小さな失敗の中にも、

たくさんの、学びがあるのです。


実は今、書こうとして、

やはり書くのをやめようとした、

自分自身の失敗談があります。


自分自身のことや、過去のことを語るのは、

はばかられるという、気持ちがあるのですが、


たった今、窓辺に、

このあたりに住まう、いつも私が、

大変お世話になっている、ツバメさんが、

そのことを、お伝えするように、と、

わざわざここへ来てくださり、おっしゃってくださるので、

思い切って、お話してみようと思います。



~時を経た、長い長い、ツバメさんからの深い学び~


十代の後半に、父が祖父母の家を建て替えてから、

自然豊かな田舎に、みなで、祖父母とともに、

一緒に住まうようになりました。


新しい洋式の家の玄関には、

ポーチの両脇に、柱が二本あって、

玄関の入り口の屋根を、支えています。


その、玄関の柱の片方に、

私たちが住むよりも、ずっとずっと前から、

毎年、巣を掛けていたであろう、

一組の、ツバメさんの家族が、

すぐに、巣を掛けてくださるようになりました。


やがて、たくさんの雛さんたちが生まれて、

親鳥が、繰り返しえさを巣に運ぶ姿を、

越してきたばかりの、私たち若い家族は、

毎日楽しみにするようになりました。


ある日、学校から帰宅してみると、

その、ツバメさんの巣の下に、

母が、傘を改良して、

雛さんが、下に落ちないようにと、

工夫をして取り付けたことがありました。


その異様な雰囲気に、

一瞬、ギクッと、凍りついた私でしたが、


母の、そうしたい気持ちも、

決して、わからないわけではないので、

そのままにしておきました。



程なくして、そのツバメさんの巣の雛さんを、

敷地の蛇さんが、狙うようになりました。


私は、その様子を一度も見たことがないのですが、

父と、祖父で、何とか柱から蛇さんをおろし、

蛇さんは藪に逃げていったと、

後から、母や祖母が、教えてくれました。


今の私は、なぜ、巣が、

蛇さんに狙われてしまうのか、

よくわかるのです。


小鳥さんだけをかわいがる、

その中でも、身近な、

我が家のツバメさんだけ。という、

命への、偏った愛というのは、


バランスをとるために、

返って違うものを引き寄せて、

魂を成長させることで、


本当の幸せが、何であるのか。

自分自身の正しい振る舞いが、

どのような位置に、位置するべきか、ということを、


宇宙に働いている、陰陽の原理が、

存在の空の原理が、

教えて下さろうとなさっていらっしゃるのです。


後になってわかったことは、

ただ人間のそばに、巣を掛けるという、

その行為のみで、それだけで十分、

安心で守られている、ツバメさんの巣に、


やはり、現代、他の多くの家々の人が、

巣の下に、板をあてがってしまったり、

母のように、傘などをとりつけたり、

してしまいがちですが、


バランスの取れた優しさを、

通り越してしまうと、


何らかの不具合を、

招いてしまいかねないということを、

長い間の経験から、学びました。



また、同じ年のこと、

いざ、ツバメさんが巣立つというとき、


今の私には、それは、

雛さんが、勇気を、力いっぱい振り絞って、

自らジャンプをして、巣立つ、という、

立派な、最初の羽ばたきをなさった、ということが、

心からわかるのですが、


ツバメさんの巣の下に、据え付けた傘に、

母が、ツバメさんが落ちてしまったと、

心配して、騒ぐものですから、


身軽であった私が、脚立に上って、

傘の中に「落ちてしまった」という、

雛さんを、巣の中に、戻してあげたのでした。



本来、雛さんは、

人間も住まう、猫さんも住まう、その場所に、

着地をして、そして、自ら、

その降りた場所が、危険だとわかったり、

移動するよう、親鳥に教えられたりしますと、

自らの翼を振り絞って、羽ばたき、

その場所よりも安全な場所へと、移動します。



今の私は、小鳥さんたちの子育てのシーズンに、

もし、道路などの車の通る場所などに、

着地をなさっていらっしゃる時には、すぐに、


車や、散歩の犬さんなどの来ない、

安全な場所に、そっと、移動させてあげて、

何度か小鳥さんや、成長した雛さんに、

お礼を言われたりすることがあるのですが、



雛さんたちは、自らの力を振り絞ることで、

恐怖を乗り越えたり、多くのことを、

自ら、その環境として学んでいるのです。


巣から飛び出した先に、

親鳥は、ちゃんと雛さんへと、

必要な食べ物を、届けます。





