6、「いいなずけ(フィアンセ) 」~昆虫さんたちの崇高な愛の形~(クオンタムリープ)
今日は、最先端の、自然界の進化の状況を、

お伝えするようにと、小鳥さんや、昆虫さんから、

指示をいただいています。


私たちは、いよいよ、

跳躍(クオンタムリープ)する時が来ました。



クオンタムリープとは、物理学用語ですが、

私たち生き物の意識も、

大宇宙から見たら、光の粒子。


それは、量子の世界において、

粒子が跳躍をして、別の次元へと、

移動する可能性を秘めていることや、


高い次元のものが、

こちらの次元に働きかけること、


さらに、同じ次元であっても、

離れた場所へ、遠隔作用することの可能性を、

示唆しています。



現実の、重力という、力(重力場)に、

閉じ込められている粒子が、

重力の重みから抜け出すことを、

クオンタムリープといいますが、


私たちの、意識の光もまた、

この重力という、人間だけの常識や、認識、

という閉じた場に、囚われている状態から、



意識の跳躍をすることで、次元の違う現実を、

同じ、時空間内であったとしても、

心のおき場所である、時空を平行移動して、

重力という、重みの力に、囚われることのない、

自由な心を、生きることが可能となります。



心が、自然界と一体となっているとき、

空(くう)の心になって、その空(くう)に、

自然への、温かい、愛のまなざしがあるとき、


いつも、ともに生きている仲間のことは、

蜂さんも、刺ささない、と、おっしゃってくださいます。


生き物が、今、進化しているということを、

人に、知ってほしい。と。


私に、そのことを是非、

伝えてほしい、とおっしゃるのです。



昆虫さんたちの世界に、縁の深い、

シジュウカラさんの、雛さんたちは、

この原稿をしたためていますとき、窓辺で、

このように、おっしゃってくださいました。


「愛の心を、知っている。」と。



優しい心を持った人の周りでは、

今、何かが変わりつつあります。


自然界が、心優しい人々に、

同じように、心を開いてくださっているのです。


自然界に、優しいまなざしを向けて、

よく観察してみてください。


たとえ、その場でわからなくとも、

後になって、心が伝わってくることもあります。


そして、長い人生の間には、

すべてが明らかに、「そうだったのか。」と、

わかるときがくるのです。


人間にも、そのような力が、備わっています。



知るということは、

恐れを生むことにつながるかもしれないけれど、


もっと深く知るならば、

そして、心を研ぎ澄ませて、

自然界と一体となっていれば、

恐れなど、持つ必要も無いこと。




そして、まず、助けることの前に、

本当に身近な環境から、

その昆虫さんを、駆除、排除してしまって、

良いのかどうかを、考えることは大切だと思います。


私たち人間が、戦後、さまざまな知識を、

より多く、知ることができたがゆえに、


人は、危険といわれている、

蛇さんや、蜂さんを、自宅の敷地内で見かけると、

駆除するようになってしまった今、という、

歴史があります。


しかしそれは、まったくの間違いであり、

もっと良く、私たち人間が、彼らの習性を知り、

彼らの心を、わかってさし上げられたら、


まったく駆除する必要のない、

ともに、その場所に住まう、

大切な、仲間であることがわかると思います。



人が、人為的に振り払って、落としてしまったり、

要らないといって、手でつかんで、

幼虫さんを、捨ててしまったりすると、


磁力のような、繊細な方向感覚を、

幼虫さんは、失ってしまって、

緑や樹木さんとは、反対の方へ向かってしまうことが、

あるのではないだろうか―、と、

いつからか、思うようになったのです。


蝉さんの、白い幼虫には、

土の中で暮らす間は、まだ目が無いのだそうです。


茶色い状態の幼虫さんとなったとき、

(私はそれを、動く状態であっても、

さなぎ、と呼んでしまっていますが。)


