日々の行いと喜び
★★★
遥か古代、宇宙から飛来した意識体は、地球の石に宿り、

石を生命体の依代(よりしろ)とした。


宝石と呼ばれるもののいくつかは、

意識の中の、生命体の形態に似ている。

それゆえに珍重された。


生命とは文字の形態であり、形に固有の特性があり、

おのおのは独立した存在である。

宇宙における摂理を成すのが文字である。


また、邪気(悪しき感情)を封じ込めたときも、

また、文字となり、その文字によって、

感情による破壊は無害化するのである。


その文字を超えて、もとの形態を会得するとき、

本当の自分を取り戻せるだろう。


☆☆☆


宇宙の始まりである、神様の光の形態、紋様は、

私には見ることはできなくとも、感じることができました。


それは光輝のようで、言葉では表せないもの。

私はその中の小さな一部のように、包まれていたのでした。


そして、人間である「自己」の発した共時カルニキシンが、

自然界の小鳥さんや虫さん、樹木さん、

そしてしいたけさんや海藻さんなど、

自然界の神々に無害化していただいたとき、


それは、ある種の固有な文字となりました。

日本に伝わっている、古代文字、ペトログラフの一つでした。


魂の、どの部位が歪んでいるのか、

その文字一つ一つを見れば、わかるのです。

悲しみか、嫉妬か、家や土地、物への執着か…。


人が、三次元のこの物質の世界で生きている限り、

苦しんだ、すべての共時カルニキシンによって発動した、

悪しき感情が、神の働きによって封印され文字となり、

感情の暴走が、無害化された、その姿を見たのでした。


そして、同時に、その文字の向こう側に、

人の魂の、本来のあるべき姿を見ました。

その、美しさは、言葉にできませんでした。



★★★
みつ花、話してもいいですか。


共時カルニキシンの問題は、人が「考える」ことにあります。

問題が起きても、そのことについて「考える」ということを手放せれば、

すべては神が、事を良い方へと運びます。


その時に考慮されることが、日々の行い、心の持ち方、

他者への思いやりや、自己の慎み、

神(摂理)の指示に素直でいられるか。

あらゆる日々の行いによって、

よき方向性は選択されてゆきます。


人は問題に行き当たり、感情が動く。

そのシステムは、人間ではどうすることもできないのです。


その時に、「何も考えない」ことを選択するならば、

すぐさま、日々の行いによって、

照らし出されたことによって、

神の救いはもたらされるのです。


日々の行いが、とても重要なのです。


人は、人間的な世界の欲の暴走を慎みつつ、

それでも心楽しく、幸せに生きてゆくのが、

最も、神の意を体現しているのです。


日々の心の感動を、常に忘れずに過ごしてください。

その喜びこそが、神へ捧げられる賜物なのです。


みつ花、以上です。


☆☆☆

神様は、喜びを糧にしている。

喜びは、喜びを生み出し、

それがまた、発した本人に帰ってくる。


宇宙の根本原理は、すべて自分の思いが帰ってくるもの。


人は欲を超えて、心を見つめる作業をし、努力をしつつも、

その根本にある、人間の遺伝子の誤配列を、

人間であれば、誰もそれを治すことはできません。


だからこそ、日々の努力を重ねて、

自然界に学び、彼らを大切に思うことが、

とても大切なのだと感じています。


みつ花
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by kotorihua | 2012-08-19 13:03 | 超古代と遺伝子の病
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古えの奥義・天の鳥船と伝説の小鳥たち
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