日本に、なぜドバトがかように多く存在しているのか、
その本当の理由を、人は遠い昔に、忘れてしまった。
彼らは、遠い昔、人間に叡智をもたらした鳥の一つで、
ある民族や、ある文明にとってドバトは、神であった。
日本人の血の中に受け継がれている、
いくつもの遠い文明の記憶、
その中の一つが、私に語りかける。
人が彼らを、深く愛したからこそ、彼らは今でもここにいる。
人が彼らを愛することを忘れてしまっていても、
彼らはいまだ、忘れてはいない。
彼らドバトの飛翔は、人間の多く集まる繁華街を、人々の心を、
清めるために、飛んでいる。
その土地の作物や、その土地へ運ばれてくる物資の、
汚れをはらい清め、
人々が、幸せになるように、
健康でいられるように、舞っている。
繁華街のベンチで、うつむいていた私の足元に、
片足の無い美しいドバトが舞い降りてきて、
私に言う、
どんな境遇でも生きろ、と、
そして、絶対にあきらめるな。と。
その日の夜の、夢の中で、彼は金鶏となって、
長い尾をたなびかせて舞いあがった。
その尾は、金色の星のように、細かい光となって降りそそぐ。
神の力は、どのような生き物の中にも存在している。
そして、神こそ、どんな境遇であっても、
懸命に生き抜いている。
「RAN」という神の住んだ、古代の平和な帝国は、
今でも、日本人の中に、世界中の多くの人々の中に、
今もその記憶を伝えている。
私たちの住む、すぐそばで。
雲雀(うんじゃく)