その、茶色い殻をまとう状態で、初めて、

目が形成されるのだそうです。


完全に、蝉さんや、蝶々さんや、蜂さんなどの、

幼虫が、すべて同じ経緯をたどって成長する、

というわけでは、無いかもしれませんが、


もしかしたら、幼虫という状態の彼らは、

あまり良く、目が見えないのかもしれません。


でも、彼らは、心や愛というものを、

感じ取ることのできる、力を持っています。


なので、人為で、

何らかの不具合をこうむり、困っている昆虫さんや、

幼虫さんたちがいらっしゃったら、


それは、なんらかに、

人が、手を差し伸べて差し上げることは、

自然界から、許されているような気がするのです。




あるとき、蝶々の幼虫である、

青虫さんを、お助けしたときがありました。


夏草の茂る、緑の広い空き地から、

人為的に、投げ出された青虫さんは、

こぼれた雑草と一緒に、地面に、

投げ出されてしまっていました。


投げ出されてしまっても、なお、丈夫で、

草地とは反対方向の、交通量の多い道路へ、

元気よく向かってゆきます。


私が、「そちらの方向は違うよ。」と、

優しく声をかけ、

歩道に倒れこんでいる、背の高い草の、

茎を近づけると、青虫さんは、

元気よくそれを登って、


敷地との境の、二段ほどのブロック塀の高さを、

その茎を伝って登り、もとの草地に、

戻ることができたのでした。



数日後、その場所を再び通るとき、

小鳥さんのさえずりで、気がついたのですが、

先日お助けした、青虫さんが、

同じ場所で待っていてくださいました。


自分がどのように、その後、自らの力で、

草地の敷地の、まだ豊かに植物の生い茂る場所まで、

戻っていったのかということを、

私に、わざわざ見せてくださったのでした。


青虫さんは、敷地の境の、

陽の当たる、二段のブロック塀の上から、

所々、残っている枝を、上手に上体を伸ばしてつかみ、


さらに、横たわる茎や、離れて生えている植物の、

葉っぱをつかんで、ぶら下がり、上体を懸命に伸ばして、

次から次へと、茎を伝ってゆき、緑豊かな雑草の中へ、

戻ってゆくシーンを、見せてくださったのでした。



助けた子が、こうして、生きていることや、

どのようにがんばって、草むらへ帰ったのか、ということを、

私に伝えてくださるために、

その立派なお姿を、見せてくださったのです。



人が、優しく心をかけて、

励ましたら、彼らは、自然界へ戻る力を、

取り戻すのだと知りました。




ご利益があるから、

何かをするということは、

まったく違う方向性につながってしまいますが、


自然界に与えられて、

自然界の小さな生き物を、

何らかの形で、助けてあげる機会を、

神様から与えられたとき


自然界では、めぐりめぐって、

駆除されることなく、無事に育った蝶々さんが、

いいなずけ・フィアンセと、結婚するという、

ファースト・ラブを、叶えることが、

できたのだと知りました。


成虫になって、すぐの状態から、

魂にふさわしい、お相手にめぐり合えた彼らは、


人生の幸せなときを、

それだけ長く過ごすことができますし、

たくさんの、子孫を残すことができます。


その、よき巡り会わせは、

いつか私たちが、人間の衣を脱ぎ捨てて、

光の衣をまとうとき、


幸せの世界へ、つながってゆくのだと、

自然界から、優しく、

教えていただいているように、思えるのです。




みつ花







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# by kotorihua | 2017-08-12 16:39 | 男女和合
5、「いいなずけ(フィアンセ) 」~昆虫さんたちの崇高な愛の形~(クオンタムリープ)
同じことをしていても、