若かったころの私は、

そのような、繊細な状況判断が、

まだ、まったくできていませんでしたから、


安全傘の中という場所へ、

立派に、巣立った雛さんを、

良かれと思う、一方的な優しさや、愛情で、


また、狭くなってしまっている巣へと、

雛さんを戻してしまってからというもの、


ツバメさんの親鳥が、私の上で、

警戒音を出して、さえずるようになってしまいました。


そのことは、祖母が教えてくれたので、

始めて私も、気がつくことができました。


「ツバメさんを、怒らせてしまったね。

お前が通ると、お前の頭の上で、

ツバメさんが、あんなふうにさえずって、

警戒するようになってしまったよ。」と、


祖母が教えてくれたことに、

優しくしたはずなのに、何でだろう、と、


彼らを、とてもかわいいと思っているのに、

とても、悲しかったことを覚えています。


やがて、私もほどなく家を離れて、

自立し、自活するようになりました。


久しぶりに家へ戻って、

玄関の柱を見ると、

ツバメさんは、玄関の、二本の柱の、

両方に、巣を掛けるようになっていました。


母の話では、あれ以来、

蛇がまったくやってこないのだとか。


とても安心して、

玄関に巣を掛けている、と、

伝え聞いたのでした。



ツバメさんというのは、小鳥さんもそうですが、

自らの卵を産み、育てると同時に、

人々の、魂も預かって、旅をしたり癒したり、

雛さんを育てることで、同時に、

人の魂も育ててくださったりしています。


もうひとつの巣というのは、

田舎の家族のための巣であり、


そして、もうひとつは、

決して両親に甘えることなく、生きてゆこうと、

若いうちから決心をして、

もう、帰らないのだと、強く生きている、

私のための巣だったのかもしれません。


私が、そのように強く生きることで、

現代の文明の元で育った、優しすぎる両親も、

優しさゆえに、娘に甘えることなく、


また、子供たちにとらわれて、

心が、心配で、不自由に生きるのではなく、

強く、自由な魂となってゆけるような、

気がするのです。



今、私のそばに住んでくださるツバメさんは、

常に、私たち夫婦を優しく見守ってくださり、

優しいだけではない愛の、深さや、

命と、魂のつながりや、

その、魂の生み出す生きる力の素晴らしさ、


本当の、命の持っている、

真の能力というものを、

復元しようとなさってくださっているように、

感じられるのです。


自然界というのは、すべて、

良い頃合い、ちょうどいい塩梅という、

本当の、真髄の愛を、

教えてくださる叡智を持っています。


その、とらわれのない愛こそ、

人類の負のスパイラルを抜け出す、

偉大な力の源になっていると、

伝えてくださっているように思います。



つづく



みつ花







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by kotorihua | 2017-08-11 12:30 | 男女和合
4、「いいなずけ(フィアンセ) 」~昆虫さんたちの崇高な愛の形~(クオンタムリープ)
昨年の私は、今思い返しますと、

数回ほど、昆虫さんを、

通りがかりの道の途中で、

助けたことがあったのでした。


しかし、すべてが、

はじめから成功していかというと、

決してそうではなく、


はじめの教訓から、

学ぶことが多かったがゆえに、

「次こそは、きっと。」という思いがありました。



ある昆虫さんが、まだ、芋虫のときに、

生垣が人に刈られたばかりであろう形跡が残る、

細かい葉っぱとともに、路面に、

落ちていらっしゃいました。


もともと、自然界には、

帰巣本能や、樹木さんからの呼び声があり、


生きる力を損なわれていなければ、

樹木さんが呼んでくださるので、


そのときの私は、

きっと、この真っ白い芋虫さんも、

樹木さんのところへ帰るに違いない、と思い、

その場所を、離れたのでした。


しかし、用事を済ませて戻ってくると、

その芋虫さんは、

樹木さんのところへ戻ることなく、

蟻(アリ)さん達に、連れられてゆくところで、


芋虫さんにとっては、

かわいそうなことになってしまった。と、

感じたのです。


しかし、もちろん、

蟻さんたちの立場からしますと、

彼らにとっては、大変よき糧でありますので、

それを、奪ってしまうわけには行きません。


何らかの理由があって、

(すでに、重い怪我をしていたとなど。)

