自分自身の思いであるがゆえに
★★★
みつ花、話してもいいですか。


磐座に封印された人は、「ほしのかがせお」、

星の輝きという意味です。

人の魂の、もっとも崇高な光輝です。


それが失われて後、

人は、大いなる知性を失ってしまいました。


日と月は、単なる時間を知る道具となりました。

本来は、魂の癒しのために、命のために、

人の魂の一部は、太陽を毎年二回行き来するのです。


それが宇宙の命のサイクルです。


人の遺伝子の配列で、失われていたものが蘇り、

肉体内を上昇して、天へと到達します。


落ちていた日が昇るとは、このことをいうのです。


浮上を阻むものが、人の嫌悪感、

つまり、「共時カルニキシン」が発動するからです。


かたくなに嫌な気持がわきあがるとき、

それは、魂がそうさせているのではなく、

共時カルニキシンの神経発動が、そうさせているのです。


「私は逃げない」

人生で起こるあらゆる困難に遭遇した人々に、

この言葉は、神がその人を救うための、

約束の言葉であることを伝えてください。

☆☆☆



とても古い磐座信仰は、縄文時代の始まりと同時に、

日本が固有の文化を失ってしまってから、始まったそうです。


縄文の人々は、古代のインドの人々やパキスタンなど、

その周辺の人々によってもたらされた文化だそうです。

このことには、私もびっくりしてしまいました。

予想もしていなかったことだからです。


麦の文化や稲作の文化も、この縄文時代がもたらしたものだそうです。

この方々は、きっと良かれと思って、農耕をもたらしてくださったのでしょう。


また、弥生時代というのは、モンゴル由来の人々によって、

形成された文化だそうです。


現代の日本人は、彼らの混血によって形成されているようです。


神々の伝える本当の日本の文化は、

そして世界中の文化もそうですが、

石器時代に由来があり、その時代の人々は、

とても平和的で、知性が高く、生活も、

今の人が想像する以上に豊かだったようです。

素朴ながら、必要なものはみな作られていましたが、

あることがきっかけで、石以外のものは残っていないのだそうです。


それは、月にクレーターができた原理と同じなのかもしれません。

月のクレーターは、空砲、意識による原子力爆弾のような、

人間の心によって作り出した破壊の力の痕跡なのだそうです。



石器時代といっても、それが二万年前なのが、

二十万年前なのか、もっと前なのかは、ちょっとまだわかりません。



本来は、星へと届く脳の、叡智の分野が封印されて、

石で抑えて置くようになったそうです。


封印した者があり、封印をし続ける者もあり、

また、封印されたのちも、必ず封印が解けることを願って、

信仰した人々も、地区によっては存在していたようです。







虚構の敵が、実体を持ち、災いをもたらすようになる、

それを、「共時カルニキシン」といって、

それは人間の嫌悪感や、善悪の概念から生まれる、

神経の反応です。


この宇宙には、普遍的に変わることの無い、

真実の法則が、生命の中に、隅々まで行き渡っています。


それに反すれば、摂理は正常な状態へと、

それを導くための、作用を促します。


それを、試練ととる人もいるかもしれませんが、

摂理からくるものは、「愛」と、「癒し」、「成長すること」しかありません。




しかし、人間の世界には、この普遍的な真実の法則の他に、

人間が人間を支配するために、心の原理を利用してつくり出した、

「虚構の法則」が蔓延しています。


虚構の法則とは、摂理がもたらす「愛」による癒しや成長とは違い、

精神が及ぼす神経の反応である「共時カルニキシン」、つまり、

人の嫌悪感や善悪感を、人間が感じることによって、

行動や人生を支配させることです。


そしてこの「共時カルニキシン」の厄介なことは、

嫌悪感が、善悪の概念が、そっくりそのまま、

発した自分自身に帰ってくるという、宇宙の大きな法則の中で、

人間を不幸な存在に至らしめてしまっているのです。


自分で発した思いだからこそ、

「この人生は、逃げてはいけない」ものなのです。


「共時カルニキシン」の発生する原理を理解して、

そうならない自分に、成長してゆくしか方法はないのです。




例えば、身近なことでは、

脳の覚醒と、体や心の修復のためには必須である、

動物性たんぱく質を食べてはいけない。であるとか、

これは、食べてはいけないと思っただけで、

その人の体の反応や、人生が支配されてゆきます。



あるいは、自然にしたがって、

それら糧となる生き物を得るのではなく、

「飼い、飼育する」ようになって、命の大切な根本である摂理、

つまり神とのつながりを失わせてしまう。など。


カルニキシンによって発生した不幸なのか、

大自然の摂理に反してしまって、起きている不幸なのか、

深く見極めるためには、自然界に導かれ、

教えていただく以外にないのです。



そういった、本当に日常の細かいすべてのことに、

人間は摂理に反したり、人間の通念に常に支配されながら、

一人一人が、心を翻弄されて生きているのです。





例えば、「もったいない」という言葉は、

価値観が素朴で自然にと、良い方向に変わりつつある現代、

一見良い言葉のように、人々の中で使われますが、

けっして、単純にそうだとはいえないこともあります。


「食べ物を粗末にすると目がつぶれる」といいますが、

それは、「人間の作り出した原理」であり、

この時、目をつぶしているのは、摂理がもたらす法則ではなく、

人間の通念を信じる、本人自身の免疫が、神経反応が、

「目をつぶす」ような働きかけをしているのです。



摂理は、地上の命に、食べ物を与えてくださいますが、

常に食べ過ぎる、摂りすぎるということは節制します。


体に必要の無いものを摂りすぎれば、

繊細な体の機能が壊れてしまい、それが心の暴走に

つながってしまうからです。


摂理は、生命と心、魂の機能の正常性を重視します。

そのような時には、摂理では「もったいない」ということはないのです。


しかし、食べられるもの、必要なものなのに捨ててしまえば、

摂理はその時に「もったいない」と判断し、教えてくださるのです。

厳しく教えさとしてくださることはあったとしても、

目をつぶすようなことは、まったくないのです。


目をつぶす働きをし、招き寄せているのが、

自分自身の神経の反応なのです。



これは日常の本当に些細な一つのたとえですが、

この人間の生み出した虚構の原理が人間の世界に働いていることを、

多くの人に知っていただきたいのです。


摂理や神様の愛というものは、深く、深遠であり、

「もったいないから」といって、

保存食をたくさん作ったりすることよりも、

より新鮮なものを体に取り入れることを、常に教えてくださるのです。


だからこそ、日々慎むことの大切さを教えてくださいます。

少しだけ、必要な分だけ、食べる分だけを買う。

そして究極は、神様がおっしゃったものをいただくようにする。


それが最も摂理に叶い、自然界の調和を壊すことなく、

また人も、いつまでも健康で、若くいられるわけです。




そのように、人の心の原理によって生み出された「共時カルニキシン」は、

日本人をはじめ、現代人の暮らしや生き方すべてにわたって、

人と自然との本来のつながりを、断ち切ってしまったのです。



良いもの、神の一部である「昆虫」「鳥」「動物たち」、

人間以上に知性ある生き物たちを、

まるで、良くないもののようにいい伝えることや、

真実の言葉の中に、虚構の意味を持たせることで、

真理へ到達するための意味が、

解らない言葉の羅列になってしまったり…。


その一つ一つの無明を紹介し、知ってもらうよりも、

どうか一人でも多くの人に、真理が何であるか、

直接大自然である神様の声を聞く人が増えて下さることを、

心から願って止みません。


みつ花
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by kotorihua | 2012-08-18 18:21 | 超古代と遺伝子の病
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