愛のためなのか、

恐れなのかで、

エネルギーの回転の向きが違ってきます。


虫さんに、触る、触れる、という行為も、

あるいは、ささやかな日常の行為も、

そして、男女の心の機微さえも、


すべてには、エネルギーのスピンをともない、

現実の、時の流れの中を、人は生きています。



また、昆虫さんを助けるという行為も、

愛のためなのか、

ご利益のためなのか、ということで、

回転の向きが変わるがゆえに、


昨年、蝉さんの抜け殻に、手を触れるとき、

小鳥のシジュウカラさんは、あくまでも、

愛が伝わるから、触れるように、と、

うながしてくださり、


その時そこに、

蝉さんの抜け殻に、触れることができていたら、

たくさんの、私にとって有益なことがある、という真実は、

隠されていらっしゃいました。


愛から触れるという行為と、

何らかの有益だからそれをする、という行為は、

エネルギーの流れに大きな違いがあるのでしょう。



愛で触れるからこそ、それゆえに、

昆虫さんたちの、崇高な愛を、

少しずつ体験の中で知り、


有益であることの、真の価値を知ったり、

与えられたり、


さらに、それを人々にもお伝えするという、

小鳥さんが、最も望んでくださるこの役割を、

経験することができたのかもしれません。




人生では、小さな失敗の中にも、

たくさんの、学びがあるのです。


実は今、書こうとして、

やはり書くのをやめようとした、

自分自身の失敗談があります。


自分自身のことや、過去のことを語るのは、

はばかられるという、気持ちがあるのですが、


たった今、窓辺に、

このあたりに住まう、いつも私が、

大変お世話になっている、ツバメさんが、

そのことを、お伝えするように、と、

わざわざここへ来てくださり、おっしゃってくださるので、

思い切って、お話してみようと思います。



~時を経た、長い長い、ツバメさんからの深い学び~


十代の後半に、父が祖父母の家を建て替えてから、

自然豊かな田舎に、みなで、祖父母とともに、

一緒に住まうようになりました。


新しい洋式の家の玄関には、

ポーチの両脇に、柱が二本あって、

玄関の入り口の屋根を、支えています。


その、玄関の柱の片方に、

私たちが住むよりも、ずっとずっと前から、

毎年、巣を掛けていたであろう、

一組の、ツバメさんの家族が、

すぐに、巣を掛けてくださるようになりました。


やがて、たくさんの雛さんたちが生まれて、

親鳥が、繰り返しえさを巣に運ぶ姿を、

越してきたばかりの、私たち若い家族は、

毎日楽しみにするようになりました。


ある日、学校から帰宅してみると、

その、ツバメさんの巣の下に、

母が、傘を改良して、

雛さんが、下に落ちないようにと、

工夫をして取り付けたことがありました。


その異様な雰囲気に、

一瞬、ギクッと、凍りついた私でしたが、


母の、そうしたい気持ちも、

決して、わからないわけではないので、

そのままにしておきました。



程なくして、そのツバメさんの巣の雛さんを、

敷地の蛇さんが、狙うようになりました。


私は、その様子を一度も見たことがないのですが、

父と、祖父で、何とか柱から蛇さんをおろし、

蛇さんは藪に逃げていったと、

後から、母や祖母が、教えてくれました。


今の私は、なぜ、巣が、

蛇さんに狙われてしまうのか、

よくわかるのです。


小鳥さんだけをかわいがる、

その中でも、身近な、

我が家のツバメさんだけ。という、

命への、偏った愛というのは、


バランスをとるために、

返って違うものを引き寄せて、

魂を成長させることで、


本当の幸せが、何であるのか。

自分自身の正しい振る舞いが、

どのような位置に、位置するべきか、ということを、


宇宙に働いている、陰陽の原理が、

存在の空の原理が、

教えて下さろうとなさっていらっしゃるのです。


後になってわかったことは、

ただ人間のそばに、巣を掛けるという、

その行為のみで、それだけで十分、

安心で守られている、ツバメさんの巣に、


やはり、現代、他の多くの家々の人が、

巣の下に、板をあてがってしまったり、

母のように、傘などをとりつけたり、

してしまいがちですが、


バランスの取れた優しさを、

通り越してしまうと、


何らかの不具合を、

招いてしまいかねないということを、

長い間の経験から、学びました。



また、同じ年のこと、

いざ、ツバメさんが巣立つというとき、


今の私には、それは、

雛さんが、勇気を、力いっぱい振り絞って、

自らジャンプをして、巣立つ、という、

立派な、最初の羽ばたきをなさった、ということが、

心からわかるのですが、


ツバメさんの巣の下に、据え付けた傘に、

母が、ツバメさんが落ちてしまったと、

心配して、騒ぐものですから、


身軽であった私が、脚立に上って、

傘の中に「落ちてしまった」という、

雛さんを、巣の中に、戻してあげたのでした。



本来、雛さんは、

人間も住まう、猫さんも住まう、その場所に、

着地をして、そして、自ら、

その降りた場所が、危険だとわかったり、

移動するよう、親鳥に教えられたりしますと、