それゆえに、自然界は、蟻さんにゆだねる、と、

ジャッジしたのだと、感じとったのです。



しかし、

「私に何か、できることはなかったのだろうか。」と、

小さな疑問のようなものが、

心のどこかに残りました。




しばらくして、数日ほどでしょうか。

台風が来て、それが通り過ぎた後の翌日、


今度は、芋虫さんがいた場所から、

500mくらい離れた、程近い木立の脇の、

道路の上で、同じ種類の芋虫さんが、


照りつける陽射しのなか、

這(は)っていらっしゃるのが目に止まりました。



他の人の自転車も、通る場所なので、

踏まれてしまってはいけない、と思い、


私自身がそこにいれば、人は、

そこを避けて、通ってくれるのではないかと思い、


また、自転車のタイヤの部分で、

せめて、日陰を作ってさしあげようと、

自転車を降りました。


芋虫さんの振る舞いを見ていると、

一生懸命に、木立へ向かって歩んでゆきます。

樹木さんに呼ばれていらっしゃるのでしょう。


人間が考えるよりも、その歩みは、ずっと速いな。と、

心から安心していると、


アスファルトと、木立の敷地との間で、

土の、むき出しになっている所が、

砂地のように、さらさらとしていて、


芋虫さんは、ここで何度も、

その砂地を登ろうと、挑戦するのですが、


20cmほどの段差を、

安全な、木立の中の、緑の藪(やぶ)の中へ、

戻ることができずに、

砂にまみれながら、地面に、

何度も転げ落ちてしまうのです。



私は、虫さんに触れることが、

昨年は、できなかったものですから、


その場で、ただ心から彼を、

願うような気持ちで、

励ますしか、方法がなかったのです。



しかし、ふと、よく見ると、

そう遠くはない場所が、

砂地ではあっても、植物があり、

緩やかなスロープになっていて、


彼の歩むペースならば、

登ってゆけそうな場所がある、と気がついたのです。



そう思っていますと、すぐに、

その芋虫さんの、父親と思われる、

オスの昆虫さんである、

アシナガバチさんが、私の元に飛んできて、

自転車の、タイヤの軸をすり抜けると、

「もう行きなさい。」と、

優しく、言ってくれました。



ふと、振り返ると、遠くのほうに小さく、

この道を、通るであろう人の、姿が見えます。


そして、もう一度、芋虫さんの方に目を向けると、

もう一羽の、メスの昆虫さんであろう、

この芋虫さんの、母親であるアシナガバチさんがやってきて、


白い芋虫さんの、顔の前辺りに、舞い降りると、

とても優しく、おでこを近づけて、

かわいがっていらっしゃり、


まるで、「本当に無事でよかった」、と、

涙ながらに、「心配したのよ」、と、

会話でもなさっていらっしゃるかのように、

温かい、親の愛が、伝わってくるのです。


私は、このとき初めて、

昆虫さんにも、深い親子の情があり、


母は、子を慈しんでいるのだと、

はっきりと感じ、その場で、

本当に心から、感動してしまったのです。


そして、母親は、すぐに優しく、

芋虫さんを、スロープの方へと、

誘導を始めました。


芋虫さんは、母の呼ぶ方へ、

信じて迷いなく、まっすぐに歩んでゆくのです。


スロープを登り始めた芋虫さんの、

すぐ横で、母親は、彼を励まして、

応援なさっていらっしゃるのです。



私は、本当に安心して、感動して、

我が家近くの、生垣に戻ってくると、



なんと、そこには、先ほど見かけた昆虫さんと、

同じアシナガバチさんの、別の、雌雄のつがいが、

私を、優しく迎えてくださったのでした。



たとえ、助けたのが、

別の夫婦の子供であっても、


私が、前日、このカップルの、

子供さんであろう、芋虫さんを、

助けてさしあげることができなかったことが、

念頭にあったがゆえに、


今日、助けてあげた芋虫さんは、

また、同時に、

このカップルであるつがいの子でもある。という、

自然界の、深い真理を、教えられたのです。



彼らの世界はつながり合っている。


このつがいさんからも、今日助けた子への、

感謝と、深い愛情と、私への、

温かい気持ちが伝わってくるのが、わかったのです。




私は、そのとき、

「できなかったことの、後悔じゃなくていいのだ。」

「次につなげて行けばいいのだ。」


ということを、

彼らから教えていただいた気がします。



次につなげてゆくことを、

こんなにも、先ほどの夫婦と同じように、

自分のことのように、

自然界の生き物は、

本当に、弾けるように、喜んでくださるのです。



それが、自然界が、人間とは違った、

崇高な心を持つ、

神の心を持つ、

ゆえんなのです。



つづく




みつ花






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by kotorihua | 2017-08-10 16:03 | 男女和合
3、「いいなずけ(フィアンセ) 」~昆虫さんたちの崇高な愛の形~(クオンタムリープ)
私がなぜ、昆虫さんたちを助けてあげよう、という、

