カテゴリ:神々からのメッセージ( 225 )
この地球を、真に支配している知的生命体
年齢による、女性特有の不定愁訴を、

自然界は、いつも深い癒しの技術と、

温かい心をもって、

深く癒してくださいます。


小鳥さんの、心温まるさえずりで、

一瞬で、心の曇りはすがすがしく晴れますし、


時には、不定愁訴も、症状が重いときなどには、

漢方薬や、アロマテラピーなどの利用も、

短めの使用期間と最小限の使用を心がけることで、

症状も、飛躍的に良くなるものですが。


その、貴重な植物さんたちの、薬学的な、

薬価的なエッセンスにもまして、


実は、もっとも強力に、癒しの力を持っている、

「生きて、そこに生え、

存在してる植物さん」の力に、

勝るものはないのだということを、

自然界は私に、深い癒しの力を授けてくださいました。


「よもぎの窓辺」とも表現されるように、

古代から、アジア、古来中国のことわざにもあるように、

我が家も、その、素朴で清貧な住まいや、

暮らし方をしていますが、


現代の日本で、精神性によって、

あるいは、人々の生活によって生じる環境下によって、

自然と生えてくる植物が変わるときに、

蓬(よもぎ)、が育つよりもまず、

テングサと、私が仮に呼んでいる植物さんが、

育つことの多い、住宅街の庭ですが、


人間の多くすむ、環境下であっても、

たくましく育って、住まう人々を守ってくださっている、

その、蓬さんと同じ種の、テングサさんも、

すさまじいまでの、力強さで、

人の免疫の修復に働きかけてくださっていることに、

気がついたのです。


人はいつも、

食べられるか、食べられないか、

薬効があるのか、毒性のものなのか、と、


人間にとって、何らかの有用性があるかどうかをもって、

植物の価値を、決めつけてしまっている現代人ですが、


本当の価値というものは、

人間が、まだ、うかがい知ることのできない、

次元の認識力の中にあり、


その、崇高な次元においては、

すべての植物さんに深い価値があり、

名も、忘れてしまっている雑草と呼ばれる、

小さな草々にも、「神の領域の働き」という、

人間が、もっと敬意を払うに値する尊厳があることを、

自然界は教えてくださるのです。


蓬さんや、テングサさんの葉が、

纏(まと)っていらっしゃる、

繊細な白い綿毛が、


そこに存在していながらも、

ある次元において、

人間の細胞を優しく、

真綿でくるむかのように包み込み、守り、

天界の心と、細胞をつなぎとめて、

癒してくださる力を持っているのです。


庭先に自然に生え育つ、小さな草々、

一つ一つが、宇宙生命体として、

優れた機能を持っていらっしゃり、

さらに宇宙機能を持ち、

自由に行動することのできる

昆虫さんを呼んでくださいます。


昆虫さんは、人間の人体に、

量子物理学的に働きかけて、

生命の機能の修復をしてくださり、

植物さんや小鳥さんとの、

相乗効果でなさってくださるその作用は、

死のふちにいるものにも、

生命として、生きる力を与えてくださるのです。



もちろん、現代の人間が、

今使わせていただいている、

古来からの英知である、

漢方薬や、アロマテラピーの、

エッセンシャルオイルには、

以前からずっと有効性を感じ、

深い敬意を持ち、心から愛しているのですが、


ある日、自分自身にとって、

身近で遠い、ともいえる人から、

すれ違いざまに感じるようになってしまった、

癌の匂いや、あるは別の人の、死に近しいかおりを、

感じ取れてしまったことがあったとき、


われわれ人間よりも力強いと思っていた、

植物さんのエッセンスでさえ、

自然界の生きた生命体とは、切り離されて存在する、

死のかおりと、まったく同じ香りを、

小瓶の上から、かおらせていることに、

気がついてしまったのです。


そのとき、小鳥さんのさえずりで、外へ出ると、

夏の日差しと、天からの降り注いでくださる雨に、

植物さんの、生命に満ちた香りが、

人体にも、心にも、愛とともに、立ち込めてきました。


生きた植物さんや、自然界に生きる生命は、

格段に優れた、他の生命への癒しの働きかけを、

なさってくださっていることを、

深く、感じ取ることができたのでした。


日本には、古来から、

食べることの目的以外で、

植物さんからエッセンスを作り出す、

という習慣は、

そうあまり多くはないように思えるのです。


また、漢方薬の調合の種類も、

中国のものよりずっと少ない処方しかありませんでしたが、


古来、自然とともに、

素朴で純粋に生ることができる、

恵まれた環境下にあった日本人にとっては、

その処方すら、いざというときのためのもの、

そして、あらゆる症状に対応できるものという、


より大きな、偉大な自然界の力に育まれた、

概念が、あったからなのかもしれません。



大切なことは、

生きている植物さんのそばに、

愛と感謝と、深い存在への理解をもって、

佇(たたず)むこと。


それが、自然界の皆とともに生きることなのだと、

気がついたのです。





不定愁訴の、

その症状の度合いが軽くなるにつれて、


薬学的な効能が、すでに認められている、

漢方薬や、アロマテラピーなどから、


日常的に、食事と同じように扱われている、

ハーブティーへ、移行してゆくときに、


私の場合は、幻聴や、ホットフラッシュの名残を、

