3、「いいなずけ(フィアンセ) 」~昆虫さんたちの崇高な愛の形~(クオンタムリープ)
私がなぜ、昆虫さんたちを助けてあげよう、という、

根本的な、思いやりのようなものを、

持つようになったのか、


どのように、先人である、祖父母たちの、

素朴な感性を引き継いだのか、

ということとともに、振りかえってみると、


まだ、曽祖父や曾祖母までも生きていた、

4~5歳のころ、祖父母の家に、

よく遊びに連れて行ってもらっていたときの、

そのときの、エピソードが、心に深く、

生き物への思いやりのようなものを形成したという、

記憶が残っています。



祖母に手を引かれて、敷地の広い裏庭の、

果樹園を歩いているとき、


木の枝に、白っぽいものが、

引っかかっているのが見えて、


祖母は、それが蛇の抜け殻だということがわかると、

小躍りしてしまいそうなほど、喜んでいました。


当時の人々は、

蛇の抜け殻を、お財布に入れておくと、

金運が良くなると考えていたそうです。


この時代の人は、まるで、みな、

そのことが最重要事項であるかのように、

そのような金運のようなものを、

とても大切にしていました。


祖母のような昔の人々は、

蛇の抜け殻を見ただけで、

それが毒蛇ではないことが、すぐにわかったようですし、


脱皮したばかり、というわけではないので、

その場に蛇がいないことがわかると、


どこまでも続く、果樹園の中で、

その場所を見失わないように、


小さな私を、その木の前に立たせて、

「お財布を持ってくるから、ここで待ってて。」と、

家に、お財布を取りに行ったのでした。


そのときの私は、蛇の抜け殻を、

取り立てて、怖いと思うようなこともなく、


まるで、古い衣が、木に掛けられて、

そのまま、忘れ去られてしまっているかのような、

陽に照らされて、銀色に輝く抜け殻を、

ただ、じっと見つめていました。


今、思い返すと、

おぼろげな記憶の断片でしかない、

幼少の思い出も、まるで、

その場所にだけ、お日様の光が、

スポットライトのように、照らしていて、

自然界との思い出は、いつも、

陽(ひ)の光と共に、思い出されます。


その木の枝が、ごつごつした、

梅の木の幹であったことや、


梅の木に茂る青々とした、丸い葉の印象が、

光とともに、鮮明に思い出せることが、

とても不思議でなりません。


お日様は、「“観察する”」という私の瞳に、

その光を細部まで、鮮明に思い出せるほど、

記憶のどこかに、

それをしまって置いてくださったようです。



当時の私は、蛇の抜け殻や、

虫などを嫌がる、という概念もなく、

ただ、興味を持って、それをじっと見ている、

という存在であったと思います。



やはり同じ頃、

今となっては、最後の武士と呼ばれる人の、

子供であった曽祖父の、

身の回りのこまごまとしたものを入れて置く、

3~4段ほどの、江戸指物の小引き出しの中をあけて、

何かを探しているとき、


そこには、古いマッチ箱があり、

そのマッチ箱を開けると、そこに、

蝉の抜け殻が入っていることに、気がつきました。


その頃のマッチ箱は、

古いタイプで、深さがあり、

丁度、蝉の抜け殻が、

きちんと収まるくらいの大きさだったのでした。


曽祖父が、どのような気持ちで、

身近な日用品を入れている小引き出しに、

蝉の抜け殻をしまっておいたのか、

理由はわかりません。


のど飴や、梅仁丹、

薄荷のタイプの塗り薬、

印鑑や、鉛筆、懐中時計、

身近においておくと便利な、

雑用品が入っている引き出しなのです。


そして、これは何か、と、

祖母に聞いている私は、

それを、怖いとか、汚いとか、

思うことはまったくなく、


曽祖父のものだから、

大切にしなくてはいけないと、

言われたような気がして、

ただそれをじっと見て、


それらが、外の木の幹に引っかかっていたり、

敷地の中にも、落ちていたりすると、


そういうものは、踏みつけたり、

掃除してしまわずに、そのままそこに、

大切にしておこう、という認識が、

小さいながらに、育ったように思います。



また、あるときは、

祖父や祖母が、父と話をしている姿を、

ぼんやりと聞いていた、記憶があります。


その、ほとんどの話が、縁起を担ぐことの話で、

猫や、犬、小さな生き物を、

大切にしなくてはいけない理由を、

昔の人のことを含めて、話して聞かせていることや、


庭で、小さな白い蛇を見たから、

縁起が良い、ということであったり、

柱にも使うほどの丸太ほどの太さのある大蛇を、

敷地内で見たから、云々、ということなど。


もし、敷地内で、いつか大蛇を見ることがあっても、

絶対に殺しちゃだめ、ということを、

何度も、父に言い聞かせていた様子を思い出しました。



また、夏の夜になると、

土間に、鈴虫や、コオロギが入ってきて、

一晩中鳴いていたり、


鳴き始めたその音色を、

じっと土間のほう見つめながら、

耳をそばだてている私は、


ぼんやりとはしていても、

どこか心を、研ぎ澄ませて聞いていたのです。


そこには、虫であることも、

小さな子供であることもなく、


存在と存在との対峙のようなものを、

観じていたのだと思います。


そして、時を経て、

今、私は、虫の音に、深い愛を感じることができます。

深い次元の、修復能力を感じることもできます。


自然界には、研ぎ澄まされた、

意識のようなものがあり、

そこには、深い愛が存在していると、

知るようになりました。


それが、自分自身が、子供だった頃のように、

ただ純粋な、意識として存在するというだけではなく、

愛を感じるまでに、成長させていただけたという、

生きて、経験を重ねた、

甲斐があったということなのだと思います。



その経験を支えている根幹が、

子供の頃の、純粋な心に、

生き物を尊重することの大切さを、

暮らしの中で自然に説いていた、

祖父母の、命への優しさがあったように思います。



次回は、どのように私が昆虫さんを助けたのか、

それを、記しておこうと思います。


そこには、今の人が忘れてしまっている、

大切な、ノウハウ(手法)のようなものがあります。


情や、一方通行なだけの優しさという、

人間の考えるような、

良かれという方法のみで助けるというのではなく、



彼らには、さまざまな種があり、

さまざまな、習性があります。


そして、心があります。

それらを理解して尊重してあげることは、

とても大切なのことなのです。


その詳しい内容は、

また次回に。




みつ花








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by kotorihua | 2017-08-09 16:56 | 男女和合
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