根本的な、思いやりのようなものを、

持つようになったのか、


どのように、先人である、祖父母たちの、

素朴な感性を引き継いだのか、

ということとともに、振りかえってみると、


まだ、曽祖父や曾祖母までも生きていた、

4~5歳のころ、祖父母の家に、

よく遊びに連れて行ってもらっていたときの、

そのときの、エピソードが、心に深く、

生き物への思いやりのようなものを形成したという、

記憶が残っています。



祖母に手を引かれて、敷地の広い裏庭の、

果樹園を歩いているとき、


木の枝に、白っぽいものが、

引っかかっているのが見えて、


祖母は、それが蛇の抜け殻だということがわかると、

小躍りしてしまいそうなほど、喜んでいました。


当時の人々は、

蛇の抜け殻を、お財布に入れておくと、

金運が良くなると考えていたそうです。


この時代の人は、まるで、みな、

そのことが最重要事項であるかのように、

そのような金運のようなものを、

とても大切にしていました。


祖母のような昔の人々は、

蛇の抜け殻を見ただけで、

それが毒蛇ではないことが、すぐにわかったようですし、


脱皮したばかり、というわけではないので、

その場に蛇がいないことがわかると、


どこまでも続く、果樹園の中で、

その場所を見失わないように、


小さな私を、その木の前に立たせて、

「お財布を持ってくるから、ここで待ってて。」と、

家に、お財布を取りに行ったのでした。


そのときの私は、蛇の抜け殻を、

取り立てて、怖いと思うようなこともなく、


まるで、古い衣が、木に掛けられて、

そのまま、忘れ去られてしまっているかのような、

陽に照らされて、銀色に輝く抜け殻を、

ただ、じっと見つめていました。


今、思い返すと、

おぼろげな記憶の断片でしかない、

幼少の思い出も、まるで、

その場所にだけ、お日様の光が、

スポットライトのように、照らしていて、

自然界との思い出は、いつも、

陽(ひ)の光と共に、思い出されます。


その木の枝が、ごつごつした、

梅の木の幹であったことや、


梅の木に茂る青々とした、丸い葉の印象が、

光とともに、鮮明に思い出せることが、

とても不思議でなりません。


お日様は、「“観察する”」という私の瞳に、

その光を細部まで、鮮明に思い出せるほど、

記憶のどこかに、

それをしまって置いてくださったようです。



当時の私は、蛇の抜け殻や、

虫などを嫌がる、という概念もなく、

ただ、興味を持って、それをじっと見ている、

という存在であったと思います。



やはり同じ頃、

今となっては、最後の武士と呼ばれる人の、

子供であった曽祖父の、

身の回りのこまごまとしたものを入れて置く、

3~4段ほどの、江戸指物の小引き出しの中をあけて、

何かを探しているとき、


そこには、古いマッチ箱があり、

そのマッチ箱を開けると、そこに、

蝉の抜け殻が入っていることに、気がつきました。


その頃のマッチ箱は、

古いタイプで、深さがあり、

丁度、蝉の抜け殻が、

きちんと収まるくらいの大きさだったのでした。


曽祖父が、どのような気持ちで、

身近な日用品を入れている小引き出しに、

蝉の抜け殻をしまっておいたのか、

理由はわかりません。


のど飴や、梅仁丹、

薄荷のタイプの塗り薬、

印鑑や、鉛筆、懐中時計、

身近においておくと便利な、

雑用品が入っている引き出しなのです。


そして、これは何か、と、

祖母に聞いている私は、

それを、怖いとか、汚いとか、

思うことはまったくなく、


曽祖父のものだから、

大切にしなくてはいけないと、

言われたような気がして、

ただそれをじっと見て、


それらが、外の木の幹に引っかかっていたり、

敷地の中にも、落ちていたりすると、


そういうものは、踏みつけたり、

掃除してしまわずに、そのままそこに、

大切にしておこう、という認識が、

小さいながらに、育ったように思います。



また、あるときは、

祖父や祖母が、父と話をしている姿を、

ぼんやりと聞いていた、記憶があります。


その、ほとんどの話が、縁起を担ぐことの話で、

猫や、犬、小さな生き物を、

大切にしなくてはいけない理由を、

昔の人のことを含めて、話して聞かせていることや、


庭で、小さな白い蛇を見たから、

縁起が良い、ということであったり、

柱にも使うほどの丸太ほどの太さのある大蛇を、

敷地内で見たから、云々、ということなど。


もし、敷地内で、いつか大蛇を見ることがあっても、

絶対に殺しちゃだめ、ということを、

何度も、父に言い聞かせていた様子を思い出しました。



また、夏の夜になると、

土間に、鈴虫や、コオロギが入ってきて、

一晩中鳴いていたり、


鳴き始めたその音色を、

じっと土間のほう見つめながら、

耳をそばだてている私は、


ぼんやりとはしていても、

どこか心を、研ぎ澄ませて聞いていたのです。


そこには、虫であることも、

小さな子供であることもなく、


存在と存在との対峙のようなものを、

観じていたのだと思います。


そして、時を経て、

今、私は、虫の音に、深い愛を感じることができます。

深い次元の、修復能力を感じることもできます。


自然界には、研ぎ澄まされた、

意識のようなものがあり、

そこには、深い愛が存在していると、

知るようになりました。


それが、自分自身が、子供だった頃のように、

ただ純粋な、意識として存在するというだけではなく、

愛を感じるまでに、成長させていただけたという、

生きて、経験を重ねた、

甲斐があったということなのだと思います。



その経験を支えている根幹が、

子供の頃の、純粋な心に、

生き物を尊重することの大切さを、

暮らしの中で自然に説いていた、

祖父母の、命への優しさがあったように思います。



次回は、どのように私が昆虫さんを助けたのか、

それを、記しておこうと思います。


そこには、今の人が忘れてしまっている、

大切な、ノウハウ(手法)のようなものがあります。


情や、一方通行なだけの優しさという、

人間の考えるような、

良かれという方法のみで助けるというのではなく、



彼らには、さまざまな種があり、

さまざまな、習性があります。


そして、心があります。

それらを理解して尊重してあげることは、

とても大切なのことなのです。


その詳しい内容は、

また次回に。




みつ花








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by kotorihua | 2017-08-09 16:56 | 男女和合
2、「いいなずけ(フィアンセ) 」~昆虫さんたちの崇高な愛の形~(クオンタムリープ)
先日の、早朝のこと、