和らげるために、カモミールを飲むと、

それらが、消えてゆくのを感じました。


しかし、飲み続けると、

体や脳が、慣れてしまうのか、

効能が薄れてゆくように感じられるのですが、


効能が薄れてゆくと感じるのは、

ハーブ自身も、

そして、アロマテラピーのエッセンスなども、


実は、自然界から切取られて存在している状態であっても、

彼らは、生きている彼らと、今もつながっていて、



同種の、生きている植物さんと、

綿密に連携し合って、

人々の人体を癒してくださっていらっしゃることに、

気がついたのでした。


彼ら植物さんが育った外国のフィールドや大地、

その大気に漂う、根源的な宇宙エネルギーとのつながり。


そして一方では、使用している人間の身近に育って、

人々の家々の庭の植物さんとさえも、

生命の癒しの連携を行い、

人を癒してくださっているのです。

本当に、本当にありがたいことです。


それがゆえに、

一人の人間が、同じものを使い続けていると、

その種の植物に負担がかかってしまい、

その人への分の、癒しの効能が、

低下してしまうものなのだと、わかったのです。


植物さんに、命に、深い感謝を持って、

そして、いつの日か、癒してくださった彼らに、

恩返しができる存在となれるように。


そのように、生命として、

この宇宙で命を与えられ、

幸せに生きるためには、

彼らへの感謝と、ご恩を忘れないでいることが、

とても大切なことなのだと、気がついたのです。



まだ気づきの浅い段階の、ある時期、

効能が薄れたら、一時、

別のものを取り入れたらよいのではないかと考えて、

次は、違った種類である、

レモングラスのハーブティーを、

主人に買っていただこうと、考えていたころ、


いつものように、庭で植物さんや樹木さんのもとに、

佇んでいますと、

そよ風が、優しく吹いてきて、

そんなにたくさんは、いらないのだということを、

教えてくださるかのように、


その風が、購入しようと思っていた、

レモングラスのハーブの香りを、

帯びているのに気がつきました。


レモングラスの葉の形に、そっくりな、

日本の空き地に育っていらっしゃる、

よく見る、よくある、その植物さんが運んでくださる、

そのそよ風は、


フレッシュな葉のまま淹れた、

レモングラスのハーブティーと、

同じ力強さで、よい香りをもって、

私を包んでくださったのでした。


私は、本当に驚き、

もっと、もっとこの香りと愛を…と、

深呼吸をしたのでした。


今まで、この草さんが、

それは、ススキさんの、夏のお姿なのですが、

こんなにもよい香りがするとは、

思いもよらなかったのです。


人は、季節が違うと、

さまざまな植物さんが、

花が咲いたとき、

あるいは、実りを迎えたときに、

どんなに美しいか、

どんなに価値があるのか、という大切なことを、

思い出せなくなってしまうものです。


彼らは、どんな姿であっても、四季を通して

常に助けてくださっている、宝(たから)の存在です。



その花を、実りを楽しみにしている自然界の生き物、

生活の糧としている小さな神なる存在が、

その植物さん、一本、一本に、

すべてを託していることもあるのです。


花や実りを、よく知っている身近な樹木さんが、

人間の事情で、ある日突然であるかのように、

切られてしまうことは、

とても悲しいことでありますし、


もし、人間的な状況判断から、

やむにやまれぬ事情であったとしても、あるいは、

よくするために、そうせざるを得ないときでさえも、

そのときより、その人の人生がよくなることは無いのです。


もっと問題は、内面のあり方にあるからなのです。


むしろ、そこを自然のそのままに、

自由にすること、

それが、よくなってゆくための、原理なのです。


世の中の誰もが、

名も知らない小さな雑草を、大切に思う気持ちを育てる。


数千年の間、積み重ねてきた人間の、

英知と知識を、

自然界の偉大な叡智へと融合させてゆくことが、

今、もっとも新しい生き方。


むしろ自分たち人間だけが、

よりよく生きようとすることを、

執着をせずに、手放してしまえることが、

とても大切な、幸せの法則なのです。


植物さんたち、昆虫さんたち、

小鳥さんをはじめとする、

地球上のあらゆる知的生命体である、

生き物さんたち、


人は、気がつかないかもしれませんが、

現代の人々の身近に住まう、ネズミさんや、

コウモリさん、ネコさんや、トカゲさんや、

ヘビさん、タヌキさんでさえ、

素晴らしい叡智と、生命の連携を持って、

愛のまま、存在していらっしゃり、


気づきと理解の深まった、

努力をすることを忘れないでいる人々を、

常に守ってくださる、

神様のとる、謙虚な、

仮のお姿をなさっていらっしゃるのです。



彼らは、人の心の成長に応じて、

そして、愛と理解の深さに応じて、


生命の秘密の扉という、

本物の魔法を、


黒でも、白でも、黒白でもない、


輝くお日様の、黄金の魔法を、

私たちにそっと明かしてくださるのです。


みつ花





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by kotorihua | 2017-07-31 09:43 | 神々からのメッセージ
もう一度、純粋無垢な、雛さんのように。
今年の春に生まれた、スズメの雛さんが、