自らの翼を振り絞って、羽ばたき、

その場所よりも安全な場所へと、移動します。



今の私は、小鳥さんたちの子育てのシーズンに、

もし、道路などの車の通る場所などに、

着地をなさっていらっしゃる時には、すぐに、


車や、散歩の犬さんなどの来ない、

安全な場所に、そっと、移動させてあげて、

何度か小鳥さんや、成長した雛さんに、

お礼を言われたりすることがあるのですが、



雛さんたちは、自らの力を振り絞ることで、

恐怖を乗り越えたり、多くのことを、

自ら、その環境として学んでいるのです。


巣から飛び出した先に、

親鳥は、ちゃんと雛さんへと、

必要な食べ物を、届けます。





若かったころの私は、

そのような、繊細な状況判断が、

まだ、まったくできていませんでしたから、


安全傘の中という場所へ、

立派に、巣立った雛さんを、

良かれと思う、一方的な優しさや、愛情で、


また、狭くなってしまっている巣へと、

雛さんを戻してしまってからというもの、


ツバメさんの親鳥が、私の上で、

警戒音を出して、さえずるようになってしまいました。


そのことは、祖母が教えてくれたので、

始めて私も、気がつくことができました。


「ツバメさんを、怒らせてしまったね。

お前が通ると、お前の頭の上で、

ツバメさんが、あんなふうにさえずって、

警戒するようになってしまったよ。」と、


祖母が教えてくれたことに、

優しくしたはずなのに、何でだろう、と、


彼らを、とてもかわいいと思っているのに、

とても、悲しかったことを覚えています。


やがて、私もほどなく家を離れて、

自立し、自活するようになりました。


久しぶりに家へ戻って、

玄関の柱を見ると、

ツバメさんは、玄関の、二本の柱の、

両方に、巣を掛けるようになっていました。


母の話では、あれ以来、

蛇がまったくやってこないのだとか。


とても安心して、

玄関に巣を掛けている、と、

伝え聞いたのでした。



ツバメさんというのは、小鳥さんもそうですが、

自らの卵を産み、育てると同時に、

人々の、魂も預かって、旅をしたり癒したり、

雛さんを育てることで、同時に、

人の魂も育ててくださったりしています。


もうひとつの巣というのは、

田舎の家族のための巣であり、


そして、もうひとつは、

決して両親に甘えることなく、生きてゆこうと、

若いうちから決心をして、

もう、帰らないのだと、強く生きている、

私のための巣だったのかもしれません。


私が、そのように強く生きることで、

現代の文明の元で育った、優しすぎる両親も、

優しさゆえに、娘に甘えることなく、


また、子供たちにとらわれて、

心が、心配で、不自由に生きるのではなく、

強く、自由な魂となってゆけるような、

気がするのです。



今、私のそばに住んでくださるツバメさんは、

常に、私たち夫婦を優しく見守ってくださり、

優しいだけではない愛の、深さや、

命と、魂のつながりや、

その、魂の生み出す生きる力の素晴らしさ、


本当の、命の持っている、

真の能力というものを、

復元しようとなさってくださっているように、

感じられるのです。


自然界というのは、すべて、

良い頃合い、ちょうどいい塩梅という、

本当の、真髄の愛を、

教えてくださる叡智を持っています。


その、とらわれのない愛こそ、

人類の負のスパイラルを抜け出す、

偉大な力の源になっていると、

伝えてくださっているように思います。



つづく



みつ花







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# by kotorihua | 2017-08-11 12:30 | 男女和合
4、「いいなずけ(フィアンセ) 」~昆虫さんたちの崇高な愛の形~(クオンタムリープ)
昨年の私は、今思い返しますと、

数回ほど、昆虫さんを、

通りがかりの道の途中で、

助けたことがあったのでした。


しかし、すべてが、

はじめから成功していかというと、

決してそうではなく、


はじめの教訓から、

学ぶことが多かったがゆえに、

「次こそは、きっと。」という思いがありました。



ある昆虫さんが、まだ、芋虫のときに、

生垣が人に刈られたばかりであろう形跡が残る、

細かい葉っぱとともに、路面に、

落ちていらっしゃいました。


もともと、自然界には、

帰巣本能や、樹木さんからの呼び声があり、


生きる力を損なわれていなければ、

樹木さんが呼んでくださるので、


そのときの私は、

きっと、この真っ白い芋虫さんも、

樹木さんのところへ帰るに違いない、と思い、

その場所を、離れたのでした。


しかし、用事を済ませて戻ってくると、

その芋虫さんは、

樹木さんのところへ戻ることなく、

蟻(アリ)さん達に、連れられてゆくところで、


芋虫さんにとっては、

かわいそうなことになってしまった。と、

感じたのです。


しかし、もちろん、

蟻さんたちの立場からしますと、

彼らにとっては、大変よき糧でありますので、

それを、奪ってしまうわけには行きません。


何らかの理由があって、

(すでに、重い怪我をしていたとなど。)