南側の窓から見える、大きな桑の木の枝の、

地面に一番近い、涼しげな木陰の、若葉の先端に、


美しい姿をなさった、蝶々さんが、

羽を広げてとまっていらっしゃるのを拝見しました。


この日は、蝶々さんが手にとまってくださる、という、

奇跡が起きた、翌日のことでした。



前日の蝶々さんとは、また違った種類の、

小型の、黒と白のコントラストの美しい、

アゲハチョウさんで、

木の葉にぶら下がったまま、かなり長い間、

羽を広げたままの姿で、何時間も、

じっとなさっていらっしゃいました。


生きて、自由に空を舞うようになった蝶々さんは、

少しも、じっとなさっていることがないほど、

常に元気よく活動なさっていらっしゃるのに、


この蝶々さんは、どこも羽の欠けたところのない、

まだ若い蝶々さんであるにもかかわらず、


まるで、標本のように、微動だにしないので、

生きていらっしゃるのかどうかと、

心配になってしまうほど。


このようなときに限って、

頼みのカメラの望遠レンズも、

夏の暑さで壊れてしまって、役立ちません。


確認のために、そばに行くことも、

考えていると言うと、

主人は、水でも飲んでいるのだろうから、

そっとして置いてあげるように、といいました。


主人に話して、初めて、

もしかしたら、あの状態は、

羽化(うか)している状態なのかもしれないという、

共通の認識が生まれると、


私にはなんとなく、

蝶々さんは、太陽の光を集めて、

飛ぶための力に、

変換なさっていらっしゃるのではないか、と、

感じるようになったのでした。


お日様にだけではなく、

我が家の窓辺に向けて、羽を開いていらっしゃり、

畳の上に座ったときの目線と、

ほぼ、同じ高さです。


私に、見せてくださっているのだ。という、

強い、感動のようなものを感じました。


午後になって、庭を見てみると、

すでに、飛んで行ってしまわれたよう。


蝶々さんにとって、大切なときに、

邪魔をしてしまわないで、

本当によかったと、安堵したのでした。




この蝶々さんの羽化を、

見せていただいた翌日、


朝の散歩から、家のほうへ帰ってくるときに、

我が家の敷地の、垣根の外から、ふと、


駐車場に生えている、樹木さんの上で、

前日に羽化した種類と同じ、

美しいアゲハチョウさんが、

嬉しそうに舞っていらっしゃるのが見えました。


私はすぐに、

「昨日の子でしょ!私にはわかる!!」という、

はじけるような喜びが、心にこみ上げてくると、


蝶々さんは、

「はやく、こちらへ。」と、

心に伝えてくださるので、

嬉しさに、小走りで垣根を回り込み、

樹木さんのもとへと、向かいました。



同じ建物に住む人々の車によって、

狭くなっている、早朝の駐車場に、

急ぎ足で、駆け込むと、


ヒヨドリさんが、さえずりで私に、

注意を促してくださるので、

嬉しさで、高揚する気持ちを、少し静めて、

ヒヨドリさんの注意通りに、

いつもより、樹木さんから少し離れた位置に、

そっとしゃがみこんで見ると、



なんと、樹木さんの上を舞っていらっしゃる、

アゲハチョウさんとは別の、

もう一羽のアゲハチョウさんが、


樹木さんの、一番下の、枝の木陰で、

羽化をなさっていらっしゃったのでした。


その様子を、

前日、先に羽化をなさって、成虫となった蝶々さんが、

樹木の上から、励まし、

見守っていらっしゃることがわかったのです。



羽化中の蝶々さんは、

美しい羽を、広げたまま、

まったく動くことがないのですが、

前日よりも、より間近で拝見できる機会を、

与えられてみると、


蝶々さんは、微動だにしなくとも、

触覚や、羽のふちの様子から、

瑞々しさが伝わってきて、

生き生きと、生きていらっしゃるのがわかります。


さらに、姿のお優しい雰囲気から、

この蝶々さんが、女の子であるということを感じ、

さらに、心までも伝わってきました。


私が、蝶々さんに危害を加えないことは、

もちろん蝶々さんも、わかっていらっしゃいますが、

あまりにも近いので、

緊張なさっていらっしゃるお気持ちが、

私にも伝わってきたのでした。


このようなことゆえに、

ヒヨドリさんは、前もって私に、

注意を払うようにと、

うながしてくださったのだとわかりました。


私はしゃがんだ状態のまま、

蝶々さんへ向ける、視線との間に、

駐車場の淵に生えている、植物さんが入る位置まで、

にじりながら離れると、


もう一度、ほんの少し、蝶々さんを、

植物さんの、葉の影から見つめて、


本当に美しく、貴重な瞬間を見せていただいたことへの、

心からの感謝の気持ちを、お伝えしたのでした。



すると、樹木さんの上で舞っていらっしゃる、

蝶々さんから、フィアンセ、

「いいなずけ」という心と、

温かい気持ちが伝わってきたので、

本当に、驚いたのです。



小さな、アパートではありますが、

蝶々さんにとっては、

南側と、北側の樹木という、隔たりのある、

お互いに離れた場所での羽化です。


しかし、樹木さんたちの生い茂る、

アパートや駐車場の敷地の向こうは、

建物の、持ち主さんの庭続きですから、


南北二つの樹木さんにとっては、

ある意味、隔たりのない、

一つの庭なのかもしれません。


ふと、なにか、とても大切なメッセージである感覚が、

私たち人が、知らなくてはいけない大切なことが、

あるような、感覚が伝わってきて、


この羽化によって見せていただいた、

一連の出来事は、

どのような意味を持っているのだろうと、

思うと、


それは、前日の記事に書かせていただいた、

蝉さんの雌雄の抜け殻のように、


蝶々さんも、卵のときから、

そして、幼虫であるときから、

夫婦の約束があり、

親同士の蝶々さんの、計らいがあって、


お互いが出会える場所に、

それぞれの親が、

卵を産んでくださったのかもしれません。


小鳥さんの卵でさえも、

小鳥さんは、卵の中にいらっしゃるときから、

知性を発揮していて、さまざまなことを、

親鳥から伝わる愛の中で、言葉の中で、

すでに学んでいて、


孵化(ふか)したときの鳥の雛さんは、

すでに、10~11歳の精神年齢をもち、


巣立ちの時には、すでに15歳になっていると、

小鳥さんから伝えられたことがありますので、


昆虫さんたちの世界もまた、

幼虫であるときも、

ある精神年齢をもって、知性的に成長し、

存在していらっしゃるのだと思います。


彼らにとっての時間という概念は、

人間の進み方とは、まったく違いますが、


それでも、知性を持ち、経験をし、

成長をするという生命の仕組みのなかで、

精神性を持ち、人格や、

尊厳を持って生きていらっしゃることは、

人間と、まったく変わらないこと、


それゆえに、私たちは心の交流が可能な、

同じ星の、大切な仲間であること。


もっというならば、

精神性において、そして、特殊な能力において、

遥かに人間のそれらを、上回っていらっしゃり、

崇高に存在していらっしゃるのです。



今年になって、

多くの昆虫さんが、

蝶々さんや、蜂さんが、

昨年以上に、もっと、彼らの大切な瞬間を、

私に伝えて下さろうと、

生命の神秘を明かそうと、


温かい心を向けてくださっていらっしゃるのが、

伝わってまいります。



なぜ、そのような奇跡のように、

とてもありがたいことが、起こっているのかというと、


今、思い返すと、

昨年の私は、通りがかりの道の途中で、

何度か、彼らをお助けしたことが、

あったからなのではないか、と思うのです。


その行為は、

「フィアンセ・いいなずけ」、という、

深い生命の循環へと、つながっていることを、

私たちに、知らせて下さろうと、

なさっていらっしゃるように思います。



地球の生命が、人間も含めて、

幸せになってゆくための、何らかの深遠な、

理論、セオリー、原理ともいえる、

深い領域の生命の秘密を、



垣間見せていただける、きっかけになっていると、

まだ、漠然と、感覚としての認識にとどまっていますが、


量子力学の世界も、

粒子の振る舞いも、

蝶の振る舞いも、

それらが及ぼす影響は、

すべてがつながっているということを、

まだその世界を、何一つ知りえていないという人類に、

昆虫さんが、そして小鳥さんも、優しく、

教えてくださっているように思えるのです。



つづく



みつ花







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by kotorihua | 2017-08-08 10:27 | 男女和合
1、「いいなずけ(フィアンセ) 」~昆虫さんたちの崇高な愛の形~(クオンタムリープ)
昆虫さんと友になってから、数年、