少しずつ大人になって、立派に成長なさるお姿を、

自然界の神様たちは、私に、

彼らのそばにいて、見せていただけるという、

チャンスを与えてくださいました。


毎朝、夜が明けると、

真っ先に夜明けを告げる、

ヒヨドリさんのさえずりの指示に従って、

たくさんのスズメさんたちが、

街の中で寝床になさっている、

繁華街の安全な街路樹の上から、

続々と、家族単位や、グループの一団単位で、

その日の餌場となる、郊外の広い畑や、

空き地などへ、次々と飛んでいかれるお姿のある中で、


我が家の庭に住んでいらっしゃる、

一組のスズメさんの家族のお姿も、

同じ時間帯ごろから、拝見するようになります。


夜明けのお日様が昇り、明るくなり始めると、

私は、小鳥さんに促されて、朝の散歩へと、

静かな住宅街の中に、招待されるのですが、


東の空の、透明感のある陽(ひ)の輝きが、

その日それぞれの形をなしている雲を照らして、


ときには、ブルーや澄んだ水色に、

そして銀色に輝いたり、


とある日は、

薔薇の朱色のように、

赤々と、雲をどこまでも照らして、

黄金に輝く太陽が、住宅街の屋根や、

家々の庭の木の上に、立ち昇ってゆく、


一日のうちで、

最も美しいのではないだろうか、とも思える、

素晴らしい時間帯を、

神様は私に、プレゼントしてくださるのです。



その美しい輝きの中で、

まだ、あどけない、スズメの雛さんは、

ほんの一週間ほど前までは、

親鳥さんが運んで来てくださる食べ物を、

私が、見守って眺めている、

樹木さんの枝の上で待ちながら、


おねだりのさえずりや、

喜びで、羽を小刻みに震わせて、

親鳥さんが雛さんの口元に、食べ物を運ぶ瞬間を、

私に、何度も見せてくださっていたのですが、


翌日になると、雛さんは、

親鳥が食べ物を運んでくるのを待つと同時に、


待っている間にも、自ら周辺の枝を見て回りながら、

食べ物を探していらっしゃり、

さらに翌日は、

親鳥さんが少し離れたところから見守るなかで、

自ら食べ物を捕獲するお姿を、見せてくださいました。


今日の雛さんは、私の散歩道の、

道路わきの垣根で、私が、間近で見つめている、

という状況下であっても、

たくみに、飛び交って、

日に日に上達し成長なさるお姿を、

見せてくださるのです。


雛さんのまだ柔らかく、淡い茶色の、

美しい、命の輝きに満ちた存在が、

そばにいてくださることの、どんなに愛おしく、

心が勇気づけられることでしょうか。



私事(わたくしごと)ではありますが、

英語の勉強も、ある一巡をめぐり、

会話での「話し言葉」が理解できるようになると、

次は、「書き言葉」の学びに移行してくるときに、


まるで、すべてを最初から、

学び重ねてゆく必要性があるくらいに、

綿密で、きちんとした作業に、

今一度、立ち返らなくてはなりません。


口頭での、慣れたアルファベットのつづり方から、

書式用の、長く難しい単語を覚えてゆく作業や、

書式用の文章を、頭の中で正確に構築する作業は、


まるで、英語の初心者が、

アルファベットを並べ始めた初心のころと、

まったく同じように、一つ一つが、

大変もどかしいのです。


もう一度、英語を学ぶ、小さな雛に立ち返ったように、

一つ一つ、積み重ねてゆくのです。


その、私の姿を、

自然界の皆さんが、決して私の心が、

くじけてしまうことがないようにと、

一日、一日、進歩してゆくように、


自然界の中で、すさまじい速さで、

たくましく成長なさる、スズメの雛さんを、

我が家の窓辺に遣わしてくださり、

心から、励ましてくださるのです。


さらに今日は、いつも雛さんに、

手取り足取り、教えつつ、

私が雛さんを見つめているときには、

離れた場所で、背後から見守っていてくださり、

雛さんへの日々の子育ての成果を、

嬉しそうに、見せてくださっている親鳥さんが、

英語を勉強しようとしている私を、

窓の外から、呼んでくださいました。


私が、そっと窓を開けますと、

庭先に育つ、鮮やかなオレンジ色をした、

ノウゼンカズラの、窓辺にまで伸びている、

花の枝に、スズメさんが、

舞い降りてくださったのでした。


親鳥さんのなさるお姿を、

雛さんは、通りの電線の上から、

安全確認のためのさえずりを、

常になさってくださっていました。


スズメさんが、本当に、目と鼻の先とも、

手元ともいえる近さに、

わざわざ飛んできてくださることが、

本当に驚きと喜びであり、


連日の親子のスズメさんが、私に与え、

授けてくださっている、深い愛を思い、

スズメさんが、飛び立っていかれた後、

嬉しくて、涙が出てしまったことは、

言うまでもありません。


今日から英語の勉強は、新しい段階に入り、

丁寧に、構文を一つ一つ理解して、

例文を、自分の使う形に、言葉を置き換えながら、

書き出してゆくという、膨大な作業をしてゆこうと、

思っていたところであり、


どちらかというと、

インスピレーションのままに楽しく学ぶというよりは、

日本の学生たちも嫌がるような煩雑な方法であり、


単純でありながらも、変化させた文の、

細部にまで気を使って、単語や構文の使われ方が、

正しいかどうかを、確認してゆく作業は、

大変なことだと思います。


それでも、その作業を乗り越える先に、

語学の成長はあるのだと、

スズメさんは教えてくださって、

励ましてくださっているのだと思います。



ノウゼンカズラの花は、

それは、私だったと思えるほど、

スズメさんが、舞い降りてくださったその枝に、

間違いなく私の心や魂は、

彼らに触れていたのだと思うのです。


みつ花







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by kotorihua | 2017-07-30 04:44 | 神々からのメッセージ
愛そのもの
自然の中で暮らす猫であっても、

