神にささげる一服のお茶
大自然の神にささげる一服のお茶のことを、山頭華(さんとうか)という。

山頭華(さんとうか)の意味は、山という、三本の柱からなる、

神に与えられた古の奥義を極め、その山の頂である、人体の頭の部分に、

神(シン)を生成させることを言う。


その完成に、生成される神饌(しんせん)が、山頭華(さんとうか)という、

一服のお茶なのである。



人間の遺伝子は、実は欠陥だらけである。

遺伝子の数パーセントしか使われていない。

一番肝心である、情報を読み取るデバイス機器に損傷を受けている。

それは、脳、つまり頭である。


多くの意識世界を旅した古代の人々が、人は、目があっても、見えず、

耳があっても聞こえていない、と表現するが、

まさしくその通りで、まだ未熟な人間の体というのには、

神界につながる霊体の層において、目と耳がない。口しかない。

しかし、その口も開かない。


つまり、人間がどんなに祈っても、神の世界に言葉が通じない状態であり、

神様がどんなにお働きになってくれていても、

どんなにありがたい叡智を語ってくれても、

見ることも聞くこともできない、悲しい状態なのである。


それは、人間の遺伝子が、激しく損傷を受けていることが、

大きな要因の一つであるが、古代においては、

どうしたらその損傷を修復して、神につながる霊体に、目と耳を生成し、

口を開かせるか、ということの、偉大な叡智が伝わっていたのだか、

その叡智が、長い間忘れ去られてしまっている状態となって久しい。


かろうじて伝わってきた叡智の断片は、まったく正確に理解されず、

分離したそれぞれが紡がれることのないまま、崩壊し続けており、

この叡智にたどり着いて、真実の神の場に帰ってきた最後の人からは、

もうすでに一万数千年も経っているそうである。



人の人体には、三本の柱がある。

その三本の柱が、生成されると、魂の世界につながるようになる。


人は生きながらに心と魂を清め、自然界にとって、

よき存在となることを誓い、この宇宙万物と共に生きる本当の喜びに、

目覚めるのが本来のあり方である。


その時、地上の万物が、命が、神から披かれた叡智の書物となり、

すべてを友として、師として、愛し守りながら生きてゆくという、

人間以外のすべての命が感じている、生きている喜びに目覚める。


それが人間がこの地上に学ぶために存在していることの意義である。



神様が見せてくださる、三本の柱。


そこで演じられる神々の演目、無数に組み替えられた、

遺伝子の間違いを、丁寧にひも解いてゆく。


人体の左の柱は、いくつもの次元の層の連なりから、

時には、過去、父、祖母、精霊界、東洋

対応する右側の柱は、過去には未来、父には母、

祖母にも母、精霊には人、東洋には西洋、

そして、その柱はまた別の次元からは、

右であったものが左になり、左が右にもなり、次から次へと変化してゆく。


右だった未来は神の世に、母には神、人には神、西洋にはまた東洋、

法則性や決まりなどなく、がらりと呼応するものが変わり続け、

遺伝子を形成する動物たちになったり、

遺伝子を育てる食べ物になったりする。


無限に重なり続けるこの不思議な柱は、

人の心がバランスを取り戻し、天空の神々とつながるための、

大切な道しるべとなる。



東洋人、特に日本人の柱はとても不思議で、

深い深層へ行くと、左が麦であるパンになり、右がブドウにもなる。

しかし真中は何もない。空(くう)なのかもしれない。


そして比較的新しくて、実は本当に古いという、

過去と未来のパラドックスの中で、

その柱は、左が米を表すご飯になり、右が味噌汁、時には果物にもなる。

そして真ん中には、一服の茶が生まれる。

遠い時代、一万年以上前のときもお茶であった。

蓬(ヨモギ)であることもあったそうである。

(日本も歴史以前の古い昔は、蓬莱(ほうらい)の島と呼ばれていた。

蓬莱とは、ヨモギやアカザのことであり、

よき人々の心が、神界の中の蓬莱という世界に育つ草となる。)



この柱に生成されるご飯とみそ汁は、

人間が、生きながら神にささげる、神饌(しんせん)となる。

よき心が神を養う、よき食べ物となる。


普段いただいているものが捧げものとなる。

だからそのことを忘れないように、そして、

その世界を垣間見た人々が、後世の人に伝えたことが、

日本人のしきたりとして、ご飯を左、みそ汁を右に置く。


そして、真中の柱に生成される一服のお茶のことを、

神様の世界では、山頭華(さんとうか)といい、

人間を助けるために、共に荒野で、つらい場所で、

人間の学びを助けてくれていた、神を清める神饌(しんせん)となる。


人間の心が、魂が、神のために、神々のために、

共に歩いてくださっていたのだ、という感謝の気持ちから、

深い深い感謝の気持ちから、何杯でも心を込めて点てるお茶である。


雲雀(うんじゃく)
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by kotorihua | 2012-03-02 19:35 | 古今伝授
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