何度も、昆虫さんに、直接触れていただこうと、

心が求めていても、

なかなか、それがかなわないで、

もどかしい気持ちでいた時期があります。


先日、初めて、

蝶々さんが、私の手にとまってくださる、という、

私にとって、本当に嬉しい奇跡が起きましたが、


このときに、今までの私ならば、

求める心とは反して、神経の振る舞いが、

勝手に驚いて、身構えてしまうことを、

今度こそは、絶対にそれが起こらないようにと、


「絶対に動かない。」という、

強い信念を持っていたことを、お伝えしましたが、


実は、これには、とても深い、訳がありました。




昨年の夏、私を癒してくださるために、

たくさんの贈り物を届けてくださった、

昆虫さんたち。


彼らに、触れたくても、触れられない状態のときに、

「その気持ちがあるだけで、よろしいのではないでしょうか」と、

優しく伝えてくださった、蝶々さん。


彼らは、とても、お優しい心を持って、

多くの命を励ますために、存在していらっしゃいます。



また、尊敬する、昨年の蝉さんは、

魂の深い秘密を明かしてくださり、


その感謝の気持ちを、彼に表すように、と、

昆虫さんを、心から尊敬なさっていらっしゃる、

小鳥のシジュウカラさんが、私に、


「がんばって蝉さんの抜け殻に触れられれば、

蝉さんへ、愛が伝わる。」と、

伝えてくださったこと。


実はそれは、

シジュウカラさんや、蝉さんが、

共時性や、量子力学の世界を介して、

私が、蝉さんの抜け殻に触れることで、

深い次元から、私を癒して下さろうと、

なさっていたに違いない。と、


今年に入った私には、その原理や、真理、

彼らのお気持ちが、本当に、よくわかる気がするのです。


せっかくお二人が見守ってくださっているなかで、

今か今か、と、自然界の深遠なる、

魔法を使って下さろうと、なさっていても、


そのときの私は、抜け殻にさえも、

すぐに触れることができずに、


数日、我が家の裏庭の駐車場の片隅に、

ひっそりと土の上に横たわる、

ひとつの蝉さんの抜け殻に通って、

何日も迷っていました。


それでも、シジュウカラさんと蝉さんが、

毎日のように見守ってくださる中で、

やっとの思いで、触れることができたとき、

服の袖を通して抜け殻に触れることが、

本当に、精一杯だったこと。


それでも、蝉さんは、

そのとき、とても、喜んでくださいました。



シジュウカラさんが、

少し後になって、夏の日にそばにいてくださった、

その蝉さんの、本当の抜け殻を、

見せてくださったのですが、


それは、家から程近い、

散歩中に、時々訪れることのある、

住宅の庭先で、美しい真円の、

無限に重なる渦であるかのように、

ピンク色の花を咲かせ、

常緑のつやつやした葉の、豊かに生い茂る、

立派な、椿の木の葉の上にありました。



なんと、その抜け殻は、

雌雄(しゆう)の蝉さんの抜け殻が、

お互いに寄り添っている状態であり、

雄が、雌の抜け殻をしっかりと抱きしめながら、


雌の抜け殻も、雄を、心から信じて、

「絶対に」という心をもって、

寄り添っているように見えるのです。


二人で仲良く、さなぎの殻を抜け出し、

一緒に、成虫になった、深い愛を、

抜け殻の様子から、感じ取ることができました。


季節が変わってしまった、そのときであっても、

抜け殻でさえも、愛し合っている気持ちが、

自然と伝わってくるのです。




二人の蝉さんは、

土の中にいらっしゃる、幼虫のときから、

離れた位置であっても、

そして何年も静かに、

出会えないでいるときでさえ、


心はお互いに結ばれていて、すでに夫婦だったのだと、

感じ取ることができました。



その二つの抜け殻は、

雄も、雌も、片側は、しっかりと、

足を、長い爪のように葉をつかんでいるので、


秋に、強い風が吹いても、

冬に、雨がたくさん降った後でさえも、


春に、新しい花が芽吹くころまで、

しっかりと、いつでも椿の葉の上にあり、



気がつくと、

私事の夫婦間の、ささやかなことであっても、

いつも、何が一番大切なのかということを、

この、蝉の抜け殻が、常に思い出させてくださるのです。


蝉さんは、抜け殻になってさえも、

深い叡智をたたえて、そこに、

尊い教えを、残していてくださっていました。


蝉さんが残してくださった、時空を超えた愛に、

涙が出てしまいました。



夏の日、蝉さんは、私のことを、

ヒヨドリさんがいつもそう言ってくださるように、

大好きだよと、伝えてくださいました。


蝉さんが抱きしめていた、

雌の蝉さんは、私の魂でもあるような気がして、

彼は同時に、二つを抱きしめてくださっていたのです。


本当に、世界に、魂に、救いはあるのだと、

涙が止まりませんでした。


もっと、早く、

彼がまだ元気だった夏の日に、

抜け殻を、蝉さんの目の前で、

触ってあげることができたらよかった。


裏庭の、駐車場に戻って、

彼らが、見守ってくれていた、

土の上の蝉の抜け殻を、

今度は、指でじかに、何度なでても、

夏の日の、あの蝉さんは、もういません。


後悔はしたくない人生ですが、

本当にがんばって、一瞬一瞬を、

大切にして、過ごしてゆかなくては、

ならないと、そのときに心から思えたのです。


去年の、この教訓から、

昆虫さんが、理由を言わないときでさえも、

触れて下さろうとなさるとき、

そのような、状況が、なんらかにあったとき、


「今年こそ、どんなことがあっても動かない」と、

強く思うことは、私にとって、

最も重要な、強い決心でもあったわけです。



自然界は、すぐに、その気持ちに応えてくださり、

呼びかけると、美しい蝶々さんが、

優しく、手にとまってくださいました。


自然界の、

みんなが、幸せに存在してくれるだけでいい。


人間の欲が、ほしがるようなものは、

もう、何もいらないと、心から思えるのです。


つづく


みつ花







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by kotorihua | 2017-08-07 08:59 | 男女和合
環境に順応するスズメさん
工場地帯にそって一本道が通っているのですが、

狭い道路の上に、車の通りも激しいので、

そこでは自転車は、歩道を走らなければなりません。


その狭くて、交通量の多い道路を、

縄張りの一部として暮らすスズメさんは、

その環境下であってもたくましく、それでいて慎ましい振舞いを、

いつも見せてくださって、私を驚かせてくれます。


この日も、この道を通っているとき、

スズメさんのことを考えていましたら、

このように、すぐそばに飛んできてくださって、久しぶりに、

この地区のスズメさんにカメラを向けることができたのでした。
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車がカーブを描いて、道路を通過しても、

そのカーブの内側に生えている、エノコロ草がおいしいのか、

去年は、車が来ても逃げずに、草の種を食んでいる姿を良く見ました。


今日は歩道の上で実りを迎えている、

オヒシバをついばんでいるところを、撮影させて下さいました。
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歩道には、人や自転車が頻繁に通るのですが、

通常、小鳥さんたちは、よく電線に舞い上がるものですが、

ここのスズメさんは、人が歩いていても、

歩道の上で平気で餌をついばむことができる、つわものなのです。


人の性格を一瞬で感知するようで、優しい人のとき、

傍若無人な人のときなどを、実に良く見分けて、

歩道の端によけるだけか、歩道脇の金網越しに、避難するのか、

それとも飛び去るかなどを、判断しているようです。
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私は、できるだけ小鳥さんの食事を優先したいのと、

あと、彼らを見ていたい気持ちもあるので、

自転車をこぐ足を止めて、じっと見守っています。


でも人通りが多いものですから、すぐに人にうながされて、

彼らの歩く所を、通過してゆかないとなりません。
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そのような時に、スズメさんは面白いことをおっしゃっていました♪