どこかで、飼われている猫であっても、

心のつながる、真の友、

自然界の一員と認めていただけるなら、

彼らは、いつでも守ってくださるようになる。


周囲一帯の、広い範囲で、

ネコさん同士のネットワークがあり、

彼らは、緊密に連絡しあって、助け合いながら、

人間とは違った、

意識のコロニーを作り上げているのだ。


ネコさんを嫌がる人の中には、

猫が、生ごみを漁るから、という理由を、

挙げるかもしれない。


ネコさんは、キャットフードや、猫缶だけでは、

本来の栄養が、偏ってしまうのだ。

それが、過食につながったりもする。


野菜や、草をはじめ、昆虫や、魚、

特に、魚の肉や、骨の近く、

時には皮の部位なども、彼らには必須の要素。


牛や豚肉の、骨の髄のように、

コラーゲンのたっぷりと入った部分が、

季節の変わり目や、疲れているときなども、

必要となる。



それは、猫だけでなく、

犬も同じことである。


本来、自然が豊かな場所で、

自然と人と関わって、幸せに暮らせる環境に、

ネコさんや、犬さんがあるならば、


彼らは、必要なときに、必要なものを、

必要な分だけ、食するだろう。


でも、現代の人為的な環境の中で、

飼われざるを得ない彼らには、

もっと自由や、飼い主の生き物に対する、

深い理解が必要であるし、


その、理解力こそが、何よりも、

自分自身をより深く理解することに、つながるのだ。



ネコさんをはじめとする、守り神は、

人間が、日々の暮らしの中で、

知らず知らず、自然に発してしまっている邪気を

その毛並みによって、無効にしてくださる。


時には、闇のパワーから人を守ってくださる。


それゆえに、

猫の力を信じるものは、猫を好み、

一方では、邪魔だと感じるも者もいることだろう。



昔、西洋で、「犬を良し」とし、

「猫を悪いもの」と、意味づけた者たちによって、


猫を飼っていたり、親しくしている者は、

魔女だと呼ばれ、

大量に人が迫害された歴史がある。



近い昔には、同じ西洋で、

「猫を良し」とし、「犬を悪し」とした者が、

犬ともどもに、生命を大量に迫害した歴史がある。


犬も猫も、大自然の、神なる領域では、

実は、同じ働きと機能をもって、存在している。


西洋での、「むらさき色」の光の領域で、

有害な遺伝子が、

人類の魂に働きかけないように、

それぞれの分野の、

表裏となって機能しているのだ。


人間のやり方で、片方を阻害すれば、

もう片方も自動的に阻害される。


それは、大自然という、豊かな恵みを、

両方の、すばらしいお力を、

無効なものとしてしまう。


そのことは、自分自身が楽園へ至れないという、

大きな要因を作り出してしまうのである。

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現実に生きて、存在している生き物と、

意識や夢の闇の中で、生き物の姿をしていたり、

不可視でありながら、現実で、

恐ろしい振る舞いをする存在とは、

まったくの、別のものである。


それを混同してはいけないのである。


そしてまた、別のものだからといって、

それらを、何らかの方法で撃退しようとしてもいけない。


本来は、神の宿るべき、その領域が、

人間の欲望と、無知によって、

乗っ取られてしまっているだけなのだ。


そこへしたこと、その要因は、

自分自身の免疫や、遺伝子が受け取っている。


神々、大自然の知恵がなければ、

自らの刃が、自らを傷つけてしまうのだ。


人間の、目には見えない不可視な領域の、

取捨選択は、人間が自ら行ってはいけないのである。


ただただ、何が欲望で、

何が無知なのであるか、という、

「真の知性」を知らなければ、

それは消えない。


そして、その答えは人間の中にはない。


人間の遺伝子の見せる闇、

遺伝子異常の切除、

その取捨選択においては、

われわれ人類よりも、自然界の生き物のほうが、

はるかに賢く、繊細で、その領域に長けている。


自然界の生命体は、

われわれ人間の生命にとっても、

魂や、免疫を守ってくださる、

大切な存在なのである。


愛を持つならば、尊崇するならば、

その者の、内なる魂や、心、

現実の肉体や、幸運と不運までも、

癒す働きをする。


つまり、自分自身の心のあり方こそが、

自分自身を幸せにしうる、

たった一つの要因なのだ。


現代人の心のゆがみが、

正常になるとき、


愛そのものである命に対して、

人間もまた、愛そのものとなるとき、


地上の生命は、

人間に対応している、あらゆる分野において、

癒しを行い、真の知性の伝授という、

大いなる使命を、

愛を持って、働きかけることができるのである。


みつ花
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by kotorihua | 2016-10-27 09:40 | 神々からのメッセージ
星の輝きである英語、太陽の輝きである日本語
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(ジョウビタキさんの女の子、半年振りに庭に来てくださった。)


