カテゴリ:森からの使者( 3 )
夏、山の神から田の神へ
立夏を過ぎてから、自然界が宿す力、小鳥たちの振る舞いに、

大きな変化が起きた。

再び身近な小鳥たちが庭に頻繁に訪れ、

呼べば、手が届きそうな場所まで飛んできてくださるのである。

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季節は常に流れて、とどまることなく、

私たち生命は大切に育まれて、常に変化し、成長し続けている。


地球そのものが持つ、大自然の力は、春、山から噴き出して、

そのあふれる御力を野へ里へ、万物へと行き渡らせる。
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その山の神の働きを引き受けるものに、桜の木の花があり、

天のもたらす恵みである雨を呼ぶものに、藤の花があり、


日本の豊穣の二大神の名をあげるとすれば、

まさしく、日と水の性を受け持っている、桜と藤であるといえる。


桜が日本中を駆け巡るように咲誇ること、美しく散る花びらに託して、

山の神の力を、日本中の大地と、命である万物に降りそそいでいる。


四月七日に、この地に山の神と、海の神という、大自然の力が集結して、

美しい花を咲かせ、花の開花とともに、日本を北上し、

北海道の花を咲かせ終えるのに、ちょうど一ケ月という期間がかかる。


(後日、精霊さんが、北海道までだけでなく、

アメリカまで行ったと言っていた。)


その間、この地区の桜の精霊や神々たちは、みな桜とともに移動する。

桜の精霊のいない間、藤の降らす雨が、この地を潤す。


そして再び精霊や神々が帰ってきたのが、今年は立夏の翌日であった。

桜の大樹に触れると、はっきりと力を感じ、知性と存在感、

そして、生命の力がみなぎっているのを感じるのであった。


春、日本中に豊穣の種をまいた、山の神の力は、

夏、田の神の力となって、万物を育てる働きへと変じてゆく。


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しかし大自然というのは、奥深く、現実の植物の豊穣を司ると同時に

人の心や、魂の中に育つ植物の花や実の成長をも司り、

季節の変化とともに、命の心をも育てているのである。

それが、日本古来の信仰の礎なのである。



心が柔らかく耕され、種がまかれ、潤いを与えられて、

人の魂や、心は、神々の世界で、それぞれの植物となり、

花を咲かせ、実を結ぶのである。


深い思いやりや、和する努力、慎み、

善悪ではなく、それを越えたところにある、

深い摂理や大自然の循環を理解しようとする働き、

そのようなものが一つ一つ神々の世界で実のり、

よい糧となり、種になるのである。


その実や種が、神々に召されて、私たちの心は、

深い叡智につながり、神々と一体となり、

苦しみや悩みというものに、

埋没することがなくなってくる。


その深い大自然の奥義が、

日本の古来から言われている、

「山の神、田の神」の名に託された、

深く精妙な、季節の働きなのである。


雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-05-07 12:24 | 森からの使者
「暦」どおりに神様を運ぶ鳥
4月7日(土)のことである。

この日は、神々にとって、とても特別な日であったようである。


この日、ツバメの姿を、今年になって初めて見た。

ツバメが南半球から海を渡って、日本に帰って来たのである。


渡り鳥が日本に帰ってくる日というのは、とても深い意味がある。

彼らは、神々を連れて様々な土地を旅する。

時には、人間の中のエネルギー体を、一緒に連れてゆくこともある。


私たち生きている人間も、エネルギーの増減を常にしている。

何かに夢中になっている、満ちているときや、

時にはつらい時期、心にぽっかりと穴が開いたようになることもある。

そのような時、私たちは天を飛ぶ鳥たちに運ばれて、

神々とともに、旅をし、エネルギーを補充されたり、

心の浄化を行われたりしているのである。


鳥が、磁場のまったく正反対の土地へ、エネルギー体を運んで、

極性を癒し、浄化する。

あるいはエネルギーのパワーを強める、そのような働きを、

渡り鳥の彼らは担っているのである。


日本には秋や冬になると、北からの渡り鳥がやって来くるし、

春や夏になると、南からの渡り鳥が帰ってくる。


卵が生まれ、子育てをする場所が、彼らの出身地、

つまり彼らの本籍となっている。なのでツバメは日本の本籍を持つ。

小鳥たちも、明確に所在地と秩序を持っているのである。


そしてまたこの日は、本当に久しぶりに、シジュウカラとムクドリが、

我が家に来てくれた。
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今の時期、彼らは婚姻やなわばりの確保などで、

とても忙しいから、なかなか窓辺に姿を現すことがなかったが、

この日は、とても重要な役割をもって、窓辺に来てくださっていた、

ということが後になって分かった。

ツバメが運んできてくださった神々が、

シジュウカラやムクドリに託されて、この日我が家にやって来た。
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昨日の記事にも少し書いたが、この日は、