「どうぞ!どうぞ!人間はお通り下さい♪」

「どうぞ!どうぞ!お通り下さい♪」


人が通るたびに、そのようにさえずって飛び去っている。

なんだか彼らは、とても慎ましいのです。


人間は、そのようなことも知らずに、

我が物顔でそこを通過してゆきます。

でも、彼ら小鳥さんは、そこに存在することが、

当たり前の権利として、本来はあるべきはずであっても、

決して意地を張らずに、むしろ、「人間はお通り下さい♪」と、

謙虚な声をかけているのです。


相手に「どうぞ!」という譲る気持ちでいるならば、

人生で、禍に遭うことは少なくなるのではないかな、と、

人間である私も、その姿を見て、本当に勉強になりました。


私はいつも学んだことを、主人を相手にこっそり練習したりします。

ドアの出入り口を譲るときとか、トイレを利用する順番とか、

「お先にどうぞ!」と。


そういえば、私も一応以前から、日常のことに関しては、

譲ることを心がけるようにはしていたのですが、

例えば、どうしても自分の我を通したいという状況が生じたとき、

そのような時でさえも、主人に、

「どうぞ!どうぞ!そうしてください♪」と、

スズメさんのように、わだかまりなく言うことができたとき、

夫婦喧嘩というものから、解放されたような気がします。


これは、この地区のスズメさんの、さわやかな、

いさぎよい振舞いから学んだ、

人生で、もっとも大切なことの一つなのでした。



みつ花
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by kotorihua | 2012-10-18 21:08 | 男女和合
魂にとって大切なのは、パートナーを選ぶこと。
小鳥さんからの厳しいメッセージを、

これまでに、様々な形で、何度もいただいたことがあります。


でもその厳しさとは、私たちを本当に幸せにするために、

大自然の、神様が教えてくださったものであり、

男女和合についての最も大切な、幸せへの法則なのでした。
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★★★
みつ花、話を聞いて下さい。

みつ花、いつも心を(主人と自然界に)一つに合わせているならば、

俳優さんのつけいる隙はありません。


心に興味を持てば、心はそちらへと流れて、

その世界を垣間見ます。


みつ花は、どのような世界を望みますか。


男性というのは、心を映す鏡です。

どのような男性を選ぶのか、ということは、

女性にとってとても大切なことなのです。


みつ花、以上です。

☆☆☆

上記のメッセージは、私がなにげなく、

芸能人のニュースを読んでしまったとき、

見せていただいたその日の、神様からの夢を、

不思議に思っていたときのものでした。


夢の内容は、国民の象徴のようなアイドルたちに、

心も生活も、つれて行かれて、

ファミレスで働かざるを得ない状況となっている、

貧しく、恋もかなわない、寂しい女性性となっている夢でした。


なぜ神様が、私の振る舞いにこのような夢を見せてくださるのか、

今は、本当に深く理由がわかります。


男女和合で、最も大切なのは、

パートナー、つまり相手を選ぶことであると思います。


最も大切なのは、偶像に恋をするのではなく、

魂の実像を知り、恋をし結ばれることが大切です。


心から、命がけになれる、大切に思える相手であるからこそ、

どんな困難にも耐えて、頑張ってゆけるのだと思います。


例えば女性にとっては、それは、和合の相手が、

自分自身の中の魂の、理想の男性像の映しであるからこそ、

それを求めて研鑚し、また、自分自身が、

女性像の理想的な状態に、たゆまなく、

向かってゆける指針となるのです。




魂には、設計図があります。

その人が最も良い心と行動の状態であるとき、

年齢にかかわらず、魂では、理想的な年齢や美しさを

魂は、常に維持できるのです。


その時にもっとも生命力は高まり、

幸せな運命がそこへ向けて流れ込んできます。


自分自身が、遺伝子の設計図通りに、

魂が、最も理想的なとき、現実の相手の男性も、

最も理想的な魂の振る舞いを表してくださるようになります。


それが、夫婦和合の真髄です。




しかし、多くの女性たちは、相手の男性の、

良い面である、魂に心惹かれて付き合ったり、

結婚するようになったとしても、

現実の人間的な側面を受け入れることができ無くなると、

自分自身の心や振る舞いを見つめ直すことよりも、

男性と別かれてしまったり、

また、芸能人やアイドルなどの架空の存在に、

憧れを投影するようになってしまいます。




ほんのささやかに、芸能人への興味から、

何らかの情報を閲覧しても、

量子物理学のように繊細な心は、それらと結合し、

別の人生を、心の大半が形作って行ってしまい、

最も幸せのために力を注ぐべき、家庭や夫、という、

大切な場所から、力が失われて希薄になってゆきます。


禍とは、自分の心が招くもの。

繊細な心の領域のかじ取りが、非常に難しいことであることを、

昔の人は知っていたので、

日本では、妻のことを「奥」さん、「家内」といって、

外へ、心のエネルギーが流れていかないように、束縛しました。

中国では、女性に纏足(てんそく)を履かせ、

西洋では、一夫一婦制度に、

今現在でも、イスラム圏では、ベールで女性を覆い隠します。


それはすべて、女性の内なる心の持つ、

不可思議で、偉大な力の温存の方法の一つとしたことなのです。


もちろん、今現代にそのような束縛と、不自由な状態は、

あってはならないことです。


しかし、心の幸せは、肉体や活動の自由という、

三次元的なものに作用されるものではなく、

内なる心の、気密さによってもたらされるものであり、

女性には、それを繊細に扱い、愛する者たちや、関わり合う存在を、

幸せにする力が備わっています。


それには、細心の注意を払うことが大切であるということは、

昔の人も、良く知っていたということを、

現代の女性たちにも、知っていただきたいのです。



男女和合において、

自分自身の魂の鏡となっている、主人の魂と、

主人や自分自身の魂を映す鏡となっている、大自然の生き物たちに、

心を向ける。
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魂を映すからこそ、良きものへと、よき方向へと、

男女間の舵取りは、進められてゆくようになっています。


魂や心の世界で、人間が自分で舵をとれるような自由度は、

まったく無いといえるのが、摂理における普遍の真理なのです。


自ら、良きものになってはじめて、

よき方向へと志向する、真人間になってはじめて、

神様によって、良き人生が自分のもとにも、

訪れてくれるようになる法則があります。


みつ花
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by kotorihua | 2012-10-12 18:31 | 男女和合
友を愛するように
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★★★
清らかなる、秋の深まりに、