「ジョウビタキさんからの光」

日本人は、蛇の力(砂漠の魔法と、私が呼ぶもの)を、

無害化できる魂を持っている。


※ 「砂漠の魔法」とは、樹木の生い茂る楽園へ、

魂を成長させる、生命の力ではなく、

すべてを砂漠にしてしまう、欲望の力。

ここでいう蛇とは、人間の意識の中で、

魂を蝕んでいる、蟲(人間の心が形をとった意識体)。


なので、現実に生物として存在する蛇さんは、

神様です♪※


私たちの髪が黒いのも、

瞳が黒いのも、

古代の、恐ろしい砂漠の魔法を吸着させて、

蛇を、無害化した名残。


天に住んでいたころの我々日本人は、

魂の姿として、

白い肌、黄金の髪を持つ、

太陽に住む人々の光の色と、同じでした。


星も同じ。

神々の髪が、時に真っ白くていらっしゃるのは、

神々のアバターとなる、人間の心や魂の一部が、

輝きを失っていたから。


黄金のりんごではなく、

赤いりんごではなく、

まだ未熟な青いりんごを、

かつて人類だった人が食べたから。


それから蛇は生まれた。


闇の黒い粒子をまとった存在が、

西の人々の中で、人々を苦しめている。


恋の魔法という、砂漠の魔法で、

清らかな人々の愛をすり替えて、奪ったことで、

現実のアフリカの砂漠の大地は生まれ、

本来の西洋の文化が、

今や、すでに輝きを失ってしまっている。


神々につながる、楽園の人々の、

魔法の力を、恋で乗っ取り、

肥大化していった、西洋の現代文明は、

たった今、終わりを告げて、


本来持っていた、よい時代、

自然を深く愛していた、

本物の西洋の文化が蘇る。


それは同時に、東洋の文化が、

蘇ることでもある。


すべては再び置き換えられて、

自然界の生き物すべて、そのものが神であり、

メシアであることに、人々は気づくだろう。




今日の、このメッセージは、

昨日から、我が家の庭に帰ってきてくださった、

冬の渡り鳥のジョウビタキさんが、

今朝も、朝早くから、美しいさえずりで、

季節の到来と、幸運を告げてくださって、

このようにメッセージとなったもの。


写真は昨日のもの、最初に写した一枚を、

載せてほしいとのこと。


庭では、たくさんの仲間の留め鳥の小鳥さんたちが、

嬉しそうに、元気よくさえずってくださっています。


私は、自然と、ジョウビタキさんに英語でご挨拶をしました。

すると、英語で答えてくださいました。


そばでは、スズメさんが嬉しそうに、

高らかに、チュンと鳴いてくださった、

その一声は、きらきらと輝く星の光のようでした。


そして、日本固有の小鳥さんたちは、

星であると同時に、太陽の輝きを伝えてくださっています。

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(冬になると、北海道から南へと、渡りをする、ヒヨドリさん。

わざわざ、我が家の真上を飛んでくださる。)

留め鳥の、いつものヒヨドリさんは、

日の出とともにさえずって、

仲間(神々)の到来を知らせてくださる。


カラスさんも、スズメさんも。


涙が出るほど嬉しい。


みつ花
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by kotorihua | 2016-10-23 09:44 | 神々からのメッセージ
『奇跡の鳥』
先日、主人と一緒に自転車で散歩に出ました。

そのときに、小鳥さんの案内で、

自宅から、一番近い川まで行きました。


川岸に降りられることがわかり、水辺にたどり着くと、

セキレイさんがそばに次々と飛んできてくださり、

たくさんの写真を写させてくださいました。


今日、そのときの様子を記事にしようとしていますと、

窓辺にヒヨドリさんが訪ねてくださり、

驚くべき貴重なメッセージを伝えてくださいました。

★★★

みつ花、話してもいいですか。


伝説の中で、セキレイさんが現れることの意味は、

神の到来を表しています。


遠い古代に、人々は、

セキレイの羽衣(はごろも)を、意識下でまとい、

結婚の儀式を行いました。


彼ら(セキレイ)の伝える、愛の奥義は、神道の一部に継承され、

存在をながらえてきました。


その神への道が、途絶えてからは、

真の奥義は人間に知られることのないまま、

数千年が過ぎようとしています。


宇宙へ通じるまことの愛とは、

無の境地になること。


己を消し去って、男女が日々暮らし、

何の思いもなく、何のこだわりもなく、

真の魂の自由を得るときに、

神の羽衣をまとうのです。


その奇跡がなされるとき、

セキレイの神々は、この世に現れるのです。


以上です。


☆☆☆

メッセージを受けましたときに、

光が注いだのが、こちらのキセキレイさんのお写真でした。
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親鳥さんが、雛さんを連れていらっしゃり、

一通り撮影してから、再び親鳥さんを写そうとしますと、

親鳥さんは、ふわりと舞い上がられてから、

雛さんを写してほしいと伝えてくださいました。

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今年生まれた、キセキレイさんの雛さんです。

細石(さざれいし)のような、石の上に止まっていらっしゃいます。



おととしの冬に、自宅近くの公園でキセキレイさんをお見かけして以来、

街の中では、姿を見かけたことがなかったものですから、

こうして、つがいとなって、雛さんをもうけるまでに、

街からもそんなに遠くない場所で暮らしていらっしゃったことがわかり、

本当にうれしかったです。


すぐそばには、ハクセキレイさんやセグロセキレイさんもいらっしゃり、

この貴重な水場を、みなで仲良く共有なさっていらっしゃるようでした。


こちらは、ハクセキレイさんの女の子です。
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背中の羽の色が、夏の名残で、

まだ淡い薄墨色をなさっています。
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こちらのセキレイさんとは、小鳥さんと出会った当初から、

深いご縁があって、よくお顔も存じ上げています。

大家族で、水辺に訪れてくださいました。
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こちらは、ハクセキレイさんのつがいの男の子です。
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男の子の背中の羽は、冬の羽に生え変わりつつありました。
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その後、突然、すぐそばに舞い降りてきてくださったのは、