それゆえに、自然界は、蟻さんにゆだねる、と、

ジャッジしたのだと、感じとったのです。



しかし、

「私に何か、できることはなかったのだろうか。」と、

小さな疑問のようなものが、

心のどこかに残りました。




しばらくして、数日ほどでしょうか。

台風が来て、それが通り過ぎた後の翌日、


今度は、芋虫さんがいた場所から、

500mくらい離れた、程近い木立の脇の、

道路の上で、同じ種類の芋虫さんが、


照りつける陽射しのなか、

這(は)っていらっしゃるのが目に止まりました。



他の人の自転車も、通る場所なので、

踏まれてしまってはいけない、と思い、


私自身がそこにいれば、人は、

そこを避けて、通ってくれるのではないかと思い、


また、自転車のタイヤの部分で、

せめて、日陰を作ってさしあげようと、

自転車を降りました。


芋虫さんの振る舞いを見ていると、

一生懸命に、木立へ向かって歩んでゆきます。

樹木さんに呼ばれていらっしゃるのでしょう。


人間が考えるよりも、その歩みは、ずっと速いな。と、

心から安心していると、


アスファルトと、木立の敷地との間で、

土の、むき出しになっている所が、

砂地のように、さらさらとしていて、


芋虫さんは、ここで何度も、

その砂地を登ろうと、挑戦するのですが、


20cmほどの段差を、

安全な、木立の中の、緑の藪(やぶ)の中へ、

戻ることができずに、

砂にまみれながら、地面に、

何度も転げ落ちてしまうのです。



私は、虫さんに触れることが、

昨年は、できなかったものですから、


その場で、ただ心から彼を、

願うような気持ちで、

励ますしか、方法がなかったのです。



しかし、ふと、よく見ると、

そう遠くはない場所が、

砂地ではあっても、植物があり、

緩やかなスロープになっていて、


彼の歩むペースならば、

登ってゆけそうな場所がある、と気がついたのです。



そう思っていますと、すぐに、

その芋虫さんの、父親と思われる、

オスの昆虫さんである、

アシナガバチさんが、私の元に飛んできて、

自転車の、タイヤの軸をすり抜けると、

「もう行きなさい。」と、

優しく、言ってくれました。



ふと、振り返ると、遠くのほうに小さく、

この道を、通るであろう人の、姿が見えます。


そして、もう一度、芋虫さんの方に目を向けると、

もう一羽の、メスの昆虫さんであろう、

この芋虫さんの、母親であるアシナガバチさんがやってきて、


白い芋虫さんの、顔の前辺りに、舞い降りると、

とても優しく、おでこを近づけて、

かわいがっていらっしゃり、


まるで、「本当に無事でよかった」、と、

涙ながらに、「心配したのよ」、と、

会話でもなさっていらっしゃるかのように、

温かい、親の愛が、伝わってくるのです。


私は、このとき初めて、

昆虫さんにも、深い親子の情があり、


母は、子を慈しんでいるのだと、

はっきりと感じ、その場で、

本当に心から、感動してしまったのです。


そして、母親は、すぐに優しく、

芋虫さんを、スロープの方へと、

誘導を始めました。


芋虫さんは、母の呼ぶ方へ、

信じて迷いなく、まっすぐに歩んでゆくのです。


スロープを登り始めた芋虫さんの、

すぐ横で、母親は、彼を励まして、

応援なさっていらっしゃるのです。



私は、本当に安心して、感動して、

我が家近くの、生垣に戻ってくると、



なんと、そこには、先ほど見かけた昆虫さんと、

同じアシナガバチさんの、別の、雌雄のつがいが、

私を、優しく迎えてくださったのでした。



たとえ、助けたのが、

別の夫婦の子供であっても、


私が、前日、このカップルの、

子供さんであろう、芋虫さんを、

助けてさしあげることができなかったことが、

念頭にあったがゆえに、


今日、助けてあげた芋虫さんは、

また、同時に、

このカップルであるつがいの子でもある。という、

自然界の、深い真理を、教えられたのです。



彼らの世界はつながり合っている。


このつがいさんからも、今日助けた子への、

感謝と、深い愛情と、私への、

温かい気持ちが伝わってくるのが、わかったのです。




私は、そのとき、

「できなかったことの、後悔じゃなくていいのだ。」

「次につなげて行けばいいのだ。」


ということを、

彼らから教えていただいた気がします。



次につなげてゆくことを、

こんなにも、先ほどの夫婦と同じように、

自分のことのように、

自然界の生き物は、

本当に、弾けるように、喜んでくださるのです。



それが、自然界が、人間とは違った、

崇高な心を持つ、

神の心を持つ、

ゆえんなのです。



つづく




みつ花






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# by kotorihua | 2017-08-10 16:03 | 男女和合



古えの奥義・天の鳥船と伝説の小鳥たち
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