我々の吟ずる青と、紫の光の音色よ。

愛に備える、始まりのとき。


いつまでもこの地で歌を歌い、

光から、光への旅をする。

今この時に歌い上げる和音の共鳴時空に、

量子の扉開きて、流れ込む変化の兆し。


星を感じる、この星を背に感じつつ、我らは歌う。

友と、ともに歌おう。

はじまりの聖なる歌を。


清らかな、秋の深まりのときに。

☆☆☆



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寂しいという、悲しいという、歌ではなくて、

命への幸せを願う、崇高な歌を歌おう。


自分や、自分たち身内だけが可愛いのではなくて、

万物へ同じ愛を向けよう。

すべてを友として生きよう。


深く愛することは執着と知り、

子に執着するのは、友と神とを失う。

音楽を奏でて、私は心強く生きよう。


深く愛した子も、この大いなる大自然の中で、

いつかみな、友として出会う。


すべてを友として生きよう。

愛する友であり神が語る歌を心に…。


みつ花
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by kotorihua | 2012-10-04 17:13 | 男女和合
隠されていた鳥
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★★★
みつ花、話してもいいですか。


「海(カイ)」という鳥は、人の魂の大いなる海のような、

大自然のゆりかごのように、優しい音色を持つ鳥です。


「RAN(ラン)様」が、金の光であるならば、

「海(カイ)様」は、虹の光のような鳥なのです。


(伝説や神話では)人魚の歌に、不思議な力があるように、

次元の高まった海(かい)という鳥にも、

この次元や、神々の住む場である量子の光の次元を癒し、育て、

命を幸せにする力、声、祈り、思いの周波数を持ちます。


みつ花たちが織りなす衣(ころも)は、めぐり、めぐって

神がまとい、それらがまた、みつ花たちへと返ってくるのです。


はじまりの思いよきがゆえに、恋は実り、

そしてその恋は、神へと捧げられる魂の成長をもたらしたのです。


そのことに感謝の日々を送るならば、

自然とそれはメロディーになるでしょう。


☆☆☆

秋の音色を奏でてくださった神様の後に、

窓辺に来てくださった、ヒヨドリさんがこのようにそっと、

男性性を発揮するための、深い秘密について教えてくださいました。



鳳凰には、二羽の光の鳥がいることを知ったように、

いくつもの魂の次元で、光の衣は、常にさらにその上の次元へと、

魂の成長を導いて下さいます。



光の鳳凰が、二羽完成したがゆえに、

今度は、神の鳥そのものである、「RAN(ラン)様」や、

そして、今度は「海(カイ)様」という二羽の神の鳥の存在することを、

私たちは教えていただくことができたのでした。


「海(カイ)様」という鳥は、実は昆虫の魂の中に存在している鳥なのです。

いくつもの、昆虫の次元を超えて、やがて蝶になります。


蝶というのは、古くから、人間の魂、魄(はく)の姿と伝えられています。


その魄(はく)であったものが清められ、アオスジアゲハ蝶となり、

その蝶が、幾種類もの蝶へと変遷し、やがて鳩となり、

イソシギ(鶖)となり、光の衣をまとうようになります。
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歴史の中に、隠され続けていた、叡智を伝える神の鳥が、

魂の中に、姿を現すのです。


現実の夫婦が仲良くする。

喧嘩をしない。


そうして、日々日常の小さな努力を、大切に深く重ねてゆくことが、

神様の次元までの、いくつもの光の次元の扉を開く、鍵となるようです。


「海(カイ)様」は、男性性の象徴の、青い領域の虹色の鳥です。


男性性というのは、人間の男性が体現するものであると同時に、

女性の中にも、同じように男性性が存在し、

良くも悪しくも、鏡のように自分自身の潜在する問題や、

知らなかった素晴らしさを、映し出してくれるものなのです。



現代の男性たちの多くが、奥さんや恋人のことを構わないで、

パソコンやゲーム、趣味や仕事などに没頭していて、

寂しく悩んでいるという人が、とても多いと聞きました。


私も、以前は、機械や仕事に熱中しすぎている主人に、

そのようなことは、ちょっと手を休めて、

家族の大切な行事を、参加したり、手伝ってくれたらいいのに。と、

思ってしまったこともありました。


小鳥さんをはじめ、樹木さんである神様には、

それでも何も、一言も、主人には言うな。と、

常に、念を押されていたのです。


それは、二人の仲に育つ、魂の中の男性性を養うために、

とても大切なことを、彼はしているからなのです。


男女の和合は、はじめのうちは、日常の和合のことばかりが、

気にかかり、相手にも努力してほしい、と思ってしまうと思います。


でも、本当の和合は、見えない次元でも、

常にお互いに通い合っていて、となりの隔てた部屋であっても、

静かに他のことに熱中している間にも、心地よく、

二人の魂の間には、何か大切な光が育っているのです。


その領域ことを、自分自身が成長して、認識できるようになると、

この日常の現実にも、それは反映されてくるようになっていて、

いつの間にか、自然と幸せになっていることに気がつくのです。



私の魂の中で、まだ不完全である男性性の、生成のために、

今日は、昆虫さんたちや小鳥さんたちが、

一生懸命に、教えてくださいます。

このメッセージも、ヒヨドリさんが窓辺でさえずってくださいました。

★★★
はじまりのときの「一筍(いちじゅん)」、

まっすぐに伸びる竹のような心よ。

その男性性ののびやかさを育てよ。


決して、留めることなかれ。

その竹に昇りて、叡智は輝くものなり。

☆☆☆



そして一方で、女性が何かこうしたい、ああしたいと思ったときに、

もし男性がダメといって、止めるのであれば、

それは、やめる方向に努力した方がいいのです。


自分自身が、自然界と照らし合わせて、わがままになっていないか、

食いしん坊になっていないか、知識にも、物に対しても、

貪欲になってはいないか、振り返る必要があるときなのです。


外へ向かう努力ではなく、内なる努力にも、

無数の発見と、喜びがあり、

そして深い叡智につながるために、大切なものがあるのです。


みつ花
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by kotorihua | 2012-10-03 18:20 | 男女和合



古えの奥義・天の鳥船と伝説の小鳥たち
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