今年生まれた、ハクセキレイさんの雛さんでした。
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ハクセキレイさんは、雛の時期、お顔の産毛が

淡いレモン色をなさっていらっしゃることがよくあります。
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手が届くほどの、すぐそばであっても、

雛さんは、堂々となさっていらっしゃるのでした。
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その様子を見た、セグロセキレイさんは、

水の流れのある石の上で、きれいな声で、

美しいさえずりを始めました。


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長いさえずりが終わるころ、

ハクセキレイの雛さんは、セグロセキレイさんのそばへ行きました。
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この後、二羽の小鳥さんは、心をひとつになさって、

周囲を何度も舞ってくださったのでした。


みつ花
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by kotorihua | 2013-10-13 12:39 | 神々からのメッセージ
淡き友情
先日、ヒヨドリさんから、友とのかかわりにおいて、

メッセージをいただきました。

★★★

清らかなるもの、その交友は、淡きを以って最上となす。

それゆえに、水の流れは、何ものも損ねることはない。


清らかになりしもの、その、映る影を見るがゆえに、

その影を避けることができる。

お互いのためである。


☆☆☆

小鳥さんには、人間の思念や、

思念が生み出す結果が、

前もって、手に取るようにわかっているようです。


よく、主人と何かについて真剣に話しているときなどに、

そのことについてのメッセージを伝えて下さったり、

思念や、振る舞いの結果を、

まだ未然の、蜃気楼や影のように、

目の前で、見せてくださることがあります。


人間だけの考えでならば、当然のことであっても、

私は、その影のようなものに反応して、

行動したり、行動をひかえたりするのです。


なぜそうしなければならないのか、という理由も、

私にも、ときどきわからない場合もあります。


ただ、小鳥さんの制止を聞かずに、

行動してしまうと、結局、いつも遠回りをしてしまいます。

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こちらは、久しぶりに棕櫚の木に訪ねてくださった、

大人のヒヨドリさんです。

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最近は、いつもヒヨドリさんの雛さんたちが、

窓辺に来てくださっています。


右のヒヨドリさんが、今年生まれた雛さん。

左側のヒヨドリさんは、大人のヒヨドリさん。

雛さんたちのご両親です。


このとき、お互いに挨拶をなさったのでしょうか。

大人のヒヨドリさんが、挨拶のためなのか、羽を震わせると、

雛さんは、口を開けましたが、声は一切立てませんでした。


窓辺には、いつもよりたくさんの、

かわいいヒヨドリさんのお姿で、

とても賑わっていたのでした。


みつ花
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by kotorihua | 2013-10-06 14:49 | 神々からのメッセージ
平和の楽園
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平和の楽園というのは、

一人、一人の、心の内側に創り上げるものです。


何にも惑わされることなく、心に平和を打ち建てるには、

人間の世界の中で人々と関わり、

成功しようと、どんなにもがいても、

それは到底、無理なことです。


神という存在は、人間と共にいるのではなく、

意識の中や、社(ヤシロ)の中にいるのでもなく、


自然界そのものの、実在すべてが神そのものなのであり、

それ以外の、神と呼ばれるものはみな、

人間が作り上げた幻想に過ぎません。


人間は、その幻想に、自分自身で無意識のうちに、

感覚という実体を付加することができてしまうものなのです。


脳の意識が、感覚を生み出し、

人間種族の体の機能に、

共鳴させることができるようになっています。


それが、共通の深層意識のビジョンを生み出し、

共通の意識界を作り上げてしまうのです。


人体は、そのような機能を持っています。


その仕組みを知らずにいることが、

自然界の中で、人間だけが神の世界と隔てられて、

不幸そのものとなっている理由なのです。


この迷妄には、人間の自意識が存在する限り、

終わりがありません。


人間という実体がある限り、光に照らされて映る影のように、

人間は誰も、誰かの自意識を取り去ることはできないのです。


自分自身が、自分の心に真実を求める聡明さを養い、

何よりも、神そのものである自然を愛し、敬い、大切にし、

師として学び、彼らと共に生きる以外に、

影と光、実存と虚構を、見抜くことはできないのです。


それは決して、厳しいだけの道ではなく、

寂しい道でもありません。


むしろ、本当の豊かな愛と、生きるための恵みを、

ふんだんに与えられて、幸せに生きることができる、

明るい道なのです。

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写真は、我が家の庭と、棗(ナツメ)の実。


みつ花
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by kotorihua | 2013-09-26 08:36 | 神々からのメッセージ
オナガさんの雛さん♪
ようやく朝晩涼しくなりはじめた、おとといの朝、

窓辺にオナガさんが来てくださいました。


こちらは、今年生まれた雛さんです。
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産毛が生え変わり始めています。