満月であり、桜の精の降臨する時である。

また、旧暦では3月16日に近く、

山の神様が、田の神となるために、家にやってくる頃であるという。

1か月後、田の神様となり、豊穣を司るのであるという。

農事を司る神を祀る、日本の古いタイプの信仰の名残であると、

言われているが、本来はもっと大いなる大自然や宇宙の働きと、

人々の魂の仕組みに由来を持つ、大切な日本の歳時である。
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この日はちょうどツバメが帰って来た時であり、

また、同時にこの地区では、桜の花が咲いた時であった。
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山の神のエネルギーを司る、桜をはじめとする「木の花」の神と、

海の神(南天)のエネルギーを司る、「ツバメ(ツバクラメ)」という鳥の神が、

この日一堂にこの国に集まって、人々の住む世界に舞い降りたのである。

今年は、そのように両者が重なる、特別な日であったようなのである。



いにしえの和歌には、日本における季節の秘密がひそかに伝わっている。

神々が、本当に日本の人々の心に天降る力を持つとき、

その時は、日本の季節は「暦どおりに動く」と言われているのである。


そして、「春(立春)が来る前に、春が来る」ときが、すべての始まりであり、

それが神々が降臨したという合図であり、

「暦」という深い「神の御業の力」が自然界を通して、

人間に働きはじめるというのである。


そういえば、今年春一番が吹いたのは、間違いなく立春前の、

2月1日であったことを思い出した。

(気象庁は、立春以降に吹く風をもって春一番とする、ということに

こだわっていて、今年は春一番がこなかった、と言っていたが、

自然界というのは、そういうものではないようである。)


「暦」とは、古代に神々から与えられた、

人々の心の成長と実りのための、重要なシナリオなのだそうである。


今年の春の種まきは、人々の心にまく種であり、

秋の実りは、人々の心が豊かな実りを迎える、という、

古代から続いている、深い奥義が披かれたという、

重要なメッセージなのであると、神々は伝えてくださるのである。



雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-04-10 11:30 | 森からの使者
超古代からのメッセージ
昼間のことであった、山鳩(ヤマバト)が窓辺にやって来て、

さえずると、なんだか脳内が、とても心地よく感じて、

目をつむると、言葉が出てくる。

意味はよくわからないが、そのまま記してこうと思う。


***


愛するがゆえに、その愛を傷つけられたことによって、

破壊の感情は生まれてしまった。


愛しいと思うがゆえに、わき起こる守りたいという気持ちが、

強くなればなるほど、破壊は大きくなる。


滅んだ大地、エジプト(カムド)とは、黒い大地という意味である。

黄金色に輝いていた、あの美しい魂の聖都。

一瞬でこの黒い大地は生まれて、私は誓ったのであった。


愛しい気持ちだけでなく、理性を持つことの大切さを。

どのようなことが起きても動じないと誓って、

魂が、それを習得できるように、人類へと進化をうながした。


ずっと手元に置いておきたかった子供たちが、

私とともに成長し、深い愛の中にあってなお、

理性を身に付けることができるようにと、

祈り続けて、145億年がたった。


人は動じないようになったのか、

人はそれでも深く愛するようになったのか。


神の遺伝子を育てる器となる、田の子供たちよ。

(「田」の意味は田んぼではなく、記号、図形に意味があるよう。)


***


以上です。


私も、よくわからないのですが、日本には、

山の神様が、季節によって山から田へ降りてきて、

豊作のために働いてくださり、

また、田から山へ帰るので、その時期にお迎えしたり、

お送りしたりする風習が残っているという。



しかし、私が感じる限り、山の神も、田の神も、

「山」や「田」という記号や図形に宇宙的な意味を感じるのである。


確かに実りをもたらす、豊穣の神であるのだが、

その実りには、大地的な意味に限定されず、

もっと宇宙的な、魂や量子の世界の物質や、非物質の、

深い仕組みを表現しているように感じるのである。


「山」は、人体における三本の柱を表し、

中心は、一本ではなく、二本がこよりのように螺旋を描き、

中心の柱を形作る。これが「日本」の名の由来に、

つながっているように思う。


人の左の柱は、「エジプト的なるもの」を表し、

それは万物を愛す汎神論的な秘儀の概念であり、


人の右の柱は、「西洋的なるもの」を表し、

それは一神論的な秘儀の概念である。


感情の柱と、理性の柱である。


その両者を併せ持つ中心に、楽園へ至る柱が形成される。


そのことが、小鳥や樹木によって教えていただいたことで、

少しずつ、そうではないか?と思うことをまとめてみた感じである。



「田」については、私もまだ何もわからない状態である。

図形であるということを、記すにとどめておこうと思う。



雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-04-09 21:38 | 森からの使者



古えの奥義・天の鳥船と伝説の小鳥たち