昨年も、雛さんたちのかわいいお姿を拝見しましたが、

今年の雛さんは、かわいらしさの中にも、

大人びて、知性的な振る舞いがあるのを感じました。


もちろん、かわいらしい仕草も健在で、

4~5羽の雛さんが、窓辺の屋根にかわいらしく並んでくださり、

親鳥であるオナガさんが飛び立つと、

みな一斉に、木立のある方へと飛んでゆかれました。


もっとも遅い夏の時期に子育てをなさるオナガさんが、

雛さんを見せに来てくださり、

自然界の子育てが、ようやくひと段落着いたことを知りました。


こちらはそのときに、

親鳥さんが伝えてくださったメッセージです。


★★★


日本に於いては、「神<kami>(God)」という言葉と、

「髪<kami>(Hair)」という言葉は、同じ音を持つ。


「髪」は、「友<tomo>(Friend)」という表意文字を併せ持ち、

「友<tomo>」という音は、「伴う<tomonau>(Togeter)」と、

同じ音を持ち、それには、

「添い遂げる(Partner)」という意味があてがわれている。


2000年以上前の、古代日本では、

自然界の「神」(God)であるものと、「友」(Friend)であるものは、

同一であった。


自然界の命、すべての種族はみな、

それぞれ独立した個性を持つ「神」であり、

それらは同時に人間の「友」である。


また、自然界の種に宿る命の息吹は、

みな、同一の摂理と知性をそなえ、

人々を、万物共通の理念のうちに導いていた。


人は「風」、つまり神の吹かす風(Breeze)、

運ばれる叡智(Spirit)に、髪をなびかせる。


また、神の息吹である空気(air)を呼吸で取りいれる。


それを受け止める臓器、「肺<hai>」は、肯定的な言葉、

「はい<hai>(Yes)」と、同じ音を持つ。



人生は、すべてに於いて、「Yes」しかない。

「はい(Yes)」しかない。


神が与えてくれるもの、すべてを肯定して生きることが、

人間、そして地上の生物に定められた、

もっとも大切な掟である。


☆☆☆



詩を書きました。

★★


神はこの星を、愛の大気で包んだ。


私は、その大いなる愛の気に包まれ、

それを吸い、生きている。


私は、神の大いなる愛が吹きつけるこの風に、

髪をなびかせて、

神の意思と意図を感じ、生きるのである。


私は、添い遂げたい。


この、地上の友である、鳥と木と昆虫と、

すべての生き物たちと。


ずっと彼らの、善き友でありたいのである。


☆☆


今朝は、窓辺にヒヨドリさんが来てくださり、

メッセージを伝えてくださいました。

★★★

みつ花、話してもいいですか。


人は、いつかきっと完成します。

あきらめない限り。


どんなことにも、

課題があります。


☆☆☆

このようにおっしゃってくださいました。



みつ花
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by kotorihua | 2013-09-08 14:30 | 神々からのメッセージ
「食の真髄」
ずいぶんと長い間、食に関する考察について、

述べようと、毎日努力していました。
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(こちらは、今日の夕方、窓辺に来てくださったキジバトさんです。)


今朝も、食について、

今まで小鳥さんから教えていただいたことを、

自分の言葉で、箇条書きにしていましたら、

やはりいつものように、小鳥さんが窓辺にいらっしゃり、

「一緒に」、とおっしゃってから、長く沈黙が続いていました。


今日は、悩んだ末に、主人に相談してみますと、

「自然界の神様は、もっと深い本質のようなことを、

伝えてほしいのではないか」と、アドバイスをくれました。


すると突然、小鳥さんから、

次のような、メッセージをいただいたので、

非常に驚いたのでした。


★★★

みつ花、話してもいいですか。


天にささげる食べ物のことで人類は、

大きな誤解をしています。


手の込んだ食事、多岐にわたる食材、

そのようなものを神前に奉げるとしたら、

そこに祭られているものは、自然界の摂理からは、

最も遠い、欲の世界の産物です。


自然界の神が求めているのは、

地上のすべてが、友であり、仲間であること。


食べ物は命であり、魂や心の姿そのものです。

それを、忘れないでください。


(農においては、)季節がめぐり、実ったものをいただく、

茂ったものをいただく、

それだけで十分なのではないでしょうか。


多くを求めれば、多くの労働力が必要です。

目に見えない、多くの犠牲が生じます。

そして、結果として、

自分自身が作業の奴隷になってしまうのです。


心安らかであることこそ、

豊かに暮らすために大切なことなのです。


☆☆☆


そのようにおっしゃってくださいました。


その後は、神様から、

概念のようなものが伝わってまいりました。


***


農業の、「農(のう)」という字は、

神(自然界)と人間の、「食」に関する、

非常に深遠な意味を伝え持つ言葉です。


農は、「曲がり」という字と、「辰(たつみ)」という言葉からなり、

「曲がり」というのは、川の流れの湾曲した内側の、

堆積作用によってできた、「洲(す)」にあたる部分をいいます。


自然界の神々が、唯一、

人間に農業をすることを許してくださった場所が、

この、「川の曲がり」、「洲」だったのでした。


この川の流れによって形成される「洲」は、

春の雪解け水や、秋の台風による川の氾濫などによって、

神々である植物、特に樹木の生長が難しい土地です。


しかし、春過ぎて、秋が来るまでの、季節の良い時期には、

植物を育てるために、最高に良い条件を持っているのです。


豊かな養分を含んだ、川底の泥が、

川の氾濫によって堆積した場所は、

肥料の必要もなく、また、雑草の蔓延る心配もありません。


大自然の神である樹木を切ることなく、

人々は、この場所に、神から与えられた作物を植えて、

栽培することを許されました。


それが大豆をはじめとする、豆類だったのでした。


豆の栽培であれば、春、桜の花の咲く前に種を撒き、

秋、台風が来る前に収穫することができます。


非常に古い時代から、人類は、地球のあらゆる場所で、

豆を栽培することを主とした農業を、

自然界によって、許されたのでした。



また、「豊か」という字は、「曲がり」という字と、

「豆」という文字からなります。


「洲」に、米や、麦を植えても、実りを迎える前に、

季節の川の氾濫によって流されてしまいますが、

しかし、大豆をはじめとする豆類は、

確実に収穫できる、よい作物となっているのです。



本当の豊かさとは、

自然の樹木を、一切、切ることなく、

しかも人間が、作物を得ることに困らないこと。


植物を育てる力というのは、自然界にあり、

決して、人間が手をかけるものではありません。


すべて、一切を、天の気(天気)と、

自然界の宿す、命の力によってなされるべきものなのです。


人というのは、自然界が恵みを、

分けてくださるから、食べることができるもの。


人が天に沿って正しく生きるとき、

その大地は、天の気も穏やかに、

植物も豊かになるようになっているのです。


その、すべての営みを、ただ信じて生きること。

何も、恐れることなく。


***


神様が人々に伝える叡智は、

常に、いつの時代も、パーフェクトなのです。


豆の苗が、少し大きくなり、

ある種には、つるが伸びる。

その蔓ののびた先に、桜の花が、次々と開花します。

その、啓示の素晴らしく美しいことは、言葉もありません。


日本の歳時記に残る、立春前の「豆まき」の風習は、

決して今伝わっているような、

鬼を追い払う行事のためにするのではなく、

この時期(春)から、豆を植えるための農事に取り掛かることを、

伝えているのではないでしょうか。


よい種をより分け、蒔くのによい場所を探し、

その場所に、ほんの少しだけ、人は手を加えるのです。


各地域の、桜の開花から逆算して、

豆を発芽させる時期を見計らう。


本来は、その、人類の根源的なあり方や、

本質にまつわる大切なことを、

歳時記は、伝えていたのではないかと思われます。

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(今日咲いた、百合さん。)


みつ花
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by kotorihua | 2013-08-05 19:15 | 神々からのメッセージ
新しい扉
日々、一生懸命にがんばっていると、

自然界は、その時々で、

いつも気づきや、ヒントを与えてくださいます。


今日は、いつものように、普通の人と同じように過ごしていると、

小鳥さんは、その素晴らしい日々の中で、

何が、自然界と違和感があることなのか、感じるようにという、

大きなヒントを伝えてくださいました。


こちらは、一昨日前に写した、太陽にかかった虹です。
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しかし、「みつ花、この虹は、まだ半分しか与えられていません。」と、

そのとき、神様はおっしゃいました。


いつも虹が出ると、全幅で祝福して下さったのに、

どうしたのだろうと、考えました。


きっと、まだ私が知らないことがあるのに違いないと思います。



今日は、久しぶりに小鳥さんが、

メッセージを伝えてくださいました。

★★★

みつ花、話してもいいですか。


人は、一生懸命がんばる、

それは、希望を持っているからです。


その希望が、支えになります。

明るい未来も、希望によって引き寄せられてきます。


希望ではなく、大義のためにそれをするなら、

(大義のために、一生懸命がんばるならば)

苦しみからは、逃れられません。

それは、「儒教」が元にあります。


人々は、多くの宗教を身につけましたが、

儒教のことは、宗教という認識すらないほどに、

日本人、アジア人の生活、生き方、心情に入り込み、

人々を苦しめています。


天の本来の、命の自然さではなく、

親のため、家族のため、上司や部下のため、会社のため、

自己の身を粉にしてしまうのです。


自己を滅し、自然界の動植物、

生き物たちと一体となるときには、癒しが訪れますが、

自己を滅し、「人のため」に生きるとき、

人は消耗し、滅びにいたります。


それを救う術(すべ)は、いまだ一切ありません。


「儒教」という宗教が、人間の精神を呪縛していることに、

まだまだ人が気がついていないからです。


☆☆☆

このようなメッセージをいただいて、

本当に驚き、また、

深くありがたいことだと感じたのでした。


世間には、既成の概念や宗教観に束縛されて、

精神や魂が、がんじがらめになっている人々がたくさんいます。


真実を知ることこそが、その呪縛を解く鍵となりますが、

中には、そのような既成概念や宗教観が、まったく無いのに、

自らの概念によって、自分自身を呪縛している人も、

世間には、たくさんいらっしゃることに気がつきました。



自分自身の、ハートフルで、自由で優しい心を束縛してまで、

社会の要求や両親、仲間の要求や期待に応えなくてはいけないと、

がんばりすぎている人々がいることを知りました。


それは、長いゆがんだ歴史の中で、

日本人に染み付いた在り方ですが、

何か、おかしいと感じます。


情や、義理の気持ちで、または社会的な大義名分で、

人のためにがんばってしまうと、

そのような方法論では、生きる力、

生命力を命に与えてもらえないのです。


命が生きるうえでの生命力は、

自然界の神々、大自然の力が与えてくださっています。


生き方を間違えてしまうと、

人生はうまくいかなくなってゆきます。


でも、その人生がうまく行かないことこそ、

神様がそのような人々に示している愛であり、

今の生き方を変えて、本当に生命力にあふれる、

豊かな生活へ戻るようにと、伝えてくださっているのです。



「病(やまい)は口より入る」といわれていることわざがありますが、

その「病」とは、魂の領域で、

「儒教的な習慣」であることがわかりました。


私も、今、魂の根源に沈んでいるその領域が、

どのような概念によって作られているのか、

解明してゆこうと思っています。


みつ花
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by kotorihua | 2013-07-23 16:32 | 神々からのメッセージ



古えの奥義・天の鳥船と伝説の小鳥